PDA博物館
HPだけではない。ソニーから「LX」が生まれようとしていた

「ソニー製の“LX”はかっこよかったんです」 日本でLXを作ろうとした元ソニー社員が登場

NHKで放映された「懐かしの平成ガジェット鑑定ショー」で、樋口理氏が披露した「ThinkPad 701C」(1995年発売)。発売当時、ディスプレイを開くとフルキーボードが展開されるギミックが話題になった

モバイル黎明期に誕生したPDAをふりかえり、未来へのヒントにつなげる本連載。前回の永津氏(参考:巨大アーケードゲーム「ギャラクシアン3」のために保管用マンション購入。内部を特別公開!)に続き、2019年4月30日にNHKで放映された「懐かしの平成ガジェット鑑定ショー」の出演者に話をうかがった。

今回登場するのは、同番組で「ThinkPad 701C」(IBM)のバタフライキーボードを披露した、樋口理氏。インターネットビジネスの黎明期、タワーレコードの伏谷博之氏やデジタルガレージの伊藤穰一氏とともに、さまざまなサービスの立ち上げに関わってきた樋口氏は、そのかたわらにいつも、数々のモバイル端末を携えていた。(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花)

樋口理氏。アーキタイプ株式会社の創業パートナー(現社外監査役)として、IT・ネット領域のスタートアップの起業支援・育成と、あらゆる企業・団体のネット関連事業の開発・促進をサポートしてきた

日本製の「LX」が発売されていた……かもしれない?

――樋口さんが「平成ガジェット鑑定ショー」で披露したのは、ThinkPad 701Cでしたね。バタフライキーボードが印象的なノートパソコンでした。

はい。番組ではキーボードを開くとき、少しひっかかってしまったんですが、実はスタジオに送っている途中で壊れてしまって。あれ以来、キーボードが開かなくなってしまったんですが、平成最後に、あの勇姿を全国に披露できてよかったと思っています。

――ところで、PDAは使っていましたか?

ええ、使いましたよ。「Palm」はUSロボティクス時代からずっと使っていましたし。実は以前、PDAを作ろうとしたこともあったんですよ。

――PDAを作るって、どういうことですか?

ヒューレット・パッカードの「HP95LX」を、ご存じですよね? 実は、あれと同じものをソニーから出すという話があったんです。

最初にHP95LXの企画を思いついたのは、アメリカのLotusにいたLeon Navickasという人物。彼はある日、「Lotus 1-2-3が動く電卓があったら、ファイナンシャル系の人がすごく喜ぶんじゃないか」と夢想したんです。そこで、自宅のキッチンでバルサ材を削ってモックを自作し、これを作ってくれる電機メーカーを自分の足で探しました。日本では数社訪れたのですが、そこで、ソニーの担当として彼の話を聞いたのが、僕だったんです。

Leonの話を聞いたとき、「それはおもしろそうだ」と思いました。そこで、同僚と一緒に回路を基本設計し、デザインスケッチも作ってLeonのところに持っていったら、気に入ってくれて。もちろん、ヒューレット・パッカードも参加したんですが、彼は「ソニーとヒューレット・パッカード、どちらにもやってもらいたい」と言ったんです。

HP100LX(※画像は「PDA博物館」より)。ソニー版のLXが出たら、どのようなデザインだったのだろうか

HP100LX(※画像は「PDA博物館」より)。ソニー版のLXが出たら、どのようなデザインだったのだろうか

――そんな話は初耳です! 驚きました……。見たかったなあ、ソニーのデザイン。どこかにないですか?

残念ながら、もう手元にありませんが、いかにもソニーというような、かっこいいデザインでしたよ。

Lotusとの金銭面の交渉も合意にたどりつき、では事業化しようということになり、販売元になる「ソニーアメリカ」の営業部門に最終決裁をもらいに行きました。しかし、彼らはまったく乗り気ではなかったんです。いわく、「電卓でヒューレット・パッカードに勝てる気がしない」と。

実は大昔、ソニーも電卓を出したことがあったのですが、あまり売れなかったんですよ。そんなこともあって、この話はお蔵入りしてしまいました。

――それはもったいない。残念です……。

その当時、僕の隣の机では「PalmTop」を企画していて、商品化までこぎ着けたんです。4号機まで出たけど結局、ビジネス的にはあまりかんばしくなかったと聞いています。「HP100/200LX」も同様で、ビジネスとしては難しかったのでしょう。ヒューレット・パッカードが「HP200LX」の販売を中止したのも、仕方がなかったんだと思いますよ。

――なぜ、難しかったんでしょうか?

コンピュータービジネスって、「外部経済」って言いますけど、周辺ビジネスが盛り上げていくもの。たとえば、iPhoneにはアプリストアがあり、さまざまなアクセサリーが販売されていますよね。そういった周辺ビジネスが盛り上がれば、本体のビジネスも盛り上がる。ところが、HP200LXではそれがうまく機能していなかった。

LXより魅力を感じたのは、周辺ビジネスが活発だったPalm

――となると、樋口さんが一番好きなPDAはHP100LXですか?

ところが、Palmなんです。LXはHP100LXまでは使いましたが、HP200LXのころには、すっかりUSロボティクスの「Pilot 1000」に気持ちが移っていて、Palmユーザーになってしまいました。

それからずっとPalmを使っていましたが、特に「Pilot 5000」には愛着がありました。自分でRAMを拡張して、赤外線ポートもつけたりして。COACHの専用ケースも買いました。

一番好きなのは、「Palm Vx」。専用のルイ・ヴィトンのケースがあって、どうしてもそれを使いたかったんです。むしろ、ケースを使うためにPalm Vxを買ったようなものでしたが、気に入ってずっと使っていました。今でも手元に残っています。

樋口氏が所有するPalm群。下段右がUS Robotics社のオリジナルPilot、下段左がスリーコムに買収された後のPalm V、上段がPalm Computing のPalm Vx

――どうして、LXよりPalmが好きになったんですか?

まず、周辺ビジネスがとても楽しかったこと。サードパーティー製アプリがあるのは、うれしかったですね。HP200LXの場合、PCソフトが動くといっても入手するのが難しかったし、そもそも日本語化キットがフリーソフトだったので、なかなか手に入らなかった。

HP200LXにはプリインストールされたアプリがありましたが、アメリカ製だったので、日本の商習慣にあっていませんでした。たとえばアドレス帳ですが、アメリカでは、人の名前を探すときに「ファミリーネーム」でこと足りるので、それをソートする仕組みになっている。ところが、日本では「姓」の「よみがな」による50音順ソートが必須だし、「○○会社の○○の部下で、○○年度入社のあの男性」というような、日本ならではの言い回しもある。LXのアプリでは、そのあたりの使い勝手がよくありませんでした。

その点、Palmにはさまざまなアプリがあるから、使いやすいものを選べばよかった。アドレスもそうだし、スケジュール管理アプリにもいろいろあって。たとえば外資企業で働いていると、タイムゾーンが違う人同士のスケジュール調整が必要になる。Palmには、そういった細かい部分まで補えるだけのサードパーティーアプリが揃っていた。そこが魅力でした。

LXは、ガジェットとしては、いい。あれはプロの道具なんだと思います。ただ、この先の未来を考えると、LXではどうしても弱いところがある。ちょっと拡張性というか、この先のビジョンについていける感じはしませんでしたよね。

さらに、Palmには未来を感じられる余裕があった。たとえば、Mac由来の「Neko for Palm OS」(Palm画面上をイラストで描いた猫が走るアプリ)がありましたよね。それ自体はどうってことはないんだけど、それを見るだけで楽しいし、この先の未来にもついていけそうな気がする。そうすると、そっちのほうが楽しいし、未来を感じる。

僕はどうしても、新しいものに関心を持ってしまう傾向が強いので、おのずと未来を感じられるガジェットに興味を持ってしまう。LXよりPalmが好きになったのは、そういうことだったんだと思います。

長年、IT業界で活躍してきた樋口氏。「未来を感じられるガジェットに興味を持ってしまうのは、生業的に仕方がないんです」

――なるほど。でも、キーボードはどうですか? LXからPalmにして、つらくはなかった?

