20年前に訪れたPDAブーム。それを後押ししたのは、メーカーや開発者、ユーザーだけではなかった。12年間にわたって「HP-LX」シリーズを売り続けた“新宿アドホック店の元祖エバンジェリスト”のように、製品を広く流通させるために奔走(ほんそう)したキーマンも多い。
今回、連載に登場するのは、「Palm」を日本でいち早く販売し、その人気の火付け役となった、「モバイルプラザ」のカリスマ店長・古川敏郎氏。国産PDAが廃れた後も、海外のPDAを輸入しながらユーザーをサポートし続けた、古川氏の情熱の源に迫る。(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花)
「Palm」人気の火付け役となった、「モバイルプラザ」カリスマ店長の古川敏郎氏にお話をうかがった
モバイルプラザ店長、古川敏郎氏。好きなPDAは「(形も機能も)小さくてかっこいい端末」
――モバイルプラザはもともと、「イケショップ」という名前でしたよね。
はい。イケショップではMacを取り扱っていて、私はノートブックを販売していました。その流れで、アップルの「Newton(MessagePad)」も私が扱うようになったんです。当初販売していたのは、「MessagePad 100」という小さめのモデル。この後、Newtonのサイズはどんどん大きくなっていきましたね。
「MessagePad 100」のモックアップ。片手で持てるサイズだ
Macと無関係であるはずのPalmを店頭に置いたのは、私の独断。初代Palmを個人的に購入したのですが、とてもおもしろかったんです。これを販売すれば、お客さまの間で人気が出るはずだと。
当時、日本製のPalmはなかったので、海外から輸入して販売していたのですが、「計測器センターの5階」というわかりにくい場所であったのにも関わらず、Palm目当てに、多くのお客様に来店していただきました。
古川氏の私物である初代Palm。本体のカラーリングは、古川氏ご自身が塗ったもの。液晶画面が割れてしまったが、思い出深い端末なので、そのまま保存しているという
――そういえば、あの「J-OS」も販売していましたよね?
「J-OS」は、山田達司さんが開発した日本語化キットをパッケージ化して、流通させたものですね。もちろん私も、山田さんがPalmの日本語化に成功したという話は聞きましたが、どのような方なのかまでは、知りませんでした。
そんな中、山田さんがある日、店舗にやってきて「私が山田です」と自己紹介されました。そのとき、初めて会ったのにもかかわらず、私はすぐに、「J-OSを売りませんか?」と提案したんです。
当時、日本語化キットはインターネットの個人HPや雑誌の付録で配布されていましたが、それだけでは、入手したくてもできない方が出てきます。そのため、「Palmを一般の方に知ってもらうには、日本語化キットを店頭で販売しなければならない」と考えたんです。
そこで、山田さんに提案したところ、「やりましょう」ということになりました。山田さんと相談しながらパッケージ化したのですが、販売会社の名前をどうしようかと。ほかの店頭で売るのに「イケショップ」という名前だと、なんか変でしょう? そこで、名前を「アイケーイー・ソフトウェア」に変えたんです。
実際に販売されていた「J-OS」のパッケージ
――アイケーイー? この名前には、どういう意味があるのですか?
「アイケーイー」をアルファベット表記すると、「IKE」になります。つまり「イケ・ソフトウェア」(笑)。
パッケージを裏返すと、「アイケーイー」という表記が!
――なるほど! そんな努力の甲斐もあって、その後、日本にもPalmブームが訪れましたね。
そうですね。1999年2月には日本IBMの「WorkPad」、2000年にはソニーの「CLIE」が発売されるなど、新製品が頻繁に登場しました。そのたびに、Palmユーザーの方々が店舗を訪れ、どんどん売れていきましたね。持っている端末を買い換える方はもちろん、買い足していく方も多かったように見えました。
当時、プログラミング開発で著名な方やパーム社関係の方など、さまざまな方が店舗にいらっしゃいましたよ。そのおかげで、モバイルプラザには、レアなアイテムがいろいろと集まりました。
たとえば、これを見てください。「Palm Pilot」のユーザーインターフェイスデザインを担当したロブ灰谷さんからいただいた、US Robotics製のスケルトンカバーです。世界に数個しかないプロトタイプなんですよ。
ロブ灰谷氏からのいただきもの。US Robotics製のスケルトンカバー
そしてこれは、Palm OS向けの開発ツール「CodeWarrior」を販売していたメトロワークスのオフ会で配布された、PalmPilot用のスケルトンケース。その横にあるのは、Palmライターの甲田浩さんからいただいた「Palm III」のカバー。当時はこういった、スケルトンケースが流行っていましたね。
メトロワークスのオフ会で配布されたスケルトンケース(左)と、甲田氏からいただいたというスケルトンカバー(右)
ほかにも、モバイルプラザには、レアアイテムがどっさり。普段は、店舗のショーケースの中に展示されている
当時、海外でもPalm市場が広がり、ほぼ毎月Palmのイベントが行われていました。実は、モバイルプラザは、世界で2番目にPalmを売った店舗なんですよ。
――え? 世界で2番目に、ですか? 日本国内ではなく?
はい。世界で2番目だとPalm社から言われました(笑)。
そのおかげで、よくイベントに招待され、サンフランシスコやニューヨークにも行きました。その中で、ゲストスピーカーとして登壇したこともありましたね。確か、「アジアにおけるPalm市場」といった話をしたと思います。とは言っても、通訳の方にお願いして、英語に翻訳してもらいながらのスピーチでしたが。
――そう言えば当時、店舗に行っても、なかなか古川さんに会えなかった覚えがあります。なんと、海外に行ってらしたんですね……。
はい。この時期は、1年のうち数か月を海外で過ごしていました。とても忙しかったけど、楽しい時代でもありましたね。
「世界で2番目にPalmを販売した」と振り返る古川氏
――ところで、古川さんご自身は現在、どのような端末を使っているんですか?
今とても気に入っているのが、超小型のスマートフォン「Jelly Pro」(Unihertz)。この小ささが好きなんです。
ここまで小型だと、キーボードを使った文字入力がとても難しいのですが、「Graffiti(グラフィティ)」(Palmが採用した、一筆書きで書ける文字入力システム)であれば、なんとかなる。ということで、Graffitiエリアをつけてみました。とは言え、Graffitiを使っていたのはかなり昔なので、今でもちゃんと書けるものかと心配だったのですが、いざやってみると、スラスラと書けるんですよ。体が覚えているものなんですね。
Jelly Pro。画面下には、Palmの文字入力システムであるGraffitiエリアが!
あとは、「iPhone SE」(アップル)。モバイルバッテリー付きケースを装着していますが、これで4日ほど使えますね。モバイルバッテリー機能を搭載しているので、Jelly Proを充電するときもあります。このほか、昔からノキアが好きだったので、ノキア製の携帯電話も使っています。一時期は、自宅に、さまざまな端末が400台ぐらいあったのですが、今はそんなにありませんね。
iPhone SEはバッテリーケース付き。モバイルバッテリーとして使うことも
――さて、話を戻しましょう。Palmが衰退していく中、店舗ではどのような変化を感じましたか?
PDAの勢いがなくなってきたと感じたのは、2003年から2004年ごろですね。国内メーカーが撤退し始め、国産Palmも登場しなくなりました。しかし、Palmユーザーは定期的に新製品を買うクセがついていたのか、海外製品はよく売れました。海外のPalmは当時、まだ元気だったので。
2004年には、イケショップでPDAの取り扱いをやめるという話が出てきたので、私は会社から独立し、新たな店舗を作ることにしました。それが、妻恋坂交差点(東京都千代田区外神田)の近くに開いた「モバイルプラザ」です。
その後、モバイルプラザは2017年3月、秋葉原の老舗食堂として有名だった「かんだ食堂」の2階に移転しましたが、ビル建て替えのため移転を余儀なくされ、2018年3月30日に、古巣のイケショップに戻ってきました。ここからまた、モバイルプラザの店長として、モバイル端末をみなさんにお届けしていこうと思います。
今や誰もがスマートフォンを使う時代。しかしこの後、スマートフォンの形も変わってくるでしょう。おそらく、Google Glassのようなメガネ型デバイスや、スマートウォッチのような腕時計型デバイスなど、さまざまなウェアラブル端末が登場してくると思います。
ただし、形は変わっても、“ずっと持ち運べる情報端末”はこれからも消えることなく、使い続けられるだろうと思っています。私は、これからもずっとモバイルプラザの店長として、そのお手伝いを続けていきたい。それができれば、最高です。
2018年3月30日、古巣であるイケショップ内に移転した「モバイルプラザ」。【店舗所在地】〒101-0021 東京都千代田区外神田4-3-11 【電話番号】03-3251-2122
モバイルプラザ内のショーケースに飾られている、マニア垂涎のレアグッズも健在。JR秋葉原駅電気街口より徒歩約3分の場所にあるので、興味のある方はぜひ一度足を運んでみてほしい
計測器ランド時代から現在にいたるまで、店舗の場所は何度も変わりましたが、変わらないのは、古川店長のルックスと、ショーケースの中に大切に保存されているレアアイテムたち。栄枯盛衰のPDAの歴史の中で、「この先どうなるんだろう」と不安になったとき、いつも心の支えになっていたのは、モバイルプラザの存在でした。どうか、これからもずっと変わらずにいてください。
編集プロダクション。「美味しいもの」と「小さいもの」が大好物。 好奇心の赴くまま、よいモノを求めてどこまでも!(ただし、国内限定)