駅の改札機にタッチして通過。手にするのは、SuicaやICOCAなどの交通系ICカードではなく、クレジットカード――。
こうしたクレジットカードの「タッチ決済」で乗車可能な鉄道やバス会社が、各地で増えてきました。国内で初めて試験導入されたのが2020年7月。それから4年以上経過した2024年11月時点で、全国各地の100超の交通事業者が対応済みです(サービスを展開する三井住友カード公式HP参照)。
そして、大阪メトロ、近鉄、阪急、阪神という関西の大手私鉄4社は2024年10月29日、タッチ決済に対応した改札機を548の駅に導入。先行していた南海電鉄も含めると、JRを除く関西圏の私鉄・地下鉄ではほぼ全駅に展開されたことになります。
関東でも、東急電鉄が2024年5月に東急線(世田谷線を除く)で開始、京王電鉄も11月6日から後払い式のタッチ決済乗車のサービスを京王線の全線、全駅で始めるなど、普及の兆しが見え始めています。
「タッチ決済乗車」では、タッチ決済の機能が付帯したクレジットカード、デビットカード、プリペイドカード(あるいは設定済みのスマートフォン)を、改札機の専用端末に触れさせれば乗り降り可能で、クレジットカードであれば運賃はほかのカード利用料金とともに、後日引き落としされる仕組みです。
すでに交通系ICカードが広く利用されている日本で、この新しく出てきた電車やバスの“乗り方”にはどのようなメリットがあるのか。「タッチ決済乗車」の決済プラットフォームを提供する三井住友カードに取材し、まとめました。
クレジットカードのタッチ決済を使って、電車やバスに乗降できるサービスが広がり始めています(写真は東急電鉄提供)
日本でようやく広がり始めたタッチ決済を使った交通乗車ですが、世界の主要都市ではすでに普及が進んでおり、三井住友カードによると2023年11月時点でロンドンやニューヨーク、シンガポールなど世界780超の都市で導入済み。とりわけ、2012年に開催された五輪をきっかけにタッチ決済の普及が拡大したロンドンでは、既存の交通系ICカードを上回る利用率になっているとのことです。
〈クレジットカードのタッチ決済〉
Visaなどの国際ブランドが展開している非接触型の決済方法。対応したカードや、タッチ決済の設定をしたスマホを、店頭の専用読み取り端末に文字通り「タッチ」するだけで決済が完了し、原則、暗証番号の入力も不要。Visa、Mastercard、JCB、アメックス、ダイナースクラブなどの各国際ブランドは普及に力を入れており、Visaだけでタッチ決済に対応したクレジットカードは1億枚に達しています(国内のクレジットカード枚数は約3億枚)。
タッチ決済の対応端末も増加しており、2023年3月時点で180万台。セブン‐イレブン、ローソン、ファミリーマートといったコンビニ、イオン、イトーヨーカドーなどの大手スーパー、マクドナルドやすき家などの飲食チェーンでも利用可能となっています。
ひるがえって日本での「タッチ決済乗車」の状況ですが、2020年7月に国内で初めて、茨城交通が東京駅と茨城県ひたちなか市などを結ぶバス路線で導入。その後、交通系ICカードに対応していない地方のバス会社や鉄道会社を中心に採用する動きが少しずつ広がっていきました。
そして、2021年4月に大阪南部を地盤とする南海電鉄が大手私鉄として初めて試験導入。同じタイミングで福岡市地下鉄、2022年7月には福岡市が地盤の西日本鉄道とJR九州でも展開が始まりました。
現状国内では、交通利用におけるタッチ決済のプラットフォームは三井住友カードのみが提供しており、いずれの交通事業者も同社の「stera transit(ステラ トランジット)」のシステムを活用しています。
普及が進むタッチ決済機能が付いたクレジットカード
「タッチ決済の交通乗車に対してはバス、とりわけ長距離を結んでいたり、空港を結ぶ路線を走っていたりする会社の興味が強い印象です。というのも、こうした路線は運賃が比較的高く、ICカードで残額不足が発生すると車内スタッフによるオペレーションが必要になるため、後払いのタッチ決済乗車への関心が高いのだと考えています」(三井住友カード Transit事業推進部長・石塚雅敏さん、以下同)