むしろその逆で、LXのキーボードは小さすぎて使いづらい。僕は、大きくてしっかり打てる感じのキーボードが好きなんです。だから、ThinkPadもバタフライキーボードを使っていたぐらいで。しかし、「Graffiti」はすごかった。あれは、ほとんど速記ですよね。僕にとっては、そっちのほうが書きやすかった。

PDAの命を断ったのは「常時接続」

――なぜ、PDAは終わってしまったのでしょうか?

やはり、ネットワークでしょう。PDAはローカルで使うもので、たまに同期はするけれど、常時接続して使うものではなかった。そこが、携帯電話に負けた一番の理由だと思います。端末は、外部経済やネットワークなど、「つながるもの」の数が多いほど価値が上がるし、結局、そういうものがシェアを獲得していく。

PDAが普及していた時代は「オケージョナリ・コネクテッド」といって、必要なときにつないで同期する運用スタイルが当たり前でした。昔はメールもPOP3でしたよね。そういう時代に、Palmの「HotSync」はとても適していました。

その後、携帯電話で常時接続するというスタイルが登場した。当時、通信速度は遅かったんですけど、それでも常時接続のリアルタイム性は魅力でした。常に最新情報が入手できるようになると、オケージョナリ・コネクテッドでは情報の断絶が起きてしまう。ネットワークにつなぐリッチさと比べると、HotSyncの魅力は色あせてしまう。つまり、PDAは、「常時接続」に命を断たれたんです。

PDAの魅力は、手元にコンピューティングがあるということ。それはそれで愛おしいけど、インターネットに常時接続できるほうが圧倒的に便利だし、パワフル。時刻表ひとつ見ても、配られた時刻表をもとに経路を調べるより、リアルタイムな運行状況を見ながら考えたほうがいい。これはもう、進化の過程で仕方がないことだったんだと思います。

「PDAは手のひらに乗るコンピューター。それはそれで、すばらしいが、常時接続のパワフルさには勝てなかった」

――PDAは「常時接続」に負けたんですね。

PDAを見たとき、「これがネットワークにつながると世の中が変わる」と思いました。僕にとって、それが実現したのは、モトローラの「M1000」でした。UIはよくなかったし、使っていてストレスを感じてしまって結局、挫折したけれど、あのコンセプトはよかった。理想に近いなと思いました。

実際、人の手になじむUIを作るのは難しい。アップルの「iPod touch」が出たとき、「これは別物」と感じました。アップルが考えるUIは、ほかのものとは違う。なんというか、ユーザーの操作へのレスポンスを返すことに、プライオリティを置くような動きになっているんです。「iPod touchに電話が入れば最高」と思ったら、それがiPhoneという形で実現していた。

さらに、ポテンシャルを感じたのがiPad。これを見た時、「極楽1号」がここにあると思いました(参考:1978年“極楽1号”を知っているか? 「月刊アスキー」元編集長がモバイルPCの歴史を語る)。

極楽1号を誌面で見たのは学生時代だったけど、当時の状況から考えて、こんなのはあり得ないと思いました。グラフィックスが動かせるとか、音が出るとか。とても信じられなかった。でも、それが20数年後になって現実の物になりました。やっぱりムーアの法則ってすごいな、と。

誰かが理想の形を思い浮かべる。そこにビジョンがあれば、いつか形になる。Leon Navickasがビジョンを持ってくれたから、LXが生まれたんです。そして、iPhoneやiPadが現実のものとなった。いつだって、誰かのビジョンが、新しい何かを生み出すんです。

取材を終えて(井上真花)

今回、てっきりノートPCの話になると想定して取材に臨んだ私……いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ、樋口さん! LXが日本で作られるはずだったなんて、すごいエピソードをお持ちだったとは! 平成ガジェット鑑定ショーでご一緒したとき、そんな話は一度もされなかったじゃないですか。ほんと、人が悪い。ビックリしすぎて、取材の後半、ほとんど「は〜」しか言っていなかったような……。

今回、記事にはあまり書けませんでしたが、ソニー製のPDAであるPalmTopの話やMagic Linkの話、日本語入力システムの話など、マニア垂涎のネタをたくさんお持ちだった樋口さん。あと3回ぐらい、ご登場いただきたいです!

オフィスマイカ

オフィスマイカ

編集プロダクション。「美味しいもの」と「小さいもの」が大好物。 好奇心の赴くまま、良いモノを求めてどこまでも!(ただし、国内限定)

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