PDA博物館
ドコモブランドPDAの商品企画開発リーダーに聞く

「誰でも買えて、誰もが使えるPDAを」PDA普及のため、新たなビジネスモデルをしかけた男

昨年開催した「PDA博物館」イベントでは、「PDAを葬ったのは誰か?」という話で盛り上がった。そこで出てきたのは、「iモードが流行ったから」という説と、「sigmarion(シグマリオン)など、キャリアブランドのPDAがあまりにも安価だったため、ほかのPDAメーカーが価格競争で勝てなかったから」という説。

今回、連載に登場するのは、当時NTTドコモブランドのPDAの商品企画開発リーダーだった入鹿山剛堂氏。同氏は、「sigmarion」を安価で提供できる仕組みを検討し、いわゆる「リカーリング型ビジネスモデル」を編み出した。今回の記事では、そのときの状況や背景について、当事者の立場から説明する。(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花)

入鹿山剛堂(いるかやま ごうどう)氏。(株)入鹿山未来創造研究所 代表取締役所長で、MCPC(モバイルコンピューティング推進コンソーシアム)IoT委員会 顧問、(一社) IoT リサーチ&デザイン 理事、(NPO)日本メタデータ協議会 理事長、慶應義塾大学SFC研究所 上席所員など、約20の企業、団体の役員や顧問を兼任している。1974年よりシンセサイザーなど電子楽器の開発に取り組み、1976年には自動音楽演奏システムを開発した。1988年に日本初の本格的グループウェアLANWORLDを独自に開発し、このころからメールやグループスケジューラにアクセスできる手帳型端末を構想。その後、1991年には日本初のモバイルグループウェアを構築した。1999年 NTT移動通信網(株)(現 NTTドコモ)入社。sigmarionなど、数々のモバイル機器やモバイルサービスを企画・開発。2013年にNTTドコモを退職し独立した。

いったい誰がPDAを葬ったのか?

――この連載でよく話題になる、「PDAは、なぜなくなったのか」という問いに対し、「sigmarionなど、キャリアブランドのPDAが低価格で提供され、PDAの価格破壊をしたのが原因」という声もあります。

そうですね。ただ、そこには大きな誤解があると思います。

私は1999年から、ドコモブランドのPDAの商品企画開発リーダーとして、「sigmarion」をはじめ、「GFORT」や「musea」など、10数種類のPDAやモバイル端末と、それに関連するサービスを世の中に出してきました。

特にsigmarionは、2000年に発売された後もII、IIIとシリーズ化され、爆発的にヒットしたPDAです。PHSやFOMAなど、ドコモが提供する通信手段のほとんどに対応し、通信カードを挿せばそのまま通信できました。小型ながらタッチタイピング可能なキーボードを備えているため、いつでもどこででもメールやネットが使えるうえ、ディスプレイを開閉するだけで瞬時に起動、終了が可能。それまで起動が遅く、持ち歩くのが困難なノートパソコンで仕事をしていたビジネスマンにとって、理想のモバイル端末でした。

sigmarionが大ヒットした理由には、サイズや機能、使いやすさなどもありますが、その価格に大きなポイントがあります。

sigmarion IIIは、小型ながら、タッチタイピング可能なキーボードを備えているのが特徴だ

sigmarion IIIは、小型ながら、タッチタイピング可能なキーボードを備えているのが特徴だ

当時、キーボード付きのPDAは、10万円程度のものが多かった中で、5万円を切る価格帯で提供しました。実はこれ、携帯電話が普及したのと同じカラクリをPDAに採用して、初めて実現できたもの。つまり、通信事業者がメーカーに対して機器を大量に発注し、スケールメリットとボリュームディスカウントで単価を下げる。また、収益のメインは通信料収入であることから、端末にはギリギリの利益を乗せ、購入のハードルを下げて販売するという、今で言うところの「リカーリング型ビジネスモデル」です。

このビジネスモデルは、新しく市場を開拓するときには、メーカーにとっても、エンドユーザーにとっても、通信事業者にとってもメリットがあり、Win-Win-Winとなる「三方良し」のモデルになります。

20世紀後半は、世界的にもさまざまなビジネスモデルが登場してきた時期であり、PDAも単なるPIM(Personal Information Manager)ではなく、メールなどのコミュニケーション端末として、また、インターネットなどの情報端末として、通信とは切っても切れない存在になることを確信して、そのようなビジネスモデルを採用しました。

