平成デジタルガジェット史
かくしてベルリンの壁は崩壊し、海の向こうからDOS/Vがやってきた

激動の平成デジタルガジェット史 第1回:平成1〜3年(1989〜1991年)

30年にわたった「平成」という時代も今年で終わりを告げる。そんな平成という時代は、価格.comとも深い関わりのあるパソコンやデジタルガジェットが急激に成長した時代であった。そこで、平成時代の終わりに、この30年でパソコンやデジタルガジェットの世界がどのように変化してきたかを、3年ごとにざっくりとまとめてみようというのがこの連載企画だ。第1回の今回は、平成1〜3年(1989〜1991年)の3年間にフォーカスして、この時代をデジタルガジェットたちとともに振り返ってみよう。

平成元年(1989年) 任天堂「ゲームボーイ」発売。誰もが「テトリス」に熱中したあの頃

任天堂「ゲームボーイ」

任天堂「ゲームボーイ」。このゲーム機でビデオゲームを遊び始めたという人も多いだろう。初期の「テトリス」をはじめ、後の「ポケモン」ブームを生み出すのも本機であった

平成元年という年は、世界史的に見ても大きな転換点となる年だった。何しろ、それまでずっと世界を支配していた「東西冷戦」という構造が、目の前でボロボロと崩壊していき、ついにはあの「ベルリンの壁崩壊」を招いたのだから。いっぽうアジアでは、民主化運動が進んでいた中国で、それを阻むような「天安門事件」が勃発する。民主化へのうねりが世界中を包み、それに対する旧東側世界の最後の咆吼が聞こえた、そんな年に、我が国では昭和天皇が崩御され、平成という新しい時代が唐突にやってきたのだ。

そうして何もかもがドラスティックに変化していったこの年、筆者は高校3年生の春を迎えていた。そう、受験生になったのだ。何が困ったかって、世界地図がどんどん変化していったこと。去年までなかった(つまり地図帳などに載っていない)国がどんどん登場し、国境線は塗り替えられ、これまでは覚えなくてもよかったはずの、アルメニアやアゼルバイジャン、タジキスタンやらウズベキスタンなどという国の名前を必死こいて覚えたことが懐かしい。

さらに、もうひとつ困ったことが起こった。この年の4月に任天堂から携帯ゲーム機「ゲームボーイ」が発売されたのだ。それまで家庭用ゲーム機と言えば、任天堂の「ファミリーコンピューター(ファミコン)」が主流で、この直前の1987年にNECから「PCエンジン」、1988年にセガから「メガドライブ」が発売され一部では話題にはなっていたが、すでに発売開始から6年が経過していたファミコンの牙城を崩すほどにはなっていなかった。

そこへ颯爽と登場したのが、「携帯できる」という新たな価値観を備えたゲーム機「ゲームボーイ」だった。わずか2.4インチの4階調モノクロSTN液晶(解像度:160×144ドット)しか搭載していない、当時でもかなりシンプルなハードウェアであったが(翌年にはセガからカラー液晶搭載の「ゲームギア」が発売される)、税込12,500円(この年から消費税3%が導入された)という価格の安さと、アルカリ乾電池4本で約35時間動作するという手軽さから人気となり、あっという間に普及した。

そんなゲームボーイの人気を後押ししたのが、落ちゲーの元祖ともいえる「テトリス」だ。まだソ連だった時代のロシアで作られたこのゲーム、すでにゲームセンターでは大人気を博しており、すでにその人気も下降線であったが、そのテトリスが、いつでもどこでもプレイできるようになったとあって、再び脚光を浴びることに。当時ゲームボーイを購入したほとんどの人が、テトリスをセットで購入したことと思う。ちなみに、当時のテトリスのゲームカートリッジの価格は、税込み2,600円。ゲームボーイ本体とテトリスをセットで購入しても15,000円程度と、実にリーズナブルな価格設定だったこともあり、クリスマスシーズンには子どもへのプレゼント用途で爆発的に売れた。

そんなわけで、当時大学受験を目前に控えた我々にとって、ゲームボーイ(およびテトリス)は、まさに悪魔のささやきのような存在となったのだ。遊びたい、しかしあれに手を出してしまっては勉強にならない・・・。そんな苦悶の日々を送った筆者のような人も少なくないのではないだろうか。

