PDA博物館

「乾電池特集で60ページ? やろう!」PDAファンの愛読書「MobilePRESS」のマニアな裏側

モバイル黎明期に誕生したPDAを振り返る本連載。今回登場するのは、モバイルをテーマとした雑誌「MobilePRESS」(モバイルプレス)の元編集長、伊東健太郎さん。実は伊東さん、当時「MobilePRESS」編集部に在籍していた私の上司でもある。

かつてのPDAユーザーの話を聞くと、誰もが異口同音に、「MobilePRESSにはお世話になった」と言う。多くのユーザーに影響を与えた雑誌の編集長であった伊東さんに、当時のエピソードや、スマートフォンに対する思いについて話を聞いた。(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花)

伊東健太郎氏。編集者。「MacJapan」→「MacJapan Bros.」(ともに技術評論社)休刊の後、「MobilePRESS」(同社)の立ち上げに携わる。現在は書籍編集部に所属。デジタルカメラ、携帯電話関係の書籍を中心に、直近では「パーフェクト Excel VBA」などの編集も

「MobilePRESS」は、どのようにして生まれたのか?

――なぜ、「MobilePRESS」を出版することになったのですか?

ぼくはずっと「MacJapan」という雑誌の編集にいたのですが、休刊になり、しばらくは書籍や「Software Design」の別冊の編集などをしていました……と思います(笑)。すみません、ちょっと記憶が曖昧で。

1997年は「iモード以前」と言いますか、「Palm(Pilot)」を筆頭にPDAと呼ばれていたモバイル機器が盛り上がり始めた年だったので、モバイルをテーマに1冊作ろうということになり、「Mobile Magazine」を作りました。意外に売れ行きがよかったので、その勢いで(笑)、月刊誌にしようということになりました。ただ名称については、当時すでに「Moble Media Magazine」という雑誌があったため、「MobilePRESS」に変えました。

1997年6月に発行された「Mobile Magazine」(左)は、「MobilePRESS」の前身。同年の10月に発行されたのが「MobilePRESS」創刊号(右)

――記念すべき第1号では、どんな特集記事を掲載したか覚えていますか?

何でしたっけ? ああ、「Windows CE」特集ですね。確かちょうど、日本語版Windows CEがリリースされるタイミングだったのではないでしょうか? 初の日本語版Windows CE搭載端末として「カシオペア」を中心に据えた特集だったかと。

カシオ計算機がWindows CEのマシンを出すというのもエポックメイキングで、同社の歴史も引っ張り出し、「カシオペアへの系譜」といった樹形図のようなものを無理やり作った記憶もあります。日本語版Windows CEのパフォーマンスは、お世辞にもよいと言えるものではなかったと思いますが、いわば発売記念的な。

MobilePRESS創刊号より、「カシオペアへの系譜」の記事。カシオペアのほかに、カシオ計算機の時計やカメラ、パソコンも登場している

――確か、途中から季刊になりましたね。

はい。1年半ほど月刊誌として発行していましたが、部数の伸びもかんばしくなくなってきたところで、季刊誌としてリニューアルしました。1999年7月からからですかね。そこから数年、春夏秋冬、季刊というサイクルで続け、2005年冬号を最後に休刊となりました。その後、書籍という形で不定期ですが「MobilePRESS EX」が数冊発行されたと思います。

――月刊誌と季刊誌の大きな違いは?

月刊誌はある意味、情報誌的な要素もあり、常に新製品を追いかけているような部分がありました。ただ、当時でも情報の速さという面では、インターネットと勝負しなければならないような時代になっていたと思います。というわけで、むだな勝負は避けようと考えたかどうかは定かではありませんが、リニューアルしました。

季刊誌になるとページ数も増えて、特集などにも厚みが出た。新製品的なものも扱いましたが、どちらかといえば、ひとつのモバイル端末に関する記事を、いろんな角度からある程度、深くじっくり作り込むことができるようになり、内容が濃くなった。年に4冊しか出ないということもあったのか、おもしろいことに徐々に部数も伸び始めました。

――それはなぜ?

