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ミニPCの名機「HP-LX」をヒットさせた、新宿アドホック店の“元祖エバンジェリスト”

かつて、多くのモバイルユーザーを熱狂させた幻の名機「HP100/200LX」(HP)。本連載の読者であれば、一度はこの名前を耳にしたことがあるだろう。

これが、ミニPCの名機「HP200LX」。「HP100/200LX」のヒットの影には、なにがあったのか?

これが、ミニPCの名機「HP200LX」。「HP100/200LX」のヒットの影には、なにがあったのか?

HP100LXは、1993年に米ヒューレット・パッカードから発売された、“手のひらサイズのIBM互換機”。発売当時、まだ日本語版は出ていなかったが、ユーザーの手で日本語化が進められ、この熱意がメーカーを動かした。1999年に発売中止が発表されたときは、大規模な署名運動が繰り広げられ、社会現象にまでなったという、いわくつきのモバイル端末である。

今回登場するのは、新宿の紀伊國屋書店アドホック店の販売員として、HP100/200LXの人気を影で支えていたエバンジェリスト、植木正道氏。当時は「“新宿教会”にいる初老の紳士」と呼ばれ、親しまれていた。その植木氏に、改めてHP100/200LXの魅力について語ってもらった。(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花)

植木正道氏。新宿の紀伊國屋書店アドホック店で、1991年に「HP95LX」を発売して以来、12年間にわたって「HP-LX」シリーズを売り続けた男。一部のファンからは、「“新宿教会”にいる初老(?)の紳士」として知られていた

それは「えらいものがやってくるぞ」という予感から始まった

――そもそも、植木さんはなぜ、アドホックで「HP100/200LX」を販売していたのですか。

大学時代には、もう新宿紀伊國屋書店のアドホック店でアルバイトをしていたんですよ。当時から、HP電卓を販売しているフロアで仕事していました。当時、確か「HP-41」シリーズ(HP)というプログラム電卓が注目されていましたが、ぼくは文系だったので、あまり興味はありませんでした(笑)。

大学卒業後は某電気メーカーに就職したのですが、思うところがあって転職を検討していたところ、アルバイト時代の上司に「ならば、うちはどうだ?」と言われ、また逆戻り。それで、アドホックでHP製品を販売することになったんです。

――「HP100/200LX」の前身である「HP95LX」が入ってきたのはその後でしょうか。

「HP95LX」(HP)は、1991年4月にアメリカで発売されましたが、当時はまだ日本では販売していませんでした。ただ、そのころはすでに、表計算ソフトの「ロータス1-2-3」が注目されていて、ワープロの人気機種であった「Rupo」(東芝)にも、ロータス1-2-3を搭載したモデルが発売されていましたね。ロータス1-2-3には強烈なマクロ機能もありましたので、エンジニアや数字を扱うビジネスマン、経営者など幅広い層の注目を集めていたようです。

そのせいもあって、ある日を境に「HPの電卓を売っているんですよね。ロータス1-2-3を搭載したポケコンのような電卓はありますか?」という問い合わせが日に何件も来るようになりまして。前述の通り、そんな製品は扱っていませんでしたが、当時のHP総代理店だった横河ヒューレット・パッカード社の担当者さんに問い合わせたところ、「実は秋ごろに出るんですよ」とのこと。

そこで、お客さまへの予約受け付けを開始して、「では、とりあえず100台お願いします」と発注をかけたのですが、発売になるころには、事前発注した在庫がほぼ予約で埋まり、あまった在庫もすぐに完売、その後も問い合わせが相次ぎました。

そのとき、「何か、えらいものがやってきたぞ」と。

目にしたのは、手のひらサイズの“IBM互換機”!

植木氏へのインタビューは、愛機の「HP200LX」とともに進んでいった

植木氏へのインタビューは、愛機の「HP200LX」とともに進んでいった

実際に、HP95LXを目にしたときは驚きました。電卓と変わらないサイズ(幅16×高さ9×奥行2.5cm、重さ320g)ながら、「MS-DOS Ver3.220」(英語版)を内蔵したコンピュータ。MDA(モノクロディスプレイアダプタ)に対応している、市販のゲームがしっかりと動きました。このときはまだ、これで何ができるのかもよくわかっていない状況でしたが、なんとなく未来を感じ、ドキドキしたことを今も覚えています。HP電卓のフロア担当としての責任もあるので、まずは自分が使ってみることにしました。

その後、使えば使うほど、「これはすごい」と思うように。まず、バッテリーは、単3形アルカリ乾電池2本を使って、これだけで連続20時間以上稼動します。1日2時間程度使ったとしても、10日以上、稼動する計算です。また、キーボードに採用したキーは、HPが電卓に使っていたのと同様に、クリック感のあるもの。キーピッチが広いため、小さいながら、ミスタッチが少ないという不思議なキーボードでした。10キーを備えているのも、電卓メーカーならではでしょう。

本体メモリーは当時、512KBと1MBの2モデルがありました。さすがに、これだけでコンピューターのように使うのは難しいですが、これを補うものとして、PCカード(JEADA4.0規格)が挿せるカードスロットを備えていました。ここにRAMカードを挿せば、本体ストレージとして利用できます。

