SF(サイエンス・フィクション)小説とは、科学的な空想に基づいて描かれるフィクション小説のこと。熱狂的なファンがいるジャンルで、小説をベースに映画化されている作品も多い。大抵の書店にSF小説の専用コーナーが設けられているので、「読んだことはないけど見たことはある」という人も多いかもしれない。
本記事では、SF小説の魅力に取りつかれて約30年の価格.comマガジン編集者が、これまでの読書歴から、深い感動をもたらし、人生観をも変えた至極の10作品を厳選して紹介する。
「SF小説を読んだことがないけど少し興味はある」という人はもちろん、「最近SF小説はご無沙汰」という人も含めて、ぜひご一読いただき、SF小説の魅力を少しでも(ご無沙汰の人は改めて)感じていただけたら幸いである。
約30年かけて500冊ほどSF小説を読んできた中からマイベスト10を紹介する
選者/価格.comマガジン編集部 真柄
10代のころにSF小説の面白さに目覚め、これまで約30年の間に、国内外のSF小説を500冊程度読破。よく読むのは凝った設定のハードSFだが、ユーモアのある作品も好み。SF小説以外では国内外の純文学も少々たしなんでいる。
SF小説に限らず、SF漫画やSFアニメ、SF映画など頭にSF(サイエンス・フィクション)が付くジャンルは多く、SFという言葉自体は広く知られている。
ただし、SF小説については、SF漫画やSFアニメなどとは異なり、ハードルが高いと感じている人もいるのではないだろうか。サイエンス(科学)という言葉にアレルギーがある人からすると、その言葉を聞いただけで「物理とか数学とか出てきて難しそう」と拒否反応を示すかもしれない。
確かに、SF小説は、宇宙や物理、化学、生物、工学、医学といった科学的な要素が強く、難解な言葉や専門用語が出てくる場合もある。特に海外SF小説はその傾向が強く、作品の背景にある宗教描写と翻訳の難しさもあって、とっつきにくいところがあるのは事実だ。
しかし、SF小説の真の魅力は、そうしたディテールではなく、宇宙や地球、人類といった壮大なテーマで物語が描かれることにある。もちろん、科学的なアプローチによって世界観に深みが出る面はあるが、多くの作品は、小説としてエンターテイメントとして面白く読めるように仕上がっているのだ。
ちなみに、選者が本格的なSF小説を初めて読んだのは高校1年生のころ。アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」という作品だ。スタンリー・キューブリック監督の傑作SF映画の原作である。映画のすさまじい映像美に感動し、「この作品のことをもっと知りたい!」と思ったのがきっかけで小説版を読んだというわけだ。
ただ、当時、ちゃんと理解して読み終えたのかどうかは怪しいところ(今でも完全に理解しているかどうかは微妙……)。それでも、作品の世界観は十分に楽しめたと思っている。
つまり、SF小説を楽しむのに科学的な知識は必要ないと言っていい。もちろん知識があったほうが面白く読めるものもあるが、無理に理解しようとしないことが、SF小説を楽しく読めるコツではないだろうか。
アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」。高校生のころに購入した文庫本を今でも大切に保管している
前置きが少し長くなったが、ここからは極私的なSF小説ベスト10を紹介していこう。正直なところ、10作品に絞りきるのは難しく、厳選に厳選を重ねて、「これはどうしても紹介したい!」というものをまとめてみた。
左:「幼年期の終り」 著者:アーサー・C・クラーク/訳者:福島正実/出版社:早川書房、右:「地球幼年期の終わり」 著者:アーサー・C・クラーク/訳者:沼沢洽治/出版社:東京創元社
海外SF小説を読んだことがない人でも、アーサー・C・クラークという名前は聞いたことがあるのではないだろうか。同氏はイギリス出身の作家で、科学技術に関する知識を、宇宙や人類などをテーマにしたスケールの大きな物語に昇華するハードSFの開拓者である。20世紀最高のSF作家のひとりだ。