先ほども言いましたが、そのころはインターネットが一般的に使えるようになっていた。インターネットを探せば、たいていの情報は見つかるようになったんです。だから、雑誌にはインターネットにない情報や、それらをうまくまとめたものが求められていたのではないでしょうか。そういう意味で、季刊になってからの「MobilePRESS」は、よりマニアックな傾向になっていきましたが、それが意外に読者にも支持されたということでしょうか。

当時の読者が保存していたMobilePRESS全巻。左にあるのが月刊誌で、途中から季刊誌に

当時の読者が保存していたMobilePRESS全巻。左にあるのが月刊誌で、途中から季刊誌に

――せっかく読者が増えたのに、休刊になってしまったんですね。

iPhoneの登場が2007年ですか? それまで、もたせたかったような気もしますけど、まあ携帯電話の普及が進んで、モバイルという言葉の中心軸が、PDA的な要素も含めて携帯電話に移っていったのかもしれませんね。

時代とともに「モバイルという言葉の中心軸が、携帯電話に移っていったのかもしれない」と振り返る、伊東氏

時代とともに「モバイルという言葉の中心軸が、携帯電話に移っていったのかもしれない」と振り返る、伊東氏

乾電池特集で計60ページ! 編集部内からは「誰が読むの?」という声も

――MobilePRESSで、今も覚えている記事はありますか?

そうですね。いろいろあったけど、今でも覚えていて印象的だったのは、恵庭有さんが書いた「アルカリ乾電池」の記事。

恵庭有さんが自分で集めた乾電池を持ってきてくれたんだけど、段ボール2箱もあった(笑)。当時、スタジオとして使っていた部屋にこもってひとつずつ撮影した記憶があります。乾電池の見方を学びました(笑)。

記事内に載せたベンチマークは、全部恵庭有さんが「HP200LX」で計測し、表にまとめたという力作。前後編、それぞれ30ページもあったんです(笑)。編集部内から「こんな記事、誰が読むの?」という声もあったけど、ぼくは好きだったな。

驚愕の「乾電池特集」。全60ページの大ボリュームで、乾電池の歴史からベンチマークまで、こまかく書いてある

このほか、「紙のクレードル」を付録につけた号もあって、あれも面白かった。確か、記事の署名には「東ラ研」とだけ書かれていたけど、あれ(前回登場された)SANAIさんです。当時はたぶん、お名前を出せなかったんだと思います。(関連記事:「オフ会で見せびらかすためにPalmを光らせる」PDA改造を通して見えたガジェット愛)

――ところで、伊東さんが好きなPDAは何ですか?

ぼくはPalm派でしたね。HotSyncには感銘を受けました。デザイン的には、Pilot〜PalmPilotがシンプルでいいですよね。「Macintosh Plus」なんかに通じる無骨な感じで。IBMの「WorkPad」としても発売された「Palm III」になると、なんかこう、形が少し丸みを帯びていて、いまひとつでしたね。

伊東さんが気に入っているPalmPilotは、ストレートなフォルム

伊東さんが気に入っているPalmPilotは、ストレートなフォルム

シンプルな操作も気に入っています。ボタンを押すだけで欲しい情報が出てくるというのが、わかりやすくてとてもいい。今のスマホはボタンがなくなっちゃって、ちょっとさびしいですよね。

スライドするとグラフィティ入力エリアが登場する、ギミックがすてきな「Palm Tungsten T」

スライドするとグラフィティ入力エリアが登場する、ギミックがすてきな「Palm Tungsten T」

伊東さんが思い描いた未来とは?

――スマホと言えば、伊東さんは今のスマホ文化、どう思います?

MobilePRESSに「未来予想」みたいな記事を書いたような記憶があるのですが、そこには、携帯電話に「あの映画に出ているあの人、誰だっけ?」と聞くと「誰それです」と返ってくる時代はもうすぐ来そうだね、みたいなことを書いた記憶があります。今でいう「OK Google」や「Hey Siri」みたいなものですかね?

音声で検索するって、とても新しい技術のように思えるけど、実はアイデアも技術も当時からあった。ただ、ハードウェアやネット環境など、さまざまな要因で実現できてはいなかった。スマホも決して、突然ぽっとこの世に生まれたわけではなく、連綿と続く技術開発の流れの中にあると思います。そういう意味では、ここまでスマホが世に根づいたことには、ある種の感銘を覚えますね。

――伊東さんからみて、スマホはPDAの進化形でしょうか?

