日本のバイク文化を牽引してきた4大メーカーのひとつ、ヤマハの歴史的名車バイクをはじめ、トヨタなどのメーカーにエンジン提供を行った自動車など、ヤマハに関わる60車種以上が並べられた「歴史車両デモ走行見学会2018」が、2018年11月3日に開催された。ヤマハファン、バイク好きにはたまらないイベントだが、入場できたのはチケットをゲットできた1500名のみ。静岡県・袋井テストコースという少々アクセスがめんどうな場所だったにもかかわらず、そのチケットは販売開始20分で完売したという。そんな熱気に満ちたイベントに展示されていた注目の車両をいくつか紹介したい。1980年代のバイクブームの頃に青春時代を過ごした人はもちろん、それ以外の世代の人にも心に刺さるモデルがきっとあるはずだ。
楽器メーカーであるヤマハから、1955年に分離してできたヤマハ発動機。バイク以外にも、自動車用のエンジンやボート、船外機、スノーモービル、除雪機、電動アシスト自転車など幅広い製品を展開しているが、その名を高めたのはやはりバイクだ。まずは、ヤマハの歴史の中でも重要な意味を持つモデルを見ていただきたい。
ヤマハ初となる2輪車「YA-1」は当初「楽器屋の作ったバイク」と揶揄されることもあったが、当時、注目を集めていたレースに参戦したことで評価が一変。デビューした年に富士登山レースで優勝し、同年に行われた浅間火山レースでは1〜4位までを独占するという成績を収めたのだ。123ccの空冷2ストローク単気筒エンジンを搭載したYA-1は最高出力5.6馬力。スリムな車体と相まって軽快な走行性能を発揮し、ホンダをはじめとする数々の先行メーカーのマシンを抑えて勝利していく姿は、多くの人を魅了した。
外観の美しさも人気を集めたポイント。「赤とんぼ」の相性で親しまれた
卵型のクランクケースに黒のシリンダーが映えるエンジン。白色のステップのラバーが車体カラーとよいコントラストを作り出している
ライトに埋め込まれたメーターやハンドルの曲線も繊細さを感じさせる
レースでの活躍で名を馳せたヤマハが初めて手がけたスクーター「SC-1」は、175ccの空冷2ストローク単気筒エンジンと、4輪のオートマチック車などに採用される2段変速のギアとトルクコンバーターを組み合わせる仕組みを採用。エンジンからの駆動力伝達に、チェーンではなくシャフトドライブを採用していたのは当時としては先進的であった。それでいて、見た目はかわいく繊細。現在でも同社の柱のひとつとなっているデザイン性の高いスクーターの原点といえる。
今見ると、逆に新しく感じるデザインだ。タンデムシートを装備し、2人乗りも可能
リアビューもなかなか魅力的。テールランプをメッキの枠で囲うなど、細かい個所にもこだわりが感じられる
2ストロークエンジンを搭載したバイクを生産してきたヤマハが、初めて排気量の大きな4ストロークエンジンを搭載してリリースしたのが「XS-1」だ。653ccの排気量を持つ2気筒エンジンは、当時の英国車などが採用していたシリンダーが直立した「バーチカルツイン」とされ、初めての4ストロークエンジンとは思えないほどのスムーズさを実現した(ただ、バランサー構造を持たなかったため、振動はすごかったらしい)。デザインの美しさも魅力的で、キャンディグリーンのカラーリングは今でもファンが多く、のちに「SR400」というモデルで再現されたほどだ。
光の当たり方で絶妙な輝きを放つカラーリングは、現在に至るまでファンが多いのもうなずける
エンジンの造形も美しく、個人的にはもっともかっこいい4ストエンジンのひとつだと思っている
続いては、1974年生まれの筆者がバイクに乗り始めた頃に憧れた1980〜90年代前後のバイクブーム時代のマシンを見ていこう。この時代のヤマハとホンダの製品開発競争は「HY戦争」と呼ばれるほど熾烈だったが、そのおかげで国産バイクは世界一の性能を獲得したといっても過言ではない。ここで紹介するモデルは、当時を知らない人でも車名を聞いたことはあるくらいの名車ぞろいだ。
ヤマハの代名詞的な存在である「SR」シリーズの初号機「SR500」は4ストローク単気筒の499ccエンジンを搭載し、当時としてもパワフルとは言えないマシンであった。しかし、軽量・スリムで“これぞバイク”というオーソドックスな車体で走る楽しさを体現し、多くのファンを獲得。カスタムのベースとなる車両としても人気を集めた。同年に発売された399ccモデルの「SR400」も人気ではあったが、大型自動二輪免許がないためSR500に乗れなかったオーナーは、SR500を羨望のまなざしで見ていたという。
実際に走らせると400ccモデルとはひと味違った速さを感じられる。なお、「SR400」は現在も販売が続くロングセラーモデルだ
初期型はディスクブレーキだったが、レトロなイメージに合わせてドラムブレーキに変更。そして再び、ディスクブレーキに戻るというめずしいモデルチェンジ履歴を持つ
当時、排出ガス規制の厳しさが増す中で、今後の生産が危ぶまれた2ストロークエンジンを搭載し、レーシングマシン譲りの高性能な足回りを組み合わせた高い走行性能で爆発的な人気を博した「RZ250」は、ヤマハのバイクの中でもっともエポックメイキングなモデルと言える。のちに続くレーサーレプリカブームという大きな流れを生み出したモデルでもあり、2ストロークエンジンが結果的には2000年代まで生産され続けたのもRZ250の存在が大きいだろう。 なお、同じ車体に350ccエンジンを搭載した「RZ350」も同時に発売されている。
実は筆者も1台所有しているが、今でも「譲ってくれ」と各方面から声がかかるほどの人気だ
水冷2ストローク2気筒エンジンは35馬力を発揮。音や振動が少なく、パワーバンドに入ると異次元の加速感を味わうことができる
上で紹介した「RZ250」はレーサー譲りのメカニズムを搭載していたとはいえ、カウルのないデザインだったため、本格的なレーサーレプリカブームを牽引したのは「TZR250」だろう。ヤマハのレーシングマシンである「TZ」の名を用いていることからも、その本気度が伝わってくる。1985年に初期型が登場し、1988年にはメッキシリンダーやラジアルタイヤを装備した「2XT」と呼ばれる新型にバトンタッチ。それ以後、1989年に後方排気型のエンジンを搭載した「3MA」、1991年にはV型の「3XV」と目まぐるしく進化していった。
フルカウルに並列2気筒の2ストロークエンジンを搭載し、45馬力を発揮した「1KT」型の「TZR250」。筆者の友人も乗っていたが、おそろしく速かったことを鮮明に覚えている
1991年にV型2気筒へと進化。途中、最高出力の自主規制値が変わり40馬力にパワーダウンしたものの、1999年まで生産され続けた。このマシンに限らず、この時代の250cc2ストロークレーサーレプリカは現代でも通じる速さを持ち、いまだに人気が高い
「RZV500R」は、2ストロークのレーサーレプリカとして忘れてはならない存在だ。当時の世界GPの最高峰クラスに参戦していたワークスマシン「YZR500」のエンジンを再現したV型4気筒500ccの2ストロークエンジンを搭載し、64馬力を発揮。車体をフルカバーするカウルを装備し、後方から見える4本出しのチャンバー(2ストの排気管のこと)も見る者の心を熱くさせた。当時は400ccオーバーのマシンに乗るための大型自動二輪免許(その頃は、免許の中型限定がなくなることから「限定解除」と呼ばれていた)の取得が難しかったこともあり、販売台数は多くなく、今となってはかなり貴重なマシンである。
2ストロークのV型4気筒500ccなど、公道走行可能なマシンとしては今後市販されることはないだろう。そうした意味でも、真のヘリテイジと言えるマシンだ
ワークスレーサーと同じ4本出しの排気管。限られたスペースにV型4気筒エンジンを詰め込むために、前後のシリンダーで吸気方式を変えるなど、さまざまな苦労の跡がうかがえる
ヤマハというと2ストロークエンジンのイメージが強いが、4ストロークでも記憶に残るマシンをいくつもリリースしている。その中の1台が「YZF-R1」だ。すでに2ストロークのスポーツマシンが姿を消すことが決定的になっていた時期にリリースされたYZF-R1は、来たる4ストローク時代に向けてのヤマハの回答だったのではないだろうか。177kgという中型バイク並みの軽量な車体に、150馬力を発揮する1,000ccの4気筒エンジンを搭載。ハイパワーで直線が速いだけでなく、カミソリと形容される俊敏なコーナーリング性能を誇った。
フルカウルをまとっているが、この時代からはレーサーレプリカではなく「スーパースポーツ(SS)」と呼ばれるようになり、各メーカーから高性能なモデルが続々リリース。その流れは現在も続いており、「YZF-R1」も8代目モデルが販売されている
「V-MAX」も4ストロークマシンとして外せない。1,200ccのV型4気筒エンジンを搭載し、145馬力でゼロヨン(0-400mの加速)10秒台というスペックを誇ったモンスターマシンだ。アップライトなライディングポジションはアメリカンバイクを思わせるが、ほかに似たもののないマッチョなデザインで独自のジャンルを築いた。細かいマイナーチェンジは行われたものの、基本設計やデザインは変わらないまま2008年まで生産され、第2世代モデルに移行。そのモデルは2017年まで販売された。
エンジン上のエアダクト(実はダミー)からエンジンに吸気が導かれるようなデザインで、パワフルさをアピール。ガソリンタンクはシート下に配置される