●この年発売された主なデジタルガジェット

・ソニー「ハンディカム55」(CCD-TR55)
「パスポートサイズ」のCMで一世を風靡したビデオカメラ。フォーマットはまだDVではなく、8mm(Video8)。そのコンパクトさから人気になり、本製品から「ハンディカム」という名称が付くようになった。

・富士通「FM TOWNS」
CD-ROMがまだ珍しかったこの頃、CD-ROMドライブを搭載したことで話題に。「マルチメディアパソコン」というキャッチコピーで売り出されていた。

・東芝「DynaBook J-3100SS」
世界初の「ノートパソコン」とされる記念碑的製品。当時のIBM PC/ATの互換機で、いわゆるA4サイズのクラムシェル型ノートの先駆け。

・NEC「PC-9801N(98NOTE)」
当時、国内では随一の普及率を誇っていたNEC「PC-98」シリーズのノートパソコン第1号。上記「DynaBook J-3100SS」に遅れることわずか3か月で発売された。

平成2年(1990年) 東西ドイツが統合! 黒船「DOS/V」襲来! そして「スーパーファミコン」発売!

セガが発売したDOS/V機「テラドライブ」。メガドライブとIBM PC/AT互換機がひとつになった斬新な発想の製品だった。(「セガハード大百科」サイトより)

明けて平成2年となり、筆者もめでたく大学に進学、上京した。しかし、ついに訪れた、花のリア充大学生活に目覚めた筆者は、それまでのPCヲタクライフを一切断ち切ることになる(あれだけ渇望したテトリスはどこへ・・・?)。時代はまだバブル経済の絶頂期であったし、楽しいことなんか、パソコンやゲームの世界以外にもたくさんあったのだ。

そんな平成2年の大事件といえば、前年の「ベルリンの壁崩壊」に象徴される東ヨーロッパ諸国の相次ぐ民主化、そして東西ドイツの統合である。今の若い世代は全く想像もつかないと思うが、我々が子どもの頃には、ドイツは東西2つの国に分かれていがみあっていたのである。それがついにひとつの国へと統合されたというのは、20歳目前の筆者にとっては相当大きなインパクトのある出来事だった。そういう革命的変化が、テレビを通じて目の前でどんどん起こっていくのである。ゲームやパソコンなんかやってる場合ではなかったのだ(まだインターネットはなかった頃のことである)。

というわけで、実を言えば、この年のパソコンやデジタルガジェットについては、知識的に抜けている部分が多いのだが、それでもこの年を代表する2つのトピック的事件については、触れざるを得ない。ひとつは、パソコン界に衝撃を与えた「DOS/V」(ドスブイ)の登場である。「DOS/V」というのは、当時の世界的ビジネスパソコンの主流であった「IBM-PC/AT」系パソコンで使われてきた「PC-DOS(IBM DOS)」の最新バージョンだった「IBM DOS J4.0/V」の略称。末尾の「/V」は、いわゆる「VGA(640×480ドット)」のグラフィックを扱えるという意味でつけられたと言われている(諸説あり)。つまり、これまで以上の高解像度グラフィックをサポートする点が特徴的だったわけだが、このOSが、日本のパソコン界において画期的だったのは、これまで「PC-DOS」が対応していなかった日本語が扱えるようになったということである。

ちなみに、当時の日本国内のパソコン市場では、NECの「PC-98」シリーズが圧倒的なシェアを誇っていた。ビジネスシーンはもちろん、家庭用のパソコンとしても「PC-98」シリーズは圧倒的な人気で、国内におけるパソコンのデファクトスタンダードの座を占めていたのである。全世界的なデファクトスタンダードマシンであったIBM-PC/AT系のパソコンが日本国内でほとんど売れなかったのは、やはりOSが日本語に対応していないことが大きかったと言える。

しかし、この年、ついに日本語に対応した「DOS/V」の登場で、その立ち位置は大きく変化することとなった。日本国内でも、この「DOS/V」を採用するIBM PC/AT互換のパソコンがいくつか発売され始めた。その後数年で「DOS/V」搭載のいわゆる「DOS/Vパソコン」が増加し、日本国内でもNECの「PC-98」の牙城を崩し始めることになる。この後日談については、後ほど触れることになるだろう。

任天堂「スーパーファミコン」。今のゲーム機が備える基本的なインターフェイスはこの製品がベースとなっているというくらい、「どの家にも必ずある」レベルの大ヒットを記録した名機。

そして、もうひとつ、この年のデジタルガジェットで忘れてはならないのが、任天堂「スーパーファミコン」の発売開始である。前述したように、1993年に発売されたファミコンで日本の家庭用ゲーム機における主導権を完全に我が物としていた任天堂であるが、その中身は旧式の8ビット機で、すでに発売されていたセガ「メガドライブ」や、NEC「PCエンジン」などの16ビット機に比べると、グラフィック表現やサウンド表現も圧倒的に見劣りするようになっていた。そこで、任天堂がファミコンに代わる新たな16ビット機として開発したのが、このスーパーファミコンなのである。16ビット機となったことで、扱えるデータ容量が増えたほか、グラフィック表現が飛躍的にアップし、より奥の深いゲームを作れるようになった。また、ファミコン時代は「A/B」の2ボタンだったコントローラーも「X/Y」を加えた4ボタンに、「L/R」を加えた6ボタン仕様になり、これが今でも家庭用ゲーム機の標準レイアウトとなっている。

実は筆者は、大学時代、百貨店のおもちゃ売り場でアルバイトをしていたことから、スーパーファミコンなど、この当時のゲーム機に関しては詳しい。この年の11月に発売されたスーパーファミコンだが、同時に発売されたロンチタイトルは「スーパーマリオワールド」「F-ZERO」。このうち「マリオ」は言うに及ばずであるが、同時発売された「F-ZERO」は当時としてはかなり出来のいい3Dレーシングゲームであり、このシステムは、後のヒットタイトル「マリオカート」に引き継がれることとなる。ただ、スーパーファミコンの発売当初の価格は税込25,000円で、それまでのファミコンが14,800円だったことを考えると、かなり高いという印象だった。ちなみに、メガドライブは当時の価格で21,000円、PCエンジンは24,800円であり、16ビット化されたことで、ゲーム機の本体価格は一気に2万円台に上がったという経緯がある。なお、こうした背景もあって、前年に発売されたゲームボーイが、比較的リーズナブルという理由で子どもたちを中心に普及した。

●この年発売された主なデジタルガジェット

・セガ(エンタープライゼス)「ゲームギア」
前年に発売された任天堂「ゲームボーイ」に対抗するように発売されたカラー液晶搭載の携帯ゲーム機。性能的には、据え置き機の「セガ・マークIII」並みの処理性能を持った高性能機であったが、19,800円という価格の高さと、アルカリ乾電池6本で約3時間程度しか動かないというバッテリー持ちの悪さがネックで普及を妨げた。なお、別売のTVチューナーパックを差し込むと、カラー携帯テレビになるというギミックも備えていた。

・パナソニック「画王」
1987年より開始されたBS放送でのハイビジョン表示に対応するように発売された、パナソニックのブラウン管ワイドテレビ。BSアナログチューナーを搭載しており、BSハイビジョン放送を楽しめた。ブラウン管テレビではあるが、奥行きを抑えたフラットブラウン管を採用し、人気を得た。

平成3年(1991年) ソ連崩壊! 湾岸戦争勃発! バブル崩壊! その裏で「ドコモ」が誕生!

初のmova端末「TZ-804」(mova N)。まだドコモの名前はなく、NTTのブランドで売られていた。なお機器自体はレンタル扱いで、利用料もものすごく高かった。(「Wikipedia」より)

平成3年になると、世界の情勢はますます変化のスピードを速めていく。2年前から雪崩のように起こった東側諸国の相次ぐ民主化は、社会主義国家の頂点に君臨していたソ連をも揺るがし、この年ついにソ連は崩壊。内包されていた国家も分裂する。また、この前年、中東の小国・クウェートに隣国のイラクが侵攻し併合するという事変が起こり、これに対して、アメリカを中心とした多国籍軍が反撃する「湾岸戦争」が勃発する。それまで、東西冷戦と言われつつも、大規模な国家間戦争はほとんど行われなかった世界に起こった現代戦のリアルな様子が連日テレビで伝えられ、大きな衝撃を呼んだ。