クラークの魅力をひと言で言えば「ビジョンの深さ・大きさ」だと思う。人類を超越した存在を描くのがうまく、そのなかに絶対的な“リアリティー”をともなうのがほかの作家とは違うところだ。
古典SF小説の中には、書かれてから何十年も経過していることもあって、生真面目に読んでしまうと「どこかウソくさい」と思ってしまうものがあるのも事実。だが、クラークの作品はその文学的な描写によるところも大きいのかもしれないが、SF的な設定に対して突っ込みどころがない(正確に言えば少ない)。クラーク自身が科学者であり、科学的根拠に基づいている設定が多いのも大きいのだろう。
本作「幼年期の終り」は、突然地球に現れた高度な科学技術を持つ異星人が地球人を管理していくことからスタートする。異星人は地球を侵略するわけではなく、姿を見せずに友好的に技術を提供してくれる。やがて地球はユートピアのようになっていくが、実は異星人の真の目的は別のところにあった……、というのが大筋のストーリーだ。今で言うところのシンギュラリティー(技術的特異点)を描いたとも言われており、米国での出版から約70年が経過した2023年に読んでも、ストーリーに古臭さは感じられない。
クラークに並ぶSF作家はいるかもしれない(これから出てくるかもしれない)が、超えるのは難しい。そう思わせるSF小説の最高傑作のひとつだと思う。
なお、本作は早川書房、東京創元社、光文社から出版されており、それぞれに翻訳者が異なる。翻訳者による細かい描写の違いを読み比べてみるのも面白いだろう。
「鋼鉄都市」 著者:アイザック・アシモフ/訳者:福島正実/出版社:早川書房
アイザック・アシモフは、アーサー・C・クラークと同様、海外SF小説を語るうえで欠かせない存在だ。旧ソビエト連邦で生まれた後、アメリカに移住し、コロンビア大学在学中に作家活動をスタート。作家活動の傍ら大学で生物学の講師を務めるという科学者としての顔を持ち、生物学以外にも物理学や天文学、神話学、地理学などにも精通した、博識な作家としても知られている。
豊かな知識を生かしたアシモフの作品は実に多彩だ。有名どころでは、現代のロボット工学にも影響を与えた「ロボット工学三原則」が登場する「ロボットシリーズ」や、ハードSFとスペース・オペラ(宇宙空間を舞台にした冒険活劇)の世界観を融合した「ファウンデーションシリーズ」などがあるが、選者的に最高傑作だと思うのはロボット長編小説の「鋼鉄都市」だ。
この作品は、宇宙に進出した人類の子孫で、地球人を超える科学技術を持つ宇宙人「スペーサー」が、「鋼鉄都市」と呼ばれるドームの中で生活する80億の地球人を支配している近未来を描いている。地表でスペーサーが何者かに殺される事件が発生し、その事件を主人公の刑事(地球人)と、相棒のロボット(スペーサーが作った人間と区別が付かないヒューマノイド)が共同で解決していくとことから物語はスタートする。ミステリー要素を含んだロボットSFという、多才なアシモフだからこその作風が非常に面白い。
なお、続編として「はだかの太陽」と「夜明けのロボット」という作品がある。さらに、本シリーズと「ファウンデーションシリーズ」との融合が図られている「ロボットと帝国」という作品も。このように、読み進めるうちに複数の作品がつながっていくのもアシモフSFの魅力だ。
「月は無慈悲な夜の女王」 著者:ロバート・A・ハインライン/訳者:矢野徹/出版社:早川書房
ロバート・A・ハインラインは、アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフと並ぶ、海外SF作家の3大巨匠のひとり。アメリカの作家で、人間模様や社会情勢を描くのがうまく、また作品によって作風がガラッと変わるのも特徴だ。一貫しているのはストーリーテラーとしての巧みさで、どの作品も読み始めると止まらない面白さを持っている。海外SF小説の初心者におすすめできる作家でもある。
SFファンの間では、タイムトラベル小説の名作「夏への扉」をハインラインの最高傑作にあげる声が多いと思うが、SF小説として最もハインラインらしさを感じるのは、月の独立戦争を描いた「月は無慈悲な夜の女王」ではないだろうか。少々ポリティカルな描写も散見されるが、今読み返してみても、本作がベストと思える。