スマホというか、「スマートフォン」っていう言葉は昔からありましたよね。

当時、「DataScope」みたいな端末は「スマートフォン」と呼ばれていました。その時のスマートフォンも一応ブラウザがあって、メールが使えて、PIMのような機能を備えていた。そういう意味ではPDAとも言えるし、逆に言えば、PDAに通信(通話)機能が付いたものをスマートフォンと呼んでいたのかもしれません。ただ、スマートフォンという名前はダサすぎて、ほかにいい名称はないのか、なんて思っていましたが、定着しましたね、意外に(笑)。

――伊東さんが好きなPalmがスマホになればいいと思いました?

思いましたよ。まあ一応、「Palm Treo」がありましたが、ぼくはずっと「アップルがPalmを買収して携帯電話を出してくれればいいのに」と思ってました(笑)。もちろんソニーの「CLIE」がそのまま電話として使えるようになってもよかったんですけど。でも、そうなりませんでしたよね。もう少しで、そうなるところだったんでしょう? これが本当に残念で。iPhoneだけは使うまいと(笑)。iOSの製品は「iPod touch」で我慢しています。

「アップルがPalmを買収して携帯電話を出してくれればいいのに」(伊東氏)

「アップルがPalmを買収して携帯電話を出してくれればいいのに」(伊東氏)

――そうなんだ(笑)。結構、思い入れがあるじゃないですか。

MobilePRESSをつくっていたころ、「みんなPDAを持てばいいのに」とか思っていましたよね。あのころ、電車の中でもPDAの画面を見ている人ってそんなに多くはなかった。というより、めったにいませんでしたよね。ましてやPDAで名刺交換なんて(笑)。

それが今、電車に乗るとみんなスマホを見ているし、LINEの交換とか普通にしている。まさに、当時夢見ていた時代がやって来たんです。でも、なぜかその風景を見ていると、少し変な感じがする。この気持ちは、なんだろうね? よくわからないけど最近、ぼくは電車の中で本を読んだりしているんです(笑)。

――最後に、伊東さんにとってMobilePRESSとは?

この連載でも、懐かしい方々が登場されていますが、みなさんあいかわらずですてきですよね。ぼく自身はひとつのことに深くのめり込んだりできない性質なので、マニアックな方々にはちょっと憧れもあるんです。なので、MobilePRESSは、そんな方々への憧憬の念を込めて、情報を共有したり、いち読者として教えを乞う場としてあったりしたのかもしれません。

読者からの評価はわかりませんが、MobilePRESSはそんなメジャーな雑誌でもありませんでしたので、制作者側からみると比較的、好きに作れたかなと思います。一般的にみれば、少し変な人たちの集まった雑誌なのでしょうが、そのほうが記事もおもしろいですしね。

そういう意味で、当時のモバイル界には変な方がたくさんいて楽しかったですし、そういった方々の集まる場として、MobilePRESSはそれなりに機能していたのかなと。今振り返ると、そんなふうにも感じています。

取材を終えて(井上真花)

伊東さんの言葉の中に「ぼく自身は、ひとつのことに深くのめり込んだりできない性質なので、マニアックな方々にはちょっと憧れもあるんです」とありましたが、とんでもない! 恵庭有さんご提案の乾電池特集を「いいじゃん! おもしろいじゃん!」と採用し、編集部に届いた段ボール2箱分の乾電池を見て大笑いし、2人でスタジオにこもって楽しげに撮影するなんてこと、マニアでないとできませんから。

確かに当時の伊東さんは、どちらかといえば寡黙な方で、あまり積極的に自分の意見を主張するタイプではありませんでした。しかし、そんな見た目とは裏腹に、企画やデザインへのこだわりは強く、ときには頑として譲らない面もあったように思います。そんなマニアな伊東さんが作った雑誌だったから、多くのPDAユーザーに愛されていたのでしょう。あの時代をMobilePRESS編集部の一員として過ごすことができた私は、本当にラッキーだったと思います。伊東さん、ありがとうございました。

オフィスマイカ

オフィスマイカ

編集プロダクション。「美味しいもの」と「小さいもの」が大好物。 好奇心の赴くまま、よいモノを求めてどこまでも!(ただし、国内限定)

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