一般的に言われているように、端末の価格を無理に下げて、その分を通信費で回収しているというわけではありません。そのため、各端末メーカーには分け隔てなく、通信機能対応のPDAの提案を広く求めました。もちろん、「Windows CE」だけでなく、「Palm」やほかの独自OSのものも開発していました。

したがって、「ほかのPDAメーカーが、価格競争に勝てず、軒並み撤退して、結果的にPDA市場が縮小してしまった」という説は実は逆で、キャリアブランドのPDAが出てきたおかげで、それまで一部のマニアやお金に余力がある人だけのものだったPDAが、やっと世の中に大きく広がり始めたと私は考えています。

sigmarion IIIを手に、当時の状況を説明する入鹿山氏

sigmarion IIIを手に、当時の状況を説明する入鹿山氏

ただし、このリカーリング型ビジネスモデルには穴がありました。通信事業者がリスクを負って端末を大量発注し、薄利で販売する分、安定した通信料収入がともなわなければ、意味がない。つまり、同じ事業者の通信カードを使い続けてもらわなければならなかったのです。そのため、経営トップからは、「もし、他事業者の通信カードで利用されるようなことがあれば、以後、PDAの商品化はストップしろ」と言われていました。

そこで、いろいろ知恵を絞り、いわゆる「キャリアプロテクト」をかけて発売したのですが、やはりマニアとネットの力には勝てず、やがてプロテクトは破られてしまい、ドコモでのPDA開発は、志半ばで終了することになってしまいました。

私が実現したかったのは、どこでもコミュニケーションでき、情報が入手できる便利なツールを、一部のマニアだけでなく、一般の誰でも多くの人々が気軽に使えるという世界。しかし、そのビジネスモデルの根幹が、PDAを愛する熱心なユーザーの手によって破られてしまい、終了してしまったわけです。皮肉なものですね。

その結果、通信機一体型のPDA、つまり現在のスマートフォンへと開発の中心が移ることとなりました。世界的にもこの傾向は同じで、スマートフォンの出現により、PDAや携帯電話(いわゆるガラケー)は、その後、淘汰されていったわけです。

数々の先進的なモバイル端末を精力的に企画・開発

――入鹿山さんは、その後もさまざまなモバイル端末を担当しましたね。

はい。2002年には、カラーのフルブラウザやPIM機能を搭載し、かつiモード端末でもあった、ある意味、世界初のスマートフォンとも言うべき「FOMA SH2101V」(シャープ製)を発売しました。情報を入手したり、メールのやり取りをしたりするにはフルキーボードが必要だということから、このような形になりました。

ただし、通話をするのに、この形とサイズは合わない。そこで、ペン型のウェアラブル子機を標準装備し、その子機でも話せるようにしました。もちろん、親機だけでも使え、親機のカメラで自分を映し、テレビ電話をすることもできました。

「ある意味、世界初のスマートフォンとも言うべき端末」と入鹿山氏が語った「FOMA SH2101V」

「ある意味、世界初のスマートフォンとも言うべき端末」と入鹿山氏が語った「FOMA SH2101V」

電話で話すには、ペン型の子機を使用する

電話で話すには、ペン型の子機を使用する

2003年には、世界初のスマートウォッチとも言うべき「WRISTOMO」(セイコーインスツル製)を発売。現在の多くのスマートウォッチとは違い、本体がPHS端末ですので、これで通話もできたし、メールやネットのブラウズ、それにスケジューラとの連動なども可能でした。しかし残念ながら、これを開発している最中にドコモがPHSから撤退することを決定したため、世の中にはファースト・ロットしか出回っていない、非常にレアな端末となりました。

実は、ドコモの音声通話ができる最後のPHSが、このWRISTOMOなのです。また、当時登場してきたBluetooth搭載のPDAやパソコン用の、ネットのアクセスポイントとして使える次機種も企画し、試作機までは作ったのですが、こちらは、残念ながら発売されることはありませんでした。腕にはめるアクセスポイントですね。

「世界初のスマートウォッチとも言うべきモデル」と入鹿山氏が語った「WRISTOMO」。「試作機まで作ったが、発売されることがなかった」というのが、写真左側のモデル。「Bluetooth」の文字が見える

本体がPHS端末となっていて、このまま電話として使用することも可能だ

本体がPHS端末となっていて、このまま電話として使用することも可能だ

このころ、「これからはウェアラブルの時代が来る」と思っておりましたので、見た文字の翻訳文をすぐに表示し、国境を越えて誰とでもコミュニケーションができるメガネ型端末の「翻訳メガネ(R)」も試作しましたが、残念ながらこれも、商品化にはいたりませんでした。

2005年には、現在のスマートフォンにかなり近いイメージの「FOMA M1000」(モトローラ製)を発売しました。「Symbian OS」を採用し、Operaのフルブラウザを搭載していたため、PC向けサイトを閲覧できました。ディスプレイはタッチスクリーン対応の2.9型TFT液晶で、スタイラスペンで操作する仕様でした。

現代のスマートフォンとほぼ同じ形状をしている「FOMA M1000」。フルブラウザを搭載していた

現代のスマートフォンとほぼ同じ形状をしている「FOMA M1000」。フルブラウザを搭載していた

この3年後、2008年にiPhoneが日本でも発売され、そこから一気にスマートフォンが広まり、今や誰しもがスマホを使う時代になりました。私が30年前から思い描いていた時代が、やっと到来したということになります。

実現したかったのは、誰もが便利なモバイルツールを使える世界

――長年にわたってPDAに関わってきた入鹿山さんですが、その原動力は?

誰でも自由に平等に情報が入手でき、コミュニケーションできる。私が実現したかったのは、そういう世界です。

目が見えない人と、耳が聞こえない人は、どうやってコミュニケーションをすればいいでしょうか。PDAがあれば、この課題は解決できます。

たとえば、2000年10月に発売した「キャスピー」(NTTドコモ)は、音声読み上げ機能を搭載していて、メールやブラウザの文章を音声で読み上げてくれました。だから、目が見えない人でもメールが読めた。耳が聞こえない人がメールを作り、目が見えない人に送る。目が見えない人は、音声で読み上げてもらえばその内容がわかる。そんな具合に、身体に不自由がある人でも、ほかの人と同じように、自由に誰とでもPDAを介して交流できる。そんな世界を目指していました。

メールを音声で読み上げる「キャスピー」

メールを音声で読み上げる「キャスピー」

入鹿山氏は、キャスピーのような端末で、身体に不自由がある人もPDAが使える世界を目指していた

入鹿山氏は、キャスピーのような端末で、身体に不自由がある人もPDAが使える世界を目指していた

だからこそ、一部のマニアやお金に余裕がある人だけが買えるPDAではなく、誰でも買え、誰もが使えるPDAを作りたかった。そのためのキャリアブランドPDAのビジネスモデルだったわけです。残念ながら、PDAではその計画はうまくいきませんでしたが、こうやって今、誰もがスマホを使える時代になって、私の望みは、かなったとも言えます。

――最後に、入鹿山さんにとってPDAとは何ですか。情報を収集するためのものでしょうか。それとも、コミュニケーションのためのものでしょうか。

これまでお話してきたように、私にとってPDAとスマホの違いなどありません。どちらも持ち運んで使える情報&コミュニケーション端末という意味では同じで、むしろこのようなテクノロジーは、自分と「自分以外のモノとの関係性のすべて」に関わってくるものだと思っています。

たとえば、最近は「Oculus Go」(Oculus)などのVR端末が話題になっていますが、これからは、ああいったものを使って空間を共有するのが当たり前になってくるでしょう。そうすれば、家にいたまま世界中の人々と同じ空間で接することができるようになる。そうなるとスマホもいらなくなり、さらにこれからはテクノロジーの進歩で、言語の壁もなくなるし、目や耳や手足の不自由も関係なくなる。

世界中の誰もが、距離や言語や身体の不自由など、あらゆる障がいを、そういったテクノロジーで克服して、自由にコミュニケーションをしたり、情報活用をしたり、コラボレーションできるようになると思っています。PDAはその第一歩だったと私は考えています。

取材を終えて(井上真花)

入鹿山さんの大学での専攻は生物学。生物学では時間のスパンがとても長く、数万年から数億年という単位で考えるそうです。そのせいか、入鹿山さんが見ている未来はいつも、ほかの人よりずっと先の先。入鹿山さんのカバンから取り出されたスマートフォンやスマートウォッチは、いずれも2002〜2003年ごろに開発されたものでした。ざっと考えても、世間より10〜15年は早い。最近、「探偵は早すぎる」というドラマが話題ですが、まさに「入鹿山さんは早すぎる」です。

オフィスマイカ

オフィスマイカ

編集プロダクション。「美味しいもの」と「小さいもの」が大好物。 好奇心の赴くまま、良いモノを求めてどこまでも!(ただし、国内限定)

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