本作は、2076年の月と地球が舞台。月は地球の流刑地として植民地化されていて、月の移住民(月世界人)は刑期を終えても地球に戻れず、地球人から搾取される生活を強いられている。やがて月で暴動が起き、月世界人は地球からの独立を宣言し、戦争が始まる……というストーリーラインだ。戦争において自意識を持つコンピューター(今でいうAI)が活躍するという、まさにこれから本当に起こりそうな未来を1960年代に描いているのが興味深い。600ページを超える大作だが、圧倒的に不利な情勢から勝ち上がっていく様子が爽快で、一気に読めてしまう。
ちなみに、宇宙戦争がテーマの本作「月は無慈悲な夜の女王」と「宇宙の戦士」の2作品は、富野由悠季氏がアニメ「機動戦士ガンダム」を制作するうえでその世界観を参考にしたと言われている。確かにそう思わせる設定や描写は多いので、「ガンダム好き」なら読んでおいて損はないはずだ。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」 著者:フィリップ・K・ディック/訳者:浅倉久志/出版社:早川書房
フィリップ・K・ディックは前衛的な作風が特徴のSF作家だ。現実と虚構が曖昧になって、やがて現実が崩壊していく独特の世界観(ディック感覚)が特徴で、読み進めていくと酩酊感のようなものに襲われる。この感覚こそがディック作品の最大の面白さだ。
本作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の舞台は、第三次世界大戦後の荒廃した地球。ロボット技術と放射能汚染が進んだ地球では生きた動物を所有していることが地位の象徴になっているが、主人公の警察官リック・デッカードは人工の電気羊しか持っていない。そこでリックは本物の動物を手に入れるため、火星から逃亡してきた8体の奴隷アンドロイドにかけられた莫大な懸賞金を狙って決死の狩りを始める……というストーリーだ。
物語のポイントは、リックがアンドロイド狩りの中で、人間と変わらない感情を持つアンドロイドと、反対にアンドロイドのように冷たい人間に出会い、人間とアンドロイドの境界がわからなくなっていくところ。読み進めていくと、読者もリックと同じ感覚に陥り、「人間とはいったい何なのか?」と自分自身に問いかけることになるだろう。
個人的には、人間とアンドロイドを見分ける「フォークト=カンプフ感情移入度測定法」などSF的なギミックがとても好きだ。ディテールのセンスが抜群なのもディックの魅力である。
なお、ご存じの人もいるかと思うが、本作はリドリー・スコット監督の映画「ブレードランナー」の原作だ。ディックの作品の中では比較的読みやすいので、「初めてのディック」としてもおすすめしたい。
「猫のゆりかご」 著者:カート・ヴォネガット/訳者:伊藤典夫/出版社:早川書房
カート・ヴォネガット(カート・ヴォネガット・ジュニア)は現代アメリカ文学を代表する作家のひとり。選者にとっては、SF作家という枠組みに収まらず、小説家・エッセイストとして最も好きな作家のひとりでもある。
ヴォネガットの魅力は、何と言ってもシニカルでユーモラスな視点と筆致にある。文明や社会(米国)に対する批判、皮肉、絶望、愛情が入り混じったウィットに富んだ語り口は、SF小説としては異質と言っていいだろう。リズミカルで心地よい音楽を聴いているような軽快な文体と、短い章をつなげる断章形式も独特のもので、文学作品としての評価も高い。村上春樹氏など日本の多くの作家もヴォネガットから影響を受けている。
選者がヴォネガットを知ったのは高校2年生のころ。クラークやハインラインといった巨匠の小説に触れていくなかで、「ちょっと違ったSFが読みたい」と思い、書店のハヤカワ文庫のコーナーで、裏表紙のあらすじをチェックして何となく面白そうと思ったのが、本作「猫のゆりかご」だ。ページをめくって早々に「本書には真実はいっさいない」という一文が書いてあって、思わず吹き出してしまったのを今でも覚えている(そして即購入を決めた)。