当時のノート型パソコンには、シリアルポートのほかに、PCカードスロットを搭載している機種が多くありました。これを使えば、パソコンとLXシリーズでファイルをやり取りできます。つまり、HP95LXがあれば、職場外の電車や自宅、出先などで、場所を選ばす仕事できるということです。

「HP200LX」をカフェのテーブルに置いても、違和感がなかった。このあたりに、洗練されたデザインを採用しているのだと感じてしまう

ネットワークが発達した現在では、みなさんは、そんなことは当然のことと思うでしょう。しかし、当時はネットワークの黎明期だったので、“職場にいなくても仕事ができる”ということが、とても画期的だったんです。「この端末が世界のビジネススタイルを変えるかもしれない」と、大きな可能性を感じました。

1993年には、HP95LXの後継機である「HP100LX」が発売されます。キャッチコピーは「世界最小のIBM-XT互換機」。CPU、RAMサイズ、グラフィック、OS、PIM(システムマネージャ)など、あらゆる面で進化していました。

PCカードスロットは、世界準拠のPCMCIA2.0(JEIDA4.1)規格となり、現在のストレージの主流であるフラッシュメモリーも使えるようになります。ところが当時、フラッシュメモリーカードは国内販売されていませんでした。ユーザーは、HP95LXで使っていたSRAMカードを使うか、海外から取り寄せるしかありません。ただ、SRAMカードは容量が少なくて、販売価格も1MBが19,800円、2MBが29,800円と高価。しかも電池が必要で、電池が切れるとデータが消えるという弱点がありました。

そのころ、米国のフラッシュメモリーメーカーであるサンディスクと代理店契約をし、PCカード型のType-IIフラッシュカード(ATAインタフェース)の販売を決めたエプソン販売さんは、国内でPCカードフラッシュが売れるマーケットを模索していました。そこでたどり着いたのが、なんとHP-LXシリーズ。そういった事情から、新宿アドホックが日本で初めてフラッシュメモリーカードを店頭販売するようになったんです。

「HP200LX」に挿して使用できる、エプソンのフラッシュメモリカード「EPSON FLASH PACKER 85MB」

「HP200LX」に挿して使用できる、エプソンのフラッシュメモリカード「EPSON FLASH PACKER 85MB」

――フラッシュカードって、スマートフォンに挿すmicroSDメモリーカードの元祖みたいなものでしょうか。

そうですね。しかし、カードスロットに挿せるのは、フラッシュカードだけではありません。モデム機能を備えたモデムカードを挿せば、HP100/200LXを使って通信もできます。つまり、PCカードスロットはバスの1種で、それをうまく利用することで、HP100/200LXの機能を拡張できたんです。

そのほか、HP100/200LXは本体に赤外線ポートやシリアルポートなど、さまざまなハードウェアとしての最先端機能を搭載していました。これらを使って、たとえば、赤外線を使ったリモコンアプリをインストールし、カラオケのリモコンとして使っていた人もいましたね(笑)。そんなふうに、ユーザーの工夫次第でいろんな使い方ができるというのも、HP100/200LXの魅力でした。

「HP200LX」の側面には、赤外線ポートやシリアルポートなどが装備されている

「HP200LX」の側面には、赤外線ポートやシリアルポートなどが装備されている

“新宿教会”の“初老の紳士”が暗躍する時代

――新宿アドホックは、LXユーザーの間で“新宿教会”と呼ばれていましたね。

はい。確かに当時、新宿アドホックは“教会”や“聖地”、私は“初老の紳士”と呼ばれていました。当時、私はまだ20代だったので、“初老”だはあんまりだと思ったのですが…(笑)。

申し上げた通り、HP95LXやHP100/200LXはたいへん魅力的なデバイスでしたが、もともと海外製なので日本語化されていませんでしたし、アプリもありませんでした。

そこで、ユーザーたちがみずから創意工夫し、ディスプレイドライバやフォントドライバなどを作って、独自のシングルウィンドウマルチタスクであるPIMソフトウェア「システムマネージャ」と、ビルトインされている英語版のMS-DOSを日本語(DOS/C)化し、すべての機能で日本語を表示できるようにしたんです。

それらのドライバ類は、パソコン通信「NIFTY-Serve」の「FHPPC」というフォーラム内にあるライブラリで公開されていました。しかし、誰もがパソコン通信をしているわけではありません。そこで、私が熱意をもってLXシリーズを販売していることを評価してくれたフリーソフト開発者の方々が、自作のドライバ類を持ち寄り、「希望者がいれば、再配布してもいいよ」と置いていってくれるようになったんです。

新宿アドホックには、LXシリーズを日本語化するドライバ類があり、どうすれば日本語化できるのかを手助けする私がいる。こうしたことから、ユーザーたちの間で「迷える子羊は、新宿教会に集え」と、口コミが広がっていくことになったんです。