「インバウンド需要の高まりを見すえての動きも顕著です。訪日外国人の場合、切符購入や交通系ICカードへのチャージにとまどい、駅員の対応が必要となる場面も少なくありません。訪日客が普段使っているクレカのタッチ決済で乗車できれば、そうした混雑や対応する駅員も減らすことができるからです」
「2021年に大手私鉄でいち早く南海電鉄が導入を決めたのは、同社が関西空港に乗り入れており、コロナ後のインバウンドを意識してのことだと思います。九州を地盤とするJR九州や西鉄の動きが早かったのも同様の理由で、2023年7月に福岡市で『世界水泳』が開催され、多くの外国人がやって来るのを見越した動き」
「大阪メトロ、近鉄、阪急、阪神の関西の大手私鉄4社は2024年内に、全駅にタッチ決済乗車の改札を整備することを発表しましたが(編集部注:2024年10月29日にほぼすべての駅に整備が完了)、4社が地盤とする関西エリアでは2025年に『大阪・関西万博』が開催されます」
徐々に浸透し始めてきたクレジットカードのタッチ決済を使った乗車は、どのような仕組みで運用されているのか。三井住友カードの説明をもとに、まとめてみました。
三井住友カードの資料などを基に編集部作成
たとえばA駅からB駅まで移動する場合、A駅の改札にタッチ決済の機能が付いたカードをタッチすると、クラウド上のサーバーでまずカードのネガチェック(無効なカードでないかどうか)を実施。移動中には追加でカードの有効性(カード番号が存在するか、利用限度枠を超えていないかなど)についても確認。そして、B駅で降車する際には乗車時と同じカードかどうかを判定し、利用者がこのカードを使ってA駅からB駅まで乗車したことがクラウド上でひも付けられます。
ただ、この時点ではクレジットカードの取引は完了しておらず、乗車した日の深夜(終電終了後)に、そのカードの1日の乗車履歴を基に運賃の合計額を計算し、利用額を確定させます。翌日にカード会社に利用データが届き、それを基にほかのカード利用代金とあわせて利用者に請求が届く仕組みとなっています。
「交通系ICカードの場合、入場時に改札機にICカードをタッチすると、A駅で入場したことがカード内のICチップに記録されます。出場時にB駅の改札機をタッチすると、改札機に組み込まれたプログラムを基に『A駅⇒B駅』の運賃を計算。そして、ICチップには残高情報も入っているので、すぐに運賃が引き去られる仕組みとなっています。基本的には、カードと改札機の通信で処理を完結する交通系ICカードに対し、タッチ決済乗車の場合、クラウドシステムを活用しており、利用運賃が確定するのは翌日で『後払い』となる点が大きな特徴です」
一体型の改札機の場合、交通系ICカードとタッチ決済の読み取り部は別々の場所に設置されています。また、当初は対応するクレジットカードはVisaのみでしたが、2022年12月からほかの国際ブランドのタッチ決済にも拡大。現在は、Visaに加え、JCB、アメリカン・エキスプレス、ダイナースクラブ、ディスカバー、銀聯の各ブランドにも対応するようになりました。ただ、どの国際ブランドを使えるかは鉄道事業者によって異なるので、クラウドシステムを開発・運営している「QUADRAC」の公式サイトで確認するとよいでしょう。
福岡市地下鉄のタッチ決済に対応した改札機。交通系ICカードの読み取り部分の手前に設置されています(写真は三井住友カード提供)
こうした決済の仕組みも踏まえて、タッチ決済乗車の特徴はどのような点にあるかを説明していきます。
ひとつ目の特徴として、タッチ決済に対応したクレジットカードであれば、普段使っているカード(あるいは、タッチ決済の設定済みのスマホ)をかざすだけで、電車やバスなどの公共交通機関に乗れる点があげられそうです。
