PDA博物館

「オフ会で見せびらかすためにPalmを光らせる」PDA改造を通して見えたガジェット愛

改造した「Palm V」。ボタンを押すと、光る仕様になっている

改造した「Palm V」。ボタンを押すと、光る仕様になっている

モバイル黎明期に誕生したPDAを振り返る本連載。今回登場するのは、「Palm」最盛期に一大ムーブメントを作り出した伝説の改造師たちが集うサイト「Palm de COOL!」を運営していた、モーリー氏とSANAI氏である。

「Palm de COOL!」は、1999年にスタート。2年半後にサイトを閉鎖するまで、実に多くの「KAIZO(=改造)」ファンに愛された。その根底にあるのは「楽しませたい」「驚かせたい」という、ちょっとした「いたずら心」。お2人の話を聞き、PDAがただの携帯端末ではなく、ユーザーにとって愛すべきガジェットだったということを改めて強く感じた。(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花)

(左)SANAI氏。中学生のころから電子工作にハマり、高校時代はアマチュア無線の同好会で無線機やアンテナの製作に没頭。一時製作熱は冷めていたが、1999年の「Palm V」との出会いから再燃。モーリー氏と組んで「Palm de COOL!」を運営し、Palmの一時代を築いた。
(右)モーリー氏。アマチュア無線の自作派であった父親の影響で、幼少のころから半田ごての使い方や自作のコツを身につける。小学校4年生のときにアマチュア無線の資格をとる。以後、分解やカスタマイズが好きになり、1998年に出会ったPalmに魅了され、「Palm de COOL!」を主催。

「KAIZO(=改造)」には3つのポリシーがある

――そもそも、なぜPalmを改造しようと思ったのですか?

モーリー Palmは小さくてバッテリーが長持ち、しかもサクサク動くということで、モバイル端末としては最高なんだけど、使っていくうえでいろいろ不満がある。はじめは、その不満を解消するための改造からスタートしたんです。

――確かに、「HP100LX」も改造していました。動きが遅いから、水晶を倍速化したりして。

モーリー Palmの場合、いかんせん本体のメモリーが少ない。そこで、マニアの手によって「メモリー増設」などの改造が行われるようになったんです。それが、見た目を変える潮目に変わったのは、1998年ごろ。メーカーがデベロッパーにクリア筐体のPalmを配り、その中のひとりであるしゃーみんさんが、林檎マークをつけてiMac風のPalmを作って見せた。いわゆる「トランスルーセント」です。

クリア筐体の「Palm III」

クリア筐体の「Palm III」

SANAI これがみんなの憧れになり、見た目をグレードアップさせる改造が盛んに行われるようになった。で、1999年にPalmを改造させるためのサイト「Palm de COOL!」が誕生。もともとモーリーさんがやっていたサイトなんですが、実は当時、僕とモーリーさんは同じ会社の同僚だった。そこで、モーリーさんから「一緒にやらないか」と誘われ、それに僕が乗っかったというわけです。

モーリー 最初は「Palmをかっこよく使うにはどうしたらいいか」というコンテンツを公開していたんです。かっこよくスタイラスを取り出すにはどうしたらいいかとか、同時に電源をつけるにはどうしたらいいかとか。

ところが、だんだん「Palmを改造してCOOL!に使う」というコンセプトになってきて。Palm IIIのクリアケースやクリアボタンが一般に販売されるようになったということもあり、「お飾り系改造」が盛り上がってきたんですよ。

お飾り系にもいろいろあって、たとえば林裕峰さんによる「京友禅Palm」(くりすたるあーと)というのも出てきました。それは美しい仕上がりで、かなり話題になりましたが、いかんせん高価すぎて一般の人にはなかなか手が出ない。

「彩雲昇龍」と銘打ったオーダーメイドのカバーは25,000円ぐらいかかりました。実はこれ、龍の手に持っている玉の部分をくり抜いて、透明窓をはめこんであって、専用アプリを起動すると、玉の部分がいろんな色に光る仕組みになっています。

左が「Visor」の「彩雲昇龍」カバー。龍の玉がいろんな色に光る仕様となっている

左が「Visor」の「彩雲昇龍」カバー。龍の玉がいろんな色に光る仕様となっている

――すごく凝っている! なんで、そこまでして改造したいんでしょうか?

モーリー Palmってコンパクトだから、持ち歩きに便利でしょ。だから、気軽にオフ会に持って行けるんです。で、そこに集まった人に見せてびっくりさせたいし、目立ちたい。ただそのためだけに、がんばっていたんです(笑)。

SANAI たぶん、Palmをはじめとした「PDA」は、その名の通りとてもパーソナルなもの。だから、自分のPalmは唯一無二であってほしい。ほかの人と同じであってはいけない。そういう気持ちから「見た目を変えたい」という欲望がわいてきた。そんなところではないでしょうか。

モーリー KAIZOには3つのポリシーがあって、「一瞬芸でなければならない」「実用的であってはならない」「不可逆(一度改造したら元に戻せない)でなければならない」。お遊びですからね。そういった意味では、カバー系はちょっと違うかもしれない。ケースを外せば元に戻るので、不可逆ではないですしね。

SANAI ジョーク系もありましたよね。光るしゃもじとか、植物に水をまくためのPalmとか(笑)。

植物に水をまくためのPalmとポンプ。つい先日までSANAI家で実働していたもの

植物に水をまくためのPalmとポンプ。つい先日までSANAI家で実働していたもの

モーリー このような手口は「脱力系」と呼ばれていました(笑)。まさに一瞬芸です。みんなに笑ってほしかった。

なぜ、Palmを光らせたかったのか?

――カバーのペイントぐらいなら、まだわかるんですが、ボタンを光らせたいと思ったのはなぜでしょうか?

モーリー 光らせようと思ったきっかけは、たぶんPalm Vが出たとき、クレードルのボタンがグリーンに光るのを見て、「おお、ここを青色LEDにしたらCOOL!だ」と思いついたから。ところが、クレードルが光ってもオフ会に持って行けない。オフ会で見せびらかすには、本体も光らせなければならない。そうなると、分解のスペシャリストであるSANAIさんの腕が必要になるわけです。

SANAI 金属ケースが接着されたPalm V本体をアイロンで3枚に下ろし、クリアボタンをつけて光らせてみました。最初は、完全空中配線だったんです。ボタンの裏あたりにチップLEDをおいて、HotSyncのときにそこが光るようにしていたんです。しかし、それだと場所が不安定なので、プリント基板を組み込んで改造することにした。そうして完成した「ナイトライダーモデル」を公開したところ、とても評判がよかった。ここからKAIZOが始まったんです。

ナイトライダーのプリント基板

ナイトライダーのプリント基板

光るボタンが勢揃い

光るボタンが勢揃い

――「KAIZO」とは?

モーリー ナイトライダーの評判が広がって、ついに海外からも問い合わせがくるようになった。そこで、何かグローバルな名前をつけたほうがいいんじゃないかと。ちょうどそのころ、トヨタが「KAIZEN(=改善)」という言葉を作って、生産革新を進めていたんです。その言葉は世界中に広がっていたので、それにならって「KAIZO(=改造)」を名乗った。つまり、パロディです(笑)。

――海外からも問い合わせがあったとは! すごい人気だったんですね。

モーリー 特に、香港あたりは盛り上がっていましたね。で、サイトの運営にもますます力が入って。当時は、2人ともビジネスマンだったから、昼間は仕事して、夜はサイトを運営するというハードな日々でした。

SANAI 夜中に改造してそれを写真に撮って、テキストも書いて、HTMLにして自分のサーバーにアップし、モーリーさんに連絡する。そうしたらモーリーさんがそのHTMLをフレーム内に取り込み、公開する。そういう方法で表示していたので、何とか運営できていたんです。

モーリー しまいには、僕らだけではネタが足りなくなって、一般公募も開始したのですが、どんどん応募があって驚きました。みんなKAIZOしたいんだなあって(笑)。オフ会以外で発表の場がなかったので、きっと発表の場が欲しかったんでしょうね。そのおかげで、コンテンツとして非常ににぎわったんです。

SANAI テレホーダイになると、談話室で、みんなでチャットして遊んでいた。そこで盛り上がるわけです。「こんなものがあったら、おもしろい」といわれたら、すぐやってしまう。夢中になってやっていたら、だんだん時間が足りなくなり、昼間も少し連絡したりするようになったら、会社にそれがバレて、厳重注意を受けてしまって。で、サイトを閉鎖しなければならなくなってしまったんです。約2年半でした。

――それは残念でした。

SANAI その後、「東京ラ・パーム」というサイトの中に「東ラ技研」というコーナーを作り、そこで細々とKAIZOを続けましたが、やはり「Palm de COOL!」ほどのモチベーションは保てなかったですね。やっぱり、あのサイトが一番楽しかったなあ。

――お2人にとって、KAIZOとは?

モーリー 人を驚かせたり、喜ばせたりすること。オフ会という文化につながっていたんです。オフ会に行って人に見せて「すごい!」と言われるのが楽しかったんです。だからよくオフ会に参加したし、そこで知り合った人脈は大事。いまだにやっていますよね、オフ会。もう、誰もPalmを使っていないと思うんだけど(笑)。

SANAI 会社の帰り、工具を持って秋葉原の「ゆずの木」という料理屋にいき、そこでPalmユーザーに会うのが楽しみだった。会社以外のつながりが欲しかったんです。いわゆる、異業種交流会ですね。このとき培った人脈が、実は今の仕事にも役立っています。やっていてよかったと思います。

KAIZO関連の書籍。モーリーさんとSANAIさんが執筆している

KAIZO関連の書籍。モーリーさんとSANAIさんが執筆している

クリアケースPalm Vに内蔵されたナイトライダー基板

クリアケースPalm Vに内蔵されたナイトライダー基板

Palm Vのスイッチの上に重ねたナイトライダー基板のLED部

Palm Vのスイッチの上に重ねたナイトライダー基板のLED部

Palm Vの隙間に組み込んだナイトライダー基板の駆動回路

Palm Vの隙間に組み込んだナイトライダー基板の駆動回路

取材を終えて(井上真花)

以前、新横浜にある「ラーメン博物館」に行ったことがありました。噂によると、そこには、夜な夜なPalmユーザーが集まっているとか。ラーメン博物館とPalmユーザーの関係はよくわからないものの、とにかく行ってみて確かめてみようと思ったんです。

中に入ってみると、薄暗い館内の一角に、何やらピカピカ光っている一団が。近づいてみると、光り物の正体はPalmでした。メンバーのうち数名は、なぜかドライヤーや半田ごてを手にしています。うっかりPalmを持って近づいたりすると、その場で開腹手術されてしまいそうな雰囲気でした。私はすっかり怖じ気づいてしまい、早々に退散した覚えがあります。

今にして思えば、きっとあの人たちがKAIZO文化を世に広めた伝道師たち。あのとき、怖がらずに私のPalmも差し出せばよかったと、今はちょっとだけ後悔しています。

オフィスマイカ

オフィスマイカ

編集プロダクション。「美味しいもの」と「小さいもの」が大好物。 好奇心の赴くまま、よいモノを求めてどこまでも!(ただし、国内限定)

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