「新宿アドホックは当時、LXユーザーの間で“教会”や“聖地”と呼ばれていた」と振り返る植木氏

「新宿アドホックは当時、LXユーザーの間で“教会”や“聖地”と呼ばれていた」と振り返る植木氏

――なるほど。自力でLXを日本語化できない人の救いの場だったんですね。

自分で開発したアプリを新宿アドホックに持ってきてくれたり、そのアプリ目当てでやってきたりする人が続々と増えていきました。当時のアドホックは、ハードウェアメーカーさんや、最先端技術を追求するお客さんが集まり、アイデアを出し合ったり試作品を披露したりと、とてもにぎやかだったなあ。

やがて、オカヤ・システムウェアから日本語化キットが販売されます。しかし私は、そのキットを使って自力で日本語化しようとするユーザーに、ただ製品をお渡しするようなことはしませんでした。HP100/200LXがちゃんと使えるようになるまでサポートすることを信条とし、自分なりにいろいろ工夫をしていたんです。

たとえば、製品を購入したお客様には、必ず私が作ったA4用紙2枚の「LX説明書」と細かいハウツーを書き込んだデータベース、および「スペシャル電話帳」をお渡しします。さらに、購入時には、次の3つのコースの中から好きなコースを選んでもらいました。

・Aコース お客さまご自身が梱包を開け、みずからセッティングする
・Bコース 店頭で梱包を開け、植木氏がセッティングする
・Cコース 植木氏の説明(1コース30分)を全部聞く

そして最後には、「わからないことがあれば、いつでもここに来て、聞いてください」という言葉を添えました。私自身がLXシリーズがはじめてのPCであったからこそ、わからない人の気持ちがわかるという自負がありましたし。

こうした経緯から、モバイルコンピューティングの最先端に身を置く人々の交流の場として、新宿アドホックが知られるようになり、朝、出社したら、すでに私を待っている人がいて、帰るころにはまたユーザーが集まってくる。まさに、朝から晩までユーザーオフ会状態ですよ(笑)。

休憩だってお客さんと一緒。お茶を飲みながらお店で買ってもらったLXをセッティングしたり、サポートしたりしてる間に、お客さんがお客さんを接客してたりして(笑)。朝から晩までHP100/200LX漬けだったあのころは、とても幸せだったなあ、と。

HP200LX生産中止発表。そのとき、植木氏は……

1999年7月、日本HPはHP200LXの生産中止を発表する

1999年7月、日本HPはHP200LXの生産中止を発表する

――そんな楽しい時代も、やがて終わりを迎えます。

はい。1999年7月、日本HPはHP200LXの生産中止を発表しました。一部で生産中止の反対を求める署名運動が始まり、話題になりましたね。私は、最後にHP200LXを500台オーダーし、2003年に会社の方針によって、アドホック店が閉店するときまで売り続けました。最終日には、閉店を知ったお客さんたちのおかげで、すべて売り切ることができました。この後、職場が変わってネットビジネス部に所属することになったのですが、当時はまるで「あしたのジョー」状態。すっかり燃え尽きてしまって……(笑)。

思えば、HP100/200LXが登場したころは、現在のような、極端な“売り手至上主義”ではありませんでした。最近の製品は“どうすれば儲かるか”という点を意識しすぎたものが多いようにも思います。HP100/200LXは、当時の最先端技術を搭載し、多角的にユーザーが創意工夫できる切り口をいくつも設けていました。そのおかげで、ユーザーは楽しみながらHP100/200LXを使い、工夫して可能性を広げられました。

HP100/200LXには、それだけの懐の深さがあった。それが“大ヒット”につながった秘密なのでしょう。作り手側も使う側も、楽しく関われる製品だから、売り手である私も、そのムーブメントに飛び込んで、一緒に楽しもうと思ったんですし。

キャッチフレーズだった“世界最小のIBM XT互換機”は、まさに言い得て妙で、初めて見たときから、このデバイスに未来を感じました。現在は、高速化したネットワークやインターネットサービス、音声入力やパネルタッチUIの進歩で、あのころよりも利便性が上がっていますよね。私自身、普段はiPhoneを使っていますし。

でも、今回のインタビューをきっかけに、改めてHP200LXを取り出し、電源を入れて触ってみると、「古いなあ」と思うことはありませんでした。ハードそのものを見て、「やっぱり、いいなあ」と感じる。HP100/200LXのように、時代を経ても価値が変わらないものには、背景にストーリーがあるんです。私は、そういうものが本当に好きなんですよ。

インタビューを終えて(井上真花)

この取材で久しぶりにHP100/200LXの話を聞いたものだから、当時のワクワクがよみがえり、“HP100/200LX愛”に火がついてしまった私。秋葉原の「BEEP」というお店をのぞいてみたところ、なんとHP200LXを2台発見! それなりのお値段でしたが諦めきれず、しばらく陳列台の前にたたずんでしまいました。この2台、やはり保護しておくべきでしょうか、植木さん?

オフィスマイカ

オフィスマイカ

編集プロダクション。「美味しいもの」と「小さいもの」が大好物。 好奇心の赴くまま、良いモノを求めてどこまでも!(ただし、国内限定)

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