2輪車メーカーとして認知されているヤマハだが、自動車のエンジンも手がけており、一時期はジョーダンやティレルなどのF1チームにエンジンを供給していたこともあるほどだ。ほかにも、トヨタのフラッグシップモデルやレクサスの一部のスポーツカーにもそのエンジンは採用されていた。現在、公式に自動車のエンジンを提供しているという情報はないが、展示会などではコンセプトモデルが出品されていたりするので、今後が期待される。
ヤマハが自社で4輪車を開発し、市販直前まで行ったモデルがあることをご存じだろうか。それが、「OX99-11」と呼ばれたマシンだ。F1のエンジン技術をフィードバックしたV型12気筒3,500ccのエンジンを搭載し、カーボンファイバーを多用したボディはわずか850kg。車体中央にドライバーズシートが配置され、まさにF1にボディカバーをかぶせたようなマシンだった。1992年に発表会が行われ、1994年に市販予定となっていたが、バブル崩壊後の不景気もあって市販は断念され、幻のマシンとなる。予定価格は100万ドル(当時のレートで約1億3000万円)とされ、450馬力で最高速度は350km/hとアナウンスされていたモンスターマシンだ。
中央のコックピットにドライバーが座り、レーシングマシンのような走行性能を実現
エンジンは当時のF1と同じ3,500ccのV型12気筒で、ミッドシップに搭載。サスペンションのレイアウトもF1を思わせる
現存するのは3台のみとのことだが、この日はその3台が顔を揃え、そのうち2台は元気にデモ走行を行っていた。レーシングマシンのような咆哮がたまらない!
国産車としては唯一、ボンドカーに選ばれたことでも知られる名車「トヨタ 2000GT」のエンジンもヤマハが手がけたもの。トヨタ製の6気筒エンジンをベースにヤマハがDOHC(カムシャフトが2本あるヘッド構造)化を担当。トヨタの開発陣がヤマハの研究所に出張するかたちで開発が進められ、エンジンだけでなくボディ(シャシー)の細部にもヤマハのノウハウが投入されているという。生産台数はわずか337台と、世界的にも貴重なマシンだ。
エンジンの設計だけでなく、製造もヤマハの磐田工場で行われた縁の深いマシン。現在も磐田のコミュニケーションプラザに所蔵されている
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レクサスが2010〜2012年にかけて限定500台で販売した2人乗りスポーツカー「LFA」のエンジンもヤマハ製。V型10気筒4,800ccのエンジンは、560馬力を発揮した。なお、このマシンにはヤマハ発動機のほか、楽器メーカーのヤマハもサウンドチューニングに参画しているのがおもしろいところ。ハイパワーエンジンにありがちな爆音ではなく、官能的なエンジンサウンドを響かせるのが特徴だ。
サウンドを車内に響かせるためにヤマハの音響技術が使われたというそのエンジン音をイベントでは聞くことができたが、楽器のようで思わず聞き惚れてしまった
紹介しきれなかったその他の車両を掲載しておく。ぜひ、あの頃を思い出しながら見てほしい。
タンク一体式のモノコックフレームを採用した、ヤマハ初のモペッド
最初に紹介したヤマハ初の2輪車「YA-1」の排気量を4ccアップした上位モデル。「黒トンボ」と呼ばれていた
国産初のモノブロックキャブレターを採用した「YC-1」は、富士登山レースで1〜5位を独占する活躍を見せた
ホンダ「スーパーカブ」と並んで国産ビジネスバイクのヒット作となった「Mate」には、ヤマハらしく2ストロークエンジンが搭載された
ヤマハ初のトレールバイク(山道を走るバイク)として、このジャンルを開拓したのが「DT-1」だ
5ポートの246cc2ストロークエンジンを搭載した「DS-6」は、スポーツマインドあふれる走りとデザインが人気だった
空冷2ストローク246ccのエンジンを市販レーサー譲りのフレームに搭載し、軽快な走りを実現
高性能なDOHCエンジンを搭載した、4ストロークの「TX500」
女性向けに開発された「Passol」は、軽量で自転車感覚で乗れるスクーターとして爆発的ヒットに!
49ccの空冷2ストロークエンジンを搭載した「POCKE」。写真はミッドナイトスペシャルと呼ばれる限定モデルだ
653ccの4ストローク4気筒にターボを組み合わせた「XJ650T」は、トヨタのレース用ターボを開発したノウハウを応用
「RZ250」の後継モデルである「RZ250R」。市販モデル初の排気デバイス「YPVS」を装備した
レプリカブーム真っ最中に発売された「SDR」は、200ccの単気筒エンジンをスリムな車体に搭載。今でもマニアックな人気を誇る