もちろん、交通系ICカードを持っている方も多くいると思いますが、地方を中心に対応していない路線も一定数あり、また当然海外では利用できません。この点、クレカのタッチ決済に対応した交通機関であれば、交通系ICカード未対応の路線や海外でも何の準備もすることなく、そのまま利用できるのは利便性が高そうです。
SuicaやPASMOのようにオートチャージ機能を備えた交通系ICカードも多くありますが、この設定をするには、ひも付け可能なクレジットカードを持っていることが条件(すべてのクレカがオートチャージ可能なわけではありません)。また、オートチャージ対象路線の外に出ると機能しません。対象のクレカを持っていなければ、残高を気にしつつ都度チャージする必要が出てきますが、後払いの「タッチ決済乗車」では、こうしたことを気にすることなく利用可能なのも便利な点と言えそうです。
タッチ決済の交通利用でも、ほかのカード利用と同様に、ポイントが貯まるのもうれしいところです。さらに、Visaや三井住友カードなどは公共交通機関でのタッチ決済利用を積極的に推進しているため、キャンペーンもひんぱんに行っています。
たとえば、三井住友カードは2024年11月18日から12月17日まで、タッチ決済を使って京王電鉄に乗車すると利用金額の半額をキャッシュバック(上限500円)するキャンペーンを実施しています。
タッチ決済を導入する交通事業者は増える見込みで、今後も利用促進を狙って導入開始後の一定期間、こうしたキャンペーンが行われることが予想されます。そうした機会をうまく活用すれば、おトクに電車やバスに乗車できるかもしれません。
江ノ島電鉄で導入されたタッチ決済に対応したポール型改札機(写真は三井住友カード提供)
後払いという点を生かして、降車後の割引きを行いやすいのも「タッチ決済乗車」の特徴です。鉄道会社によっては、特定路線が1日乗り放題となる「1日乗車券」を発売していますが、タッチ決済を活用した同様のサービスも登場しています。
たとえば、福岡市地下鉄では2023年7月から、タッチ決済を使って乗車した場合、1日の運賃上限を640円とするサービスを開始(手続き不要)。同地下鉄では、紙の1日乗車券を同じ640円で販売していますが、こうした乗車券を購入する必要もなく、「結果的に」1日の利用額が640円を超えた場合でも、それ以降の金額が割り引かれるのはメリットと言えそうです。
商業・観光施設と、鉄道利用を組み合わせた特典も出始めています。たとえば、南海電鉄はタッチ決済で乗車したうえで、同じ日に自社が運営する商業施設(「なんばCITY」or「なんばパークス」)で買い物をすると、買い物金額の20%(上限2,000円、抽選制)をキャッシュバックするキャンペーンを過去に実施しました。
「多くの鉄道会社は沿線で百貨店や飲食などの事業を展開しています。鉄道収入が伸び悩む中、これらの事業の収入を伸ばす施策のひとつとして、『タッチ決済乗車』を活用していく可能性はあると思います。たとえば、百貨店では『○円以上購入すると、駐車場料金は無料』といったサービスは一般的ですが、『系列の商業施設で○円以上購入すると、タッチ決済で乗車した○○線の往復運賃は無料』などといった鉄道のサービスが出てくるかもしれません。こうした特典は、ショッピングがメインのクレジットカード(タッチ決済)を交通で活用し、後払いであるからこそ可能なものだと思います」
南海電鉄は、タッチ決済の乗車と「なんばパークス」の買い物を組み合わせたキャンペーンを過去に実施
ここまでタッチ決済乗車の特徴・メリットをここまで説明してきましたが、取材を通して見えてきた課題もあります。一番の課題は、現状、とりわけ首都圏では「使いたくても使える路線が少ない」という点です。
今、バス会社を除けば、首都圏(1都3県)で、これまで紹介してきた「後払い式」のタッチ決済乗車に対応している鉄道会社は、江ノ島電鉄や東急電鉄、京王電鉄などに限定されています。