本作は、世界のありとあらゆる水を氷に変えてしまう「アイス・ナイン」という物質と、「ボコノン教」という架空の宗教をめぐる物語だ。宗教と聞くと身構えるかもしれないが、安心してほしい。「ボコノン教」は、まったくのでたらめな宗教で、実在する宗教に対するアンチテーゼとして描かれている。
そして、本作では、この「ボコノン教」が読者に真実と非真実に関する示唆を与えてくれる。読後、冒頭に書かれている「本書には真実はいっさいない」という言葉の本当の意味を理解し、救われるような気持ちになることだろう。選者はまじめに生きすぎていると感じたときに、本作を読み返すようにしている。ある意味、選者にとっての教典のようなものなのかもしれない。
「ブラッド・ミュージック」 著者:グレッグ・ベア/訳者:小川隆/出版社:早川書房
グレッグ・ベアは、ファンタジーやハードSFで多くの傑作を残している、アメリカの作家。本作はベアの出世作で、1980年代の「幼年期の終り」と評される、ハードSFの傑作だ。SF小説として初めて分子ナノテクノロジーを扱った作品と言われている。
物語は、米国のバイオ企業に勤める遺伝子工学の天才研究者ヴァージル・ウラムが、遺伝子操作によって自分のリンパ球から知性のある細胞「ヌーサイト」を作り出すことから始まる。しかし、あまりに危険な細胞であるため、会社からは研究の中止を命令されてしまう。ラウムは「ヌーサイト」をみずからの血液に注入して研究所から持ち出してしまうのだが、これがやがて人類を巻き込んだ壮大な進化へとつながっていく……という流れだ。
この作品の肝として押さえておきたいのが、作中に登場する「情報力学」という概念。簡単に言えば、「人間など知的生命体の観測によって宇宙の法則は変わる」「宇宙はより妥当な理論に従うように設計されている」というもので、この「情報力学」によって物語は説得力のある形で進んでいく。
本作を改めて読んでみて、確かに、人類のメタモルフォーゼを壮大なビジョンで描いているのは「幼年期の終り」に通じるものがあるが、バイオハザード的なアプローチがある本作は、どちらかというとエンタメ寄りで、文学的な香りが強い「幼年期の終り」とは雰囲気が大きく異なると感じた(結末も異なる)。ただ、「幼年期の終り」の影響を受けていると思われるところはあるので、できれば先に「幼年期の終り」を読んでおくと、本作をより深く楽しめるだろう。
「宇宙消失」 著者:グレッグ・イーガン/訳者:山岸真/出版社:東京創元社
SF小説のオールタイムベストを選出するとなると、どうしても1950〜70年代のSF黄金期に活躍した海外作家の作品が多くなってしまうのだが、現役作家の中にもすぐれた才能を持つ人は大勢いる。そのなかで、現役最高のSF作家のひとりとして紹介したいのが、グレッグ・イーガンだ。オーストラリアの小説家で、量子力学やナノテクノロジー、哲学などを織り交ぜて組み立てていく巧みな構成力と文章力は現役作家の中でも群を抜く存在である。
本作「宇宙消失」は、1992年に出版された本格的なハードSF。舞台は2034年の地球で、謎の球体「バブル」が太陽系全体を取り囲んで、地球の夜空から星が消えるという衝撃的な出来事から物語はスタートする。その後、33年の時を経て、元警察官で個人調査員のニック・スタヴリアノスが、病院から消えた女性の捜索依頼を受ける。あらすじを紹介するだけだと、つながりのない出来事が続くわけなのだが、量子力学を大胆な解釈で絡ませていくことで、最終的に「バブル」の謎につながっていく。SF小説でしか味わえないこの流れが本作の魅力であり、秀逸なところだ。
作中には、さまざまなSF的な設定が登場するが、そのなかで特に重要なのが、人格を変えるテクノロジー「モッド」。脳に直接埋め込めるソフトウェアで、ニックは闇の組織「アンサンブル」から恐怖を感じない「モッド」を埋め込まれ、洗脳されていくのだが、この洗脳に対する解決方法も見どころのひとつだ。
イーガンの作品は、SFの要素が幅広く詰め込まれており、非常に複雑だ。そのため、読み進めるのが少々難しいのだが、この作品は比較的読みやすく、世界観を理解するのもたやすい。イーガン入門にもってこいの1冊だ。
「第四間氷期」 著者:安部公房/出版社:新潮社