いっぽう、日本も大きな転換点を迎えていた。それが、この年に端を発すると言われる「バブル崩壊」である。一時期38,000万円を超えていた日経平均株価は2万円を下回り、ほぼ半値にまで落ち込んだ。この影響がさまざまな業界に波及し、この翌年くらいからいろいろな影響を及ぼすようになる。筆者はこの年、大学2年生であったが、この年の卒業生(つまり2つ上の先輩たち)までは、余裕しゃくしゃくの就職活動で、いい企業へ入っていったのを覚えている。つまり、今で言うバブル入社は、この年をもって無残にも唐突に終了するのである。

そんな激動の年、デジタルガジェット関係でも大きな出来事があった。それは1985年に民営化されたNTT(旧・日本電信電話公社)によって、子会社のエヌ・ティ・ティ・移動通信企画株式会社が設立されたことだ。つまり今のNTTドコモの誕生である。NTTはこの年、初代「mova」端末となる「TZ-804」を発売し、ここから後のNTTドコモによる携帯電話サービスが開始された。ちなみに当時の回線使用料は月額17,000円ほどだったらしい。そういう意味で、この年は、日本国内における携帯電話の実用元年と言ってもいい年となった。しかし今では当たり前の携帯電話も、その本格的な歴史はまだ30年も経っていないのであることに驚かされる。

このほか、「カーナビ」もこの頃に登場した新たなデバイスである。それまでもジャイロなどを使ったカーナビゲーションシステムはあったのだが、「GPS」を使って自社位置を捕捉するタイプのカーナビはこの頃に登場する。国内ではこの年パイオニアが、初の単体GPSカーナビを市販化し、これ以降、カーナビというデバイスが一般化していく端緒となった。

ちなみに、携帯電話のなかった時代の大学生は、どうやって友人たちと連絡を取り合っていたのかというと、基本的には有線の固定電話である。しかし、当時筆者の住んでいたアパートには固定電話(回線)がなく、周囲からの「連絡が付かなくて困る」という声に応えて、数か月アルバイトをし固定電話の加入権を購入した(当時は7万円くらいした!)記憶がある。なお、駅前で待ち合わせなどの場合、電車が遅れるなどのハプニングに対しては、駅の伝言板(単なる黒板)がしっかり機能していたことを書き添えておこう(なんとも、おおらかな時代だったものだ・・・)。

●この年発売された主なデジタルガジェット

・アップル「PowerBook(100シリーズ)」
アップル初のノートパソコンとして発売。当時のMacは、パソコンマニアにとっても高嶺の花であり、本機もベーシックモデルで35万円程度した。なお、液晶は9インチモノクロ(640×400ドット)で、重量は2.3kgと、今のノートパソコンとは比べるべくもないが、「持ち運べるMac」として話題になった。ちなみに、この頃の「PowerBook」は、ポインティングデバイスにトラックボールを採用しておりトレードマークになった。

・SNK「NEOGEO(ネオジオ)」
当時のゲームセンターで稼働していたゲーム機の基板そのものをコンパクトにして、家庭用ゲーム機として再現してしまうという、驚きの発想でつくられたスーパーゲームマシン。当然ながら、アーケードゲーマーの熱い視線を集めることになるが、本体価格58,000円、ゲームカセット3万円以上という、一般人にはなかなか手の出ない価格設定でも話題となった夢のマシンである。なお、本機で最初にブレイクしたゲームタイトルは格闘ゲームの「餓狼伝説」であった。

・エポック社「バーコードバトラー」
バーコードを読み取れる機械で、カードに書かれたバーコードを読み取り、それを数値化させてバトルを行うという玩具。後のトレーディングカードのゲームシステムにも似た遊び方で一世を風靡した。なお、付属カードに書かれたバーコード以外にも、一般の商品に付けられたバーコードを切り取って読み取ることもできたため、当時の子どもたちは強いバーコードを探して、さまざまなパッケージを切り取っていた。

次回・連載第2回(平成4〜6年)は、2019年3月10日(日)掲載予定です。

鎌田 剛(編集部)

鎌田 剛(編集部)

価格.comの編集統括を務める総編集長。パソコン、家電、業界動向など、全般に詳しい。人呼んで「価格.comのご意見番」。自称「イタリア人」。

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