首都圏での「後払い式」タッチ決済乗車普及のネックになっているのは、大手私鉄のほとんどが「相互直通運転」を行っており、網の目のように張り巡らされた路線網です。
仮にタッチ決済に対応したA社の駅で入場し、未対応のB社の駅から出場する場合には精算などの作業が必要になり、それでは日常使いできるサービスとはとても言えません(東急電鉄が実施している後払い式のタッチ決済の乗車サービスも、同社と相互直通運転を行っている他社線は不参加)。「首都圏でも、関西のように大手私鉄が同時期に対応を始めるのが理想的」(三井住友カード・石塚さん)との説明は説得力があります。
ただ、東京メトロや西武鉄道などが2024年度の「タッチ決済乗車」サービスの試験的導入を発表。さらに、京浜急行と都営地下鉄(浅草線など)は、首都圏で初となる「タッチ決済乗車の相互利用」の実証実験開始(2024年内)を発表しており、これにより羽田空港と都心間でのタッチ決済乗車サービスが始まることになります。このように、徐々にではありますが、首都圏でも「タッチ決済乗車」普及の機運が高まりつつあると言えそうです。
首都圏の多くの大手私鉄は、相互直通運転を行っています
また、改札機におけるタッチ決済の処理速度についての指摘もよくされています。X(旧Twitter)では「タッチ決済で改札を通過してワンテンポ遅れた」などの声も聞かれますが、実際はどうなのでしょう。
三井住友カードの説明によると、Suicaの処理速度は0.2秒。これに対し、改札機でのタッチ決済の処理速度は、店舗などでのタッチ決済とは異なる技術を使用しており、0.25〜0.35秒ほどで、「両者の差を距離に直すと5〜10センチ未満にとどまり、感覚的には交通系ICカードよりは若干の違いを感じるかもしれませんが、遅いと感じるレベルではないと思います。また、新しいカードやスマートフォンの認証速度は上がってきています」(三井住友カード・石塚さん)と言います。
実際に筆者も、東急の渋谷駅に設置された改札機でタッチ決済を使ってみました。交通系ICカードと比べると、改札通過にかかる時間が「ワンテンポ遅い」との感覚は確かにありましたが、朝の混雑時でも周囲の流れをとめることはなく、「処理速度はさほど気にならない」というのが使ったうえでの感想です。
ただ、少し気になったのはタッチのやり方。読み取り可能距離はSuicaが10センチなのに対し、クレカのタッチ決済は4〜5センチと短くなっています。Suicaの場合、「読み取り部に軽く近づける」という感覚で使えば改札を通過できますが、タッチ決済では「より深くタッチしないと反応してくれない」という印象を持ちました。
東急渋谷駅に設置されている、タッチ決済に対応した改札機(写真は2023年8月に東急電鉄が開催した撮影会での模様)
以上、各地で広がり始めた「タッチ決済乗車」の概要・メリットについて説明してきました。
タッチ決済機能付きのクレジットカードが急速に普及する中、日常的に使っているカードで電車・バスに乗れるのは大きな利点と言えそうです。また、後払いの特性を生かした上限運賃や、商業施設と連携した割引きなどは、これまであまり目にしなかった鉄道利用の特典で、魅力的に映るユーザーもいるでしょう。
もちろん、既存の交通系ICカードの国内の累計発行枚数は約2億枚と私たちの生活にかなり普及しています。この新たに出てきた「タッチ決済乗車」のサービスが、それらとすぐに取って代わる可能性は低そうです。三井住友カードの大西幸彦社長も「交通系ICカードとは共存」(2022年8月実施の事業説明会)と強調しており、当面は交通系ICカードが満たせないニーズ・エリアをカバーする形で広がっていきそうです。
とはいえ、2001年のSuica登場以来、交通系ICカードが電車やバス乗車の決済をほぼ独占してきた中、「身近なクレカを活用したもうひとつの選択肢」が登場してきたのは、私たちの生活にも結構なインパクトがありそう。変化を先取りする意味でも、タッチ決済機能が付帯したクレカをお持ちで、機会があればぜひ一度体験してみてはいかがでしょうか。