安部公房は日本を代表する純文学作家であるとともに、すぐれたSF作家でもある。1948年に東京大学医学部を卒業した後、1951年に「壁」で芥川賞を受賞。実験的かつ前衛的な作品が多く、そのシュールな世界観は国内だけでなく海外でも高く評価されている。
選者も安部公房は大好きで、「壁」「砂の女」「箱男」などを読んできた。そんな安部公房の作品の中でも特にSF色が強いのが「第四間氷期」だ。小松左京も筒井康隆もまだデビューしていない1959年発行の本格的な長編SF小説で、まさに国内SF小説の記念碑的な作品である。
本作のストーリーは、未来を予言する電子頭脳「予言機械」を開発した主人公の勝見博士が、テストとして平凡な中年男の未来を予言しようするところから始まる。ハプニングによって事態は思わぬ方向に行き、「予言機械」は人類の苛酷な未来像と、勝見博士の受け入れられない運命を明らかにしていく……という内容。60年以上前の作品で、今で言うところのAIをテーマにしたような作品であることに驚かされるが、本作の本質は、現在と未来の対峙だ。「現在の価値基準で未来を判断してよいのか?」というのが一貫したテーマであるように思う。
なお、本作は全体的に会話調で話が進んでいくため、複雑な言い回しが多い安倍公房の小説の中では比較的読みやすい。
「残像に口紅を」 著者:筒井康隆/出版社:中央公論新社
筒井康隆は、星新一、小松左京と並んで、日本のSF御三家と称される作家だ。パロディーやブラックユーモアを得意としているが、エンタメや純文学も手掛けており、作風の幅の広さが魅力でもある。代表作は「時をかける少女」「夢の木坂分岐点」「文学部唯野教授」「朝のガスパール」など。
そんな筒井康隆のSF小説から1冊を選ぶのは非常に難しいが、選者が読んだものの中では、「残像に口紅を」を推したい。本作は1989年に出版された実験的な長編小説。主人公の小説家・佐治勝夫自身がこの小説の登場人物であることを理解しているメタフィクションで、物語が進むたびに日本語の音(おん)がひとつずつ消え、その音が含まれる言葉と存在が消滅していくというユニークな世界を描いている。たとえば、「あ」が消えれば、「愛」や「あなた」という言葉がなくなるばかりでなく、その音を含む物や人も存在しなくなるのである。
後半になると主人公が使える言葉が少なくなり、だんだんと散文的な表現になっていくのが面白い。虚構と現実が入り混じるような展開で、独特の感性を持つ筒井康隆にしか書けない実験作品だと思う。
「虐殺器官」 著者:伊藤計劃/出版社:早川書房
「海外のSF小説は好きだけど国内の作品にはあまり興味がない」という人にぜひ手に取ってほしいのが、伊藤計劃(いとうけいかく)の作品だ。
ここで取り上げる「虐殺器官」は、伊藤計劃の処女作にして、2000年代の国内SF小説の最高峰にあげられる傑作。SF小説としての世界観の広さと緻密な情景描写は、海外の作品にも引けを取らないレベルだ。
本作は、9.11以降に大きく変わった世界を描いている。サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナの首都)で発生した核爆弾テロによって先進諸国は個人管理体制を強化するいっぽう、後進諸国では内戦や大規模虐殺が増加していた。そうした情勢の中、アメリカの特殊部隊に所属する主人公クラヴィス・シェパードが、世界各地で虐殺を繰り返す“虐殺の王”ジョン・ポールを追いかける……という物語だ。
殺し合いが日常の世界で、兵士である主人公の葛藤を通じて人間の残虐性の正体に迫るのがテーマ。凄惨な描写は少なくないが、繊細な心理描写と静謐な文体によって一気に読むことができる。また、戦場での心理的障害の発生率を軽減する「戦闘適応感情調整」や、痛覚を認識しながら痛みを感じない軍事用麻酔技術「痛覚マスキング」といったSF的なディテールに作者の発想力の深さを感じる作品でもある。
なお、伊藤計劃は本作を上梓した2年後の2009年3月に逝去。本作や「ハーモニー」など残った作品は決して多くないが、どれも読み応えのあるSF小説に仕上がっている。
極私的なSF小説ベスト10を紹介した。いかがだっただろうか?