歴女参る! 日本史ナナメ斬り

出世運がすごいことになるかも!? 野心まみれの浜松への旅

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四十路間近で東京から岐阜へ隠居した、出世とはまったく無縁な歴史ライター・北村美桂が突如出世欲に目覚めてしまった。 思い立ったら即実行! 「出世にあやかりてぇ〜」と向かったのは、“出世城”として有名な浜松城。浜松城の歴史をなぞりながら、出世運アップのモノを見て触って食べまくる。

最初に目指すは、やっぱり“出世城”!

「浜松は出世城なり初松魚」という明治時代の俳人・松島十湖の句にもあるように、浜松城は“出世城”と呼ばれている。その理由は、徳川家康が29歳の時に築き、のちの天下統一への足がかりとなったと言われているから。途中、豊臣家の支配になっていた時代があったものの基本的には徳川家、もしくはゆかりの深い譜代大名が守ってきた。徳川家康が城主だった時代には、まだ天下は取れていないものの、歴代城主の中には幕府の要職に登用された人が多いことも出世城と呼ばれる所以だ。ということは、ここに来れば徳川家康ばりの運気がもらえるかも!?

現存は天守ではなく、模擬天守となっている。建物に歴史があることは魅力だが、模擬天守でも城を見て、そこで起こった青史をしのぶだけでも楽しいものだ

城を支える石垣は、野面積み。野面積みとは自然石をそのまま積み上げた石垣のことで、比較的初期の時代(戦国〜安土桃山時代)に積まれたものが多いと言われている。元亀元年(1570年)に徳川家康が築城した時は土塁だったが、その後、豊臣家支配となり、家臣の堀尾吉晴がその土塁の上に石垣を作った。浜松城自体は模擬天守ながら、この石垣は戦国時代のものだ。

石垣や土塁などには、当時の痕跡が残っていることも。模擬天守は格下に見られがちだが、石垣でその様子を拝めるならそれだけでも来た甲斐がある

さっそく入城してみよう。入場料は大人200円。地上3階、地下1階となっており、三方ヶ原の戦いの解説や史跡マップ、全国の大名の勢力図のほか、徳川家康の正妻で自害させられた築山御前や長男の松平信康についての解説など、家康が浜松城にいた時期に起こった事件がひととおり展示されている。基本的には模擬天守なので建造物を愛でるというよりは、その背景となった歴史の展示を通して知ることが目的となるだろう。

元亀3年、武田信玄の軍隊が青崩峠を超えて馬場信房に兵を預けるところから解説されている三方ヶ原の戦いの展示コーナー。侵略経路の現在地の情報も写真付きで用意されているので、その地を訪れてみるのも楽しいだろう。ちなみに、城内にはボランティアガイドが居るので詳しく説明してもらうこともできる

個人的にヒットした展示物は、武士が正装する際の仕方を図解した「鎧着用次第」という絵。浜松城にまったく関係ないわけではないが、必須というわけでもないような気がするのだが……。なぜこれを展示しようと選んだのか気になって仕方ない

地階に向かうと、隠し井戸がある。もともとは天守台の穴蔵にあったものだが、浜松城再建の時に地下室に移された。実は、浜松城は井戸の確保が入念に行われていたことも特徴だったりする。天守台の穴蔵、天守曲輪の埋門のそば、本丸に各1本、二の丸に3本、作左曲輪に4本と合計10本の井戸があり、清水曲輪には湧き水もあったという。その中でも珍しいのは、天守台の穴蔵。現在も地下室に残る井戸のことだ。ちなみに、浜松城のほかに隠し井戸が見られるのは松江城。松江城のものは、浜松城の土塁を石垣化した堀尾吉晴が築城したという。

天守閣地下に隠し井戸がある城は珍しい。水の確保を入念に行っていることから、籠城戦に耐えうるように備えていたのかも? しかし、井戸のサイズは直径1.3m、深さ1mほどなので、どのぐらいの期間篭城できるものなのだろうかという妄想が膨らむ。家康専用ならけっこう持ちそうだが、複数人で分けると全然足りないよ! と、1人井戸の前で悶絶を繰り返し、ほかの観光客にあやしまれてしまった……

現在、井戸に水はないが小銭がパラパラとお賽銭のように入れられていた。筆者も出世運にあやかるため、同じく投入。もちろん5円(ご縁)!

ちなみに、10本の井戸のうち現在も見ることができるのは、上で紹介している天守地下の井戸と天守曲輪の埋門跡にある銀明水と呼ばれる井戸。

銀明水井戸は、大阪城にも存在する。徳川家康が大阪城を再築した際に作ったもので、本丸を警備する役人の飲料水として使われていたという。浜松城の銀明水井戸も同じように利用されていたのかもしれない

城内をまわっていると、超迫力の若き徳川家康に遭遇! 実は、こちらの徳川家康は徳川家康顕彰400年記念事業の一貫として再現された、30歳前後の徳川家康の等身大3D像。世界の特殊メイクのスペシャリストなどの協力で作られた、若き日の家康像には圧巻された。

鋭い眼光には命が宿っているかのよう。肌もヒゲの質感がヤバイほどリアルで、ちょっと怖いぐらい。「武田信玄には、我が遠江は渡さん!」とか言って動き出す感じだ

若いだけじゃなく、スリムなボディにも目がいく。筆者が抱く家康のイメージは、ふくよかでまん丸なタヌキおやじなので人形とは正反対だ。中年太りする前はシュッとしてたのかも!?

城の最上部は、浜松市内を一望できる展望台。歴史に関わるもので言えば、北に三方ヶ原古戦場、南に遠州灘、西に浜名湖、東に富士山が配する。ただし、富士山は空気が澄んで晴れた日でないと拝むことができないことも。

筆者が訪れた日には、富士山が見えた。これは幸先がいい! 出世城を見てまわっただけだが、さっそく徳川家康の出世運を味方につけられたのかも

町並みは違っても、きっと家康も富士山を見ていたのではないだろうか。“出世城”と言われているが、この城で徳川家康が29歳から45歳までを過ごした17年間は苦難の時代でもあった。武田信玄に大敗した三方ヶ原の戦いをはじめ、目の前に武田勝頼軍が差し迫るような最前線を担当した長篠の戦い、そして小牧・長久手の戦いでは、豊臣秀吉軍に勝利したものの擁護している織田信雄が豊臣家と勝手に和睦したことで豊臣家の家臣となるなど、苦労は絶えず。天下を取るのも現代で出世するのも、やはり焦らず、時を待つのが大事なのだろう……と霞む富士山を見ながら思いにふけった。

もっとパワーを!!! “出世神社”浜松元城町東照宮へGo

天守閣から見える風景にちょっとしんみりしてしまったけれど、まだまだ出世運アップの旅は続く。次に向かうは、浜松城の目の前の曳馬城跡だ。

曳馬城(引馬城)はもともとは今川軍のものであったが、1570年に徳川家康が遠江攻略にて曳馬城を制し「浜松」と命名。その後、現在の浜松城を築城した。城ができるまでの間、家康は曳馬城に住んでいたのだ。また、時代を遡ると豊臣秀吉もここを訪れていたという。16〜18歳頃の秀吉が浜松の松下家で働いていた時に、主人に連れられこの場所で猿のものまねをして、みなを大喜びさせたという逸話が残っている。2人の天下人が訪れたことから、曳馬城跡は出世・長寿のパワースポットとして人気なのだ。

曳馬城跡は、隠れた名出世祈願スポット。浜松城に来たら、寄っておくほうが吉!

曳馬城跡は、隠れた名出世祈願スポット。浜松城に来たら、寄っておくほうが吉!

現在、曳馬城跡は「浜松元城町東照宮」という神社になっている。江戸時代は米蔵として使われていたが、明治維新後、浜松藩代として任命された井上八郎氏(延陵翁)によって東照宮が創建。太平洋戦争で焼失してしまったが、仮の神社が建立されたのち昭和35年に再建された。お祀りされているのはコ川家康をはじめ、商売の神様である事代主命(ことしろぬしのみこと)と大国主命(おおくにぬしのみこと)が御祭神。出世はもちろん、商売繁盛にもご利益がある。

目の前には大きな道路が走っているにもかかわらず、境内は非常に静か。神秘的な空気感に筆者の野心まみれのココロも洗われるよう

神社の作法にのり、手や口を清めてから境内へ向かう

神社の作法にのっとり、手や口を清めてから境内へ向かう

失礼なきよう、カブトは脱いでお参り。「野心まみれのココロが洗われるよう」と言った舌の根も乾かぬうちに、筆者のアタマに浮かんだのは「出世できますように」というお願い。ダメかもしれない……

お守りをいただきたいところだが、浜松元城町東照宮は地元の氏神さまなので社務所は存在せず。仕方ないので(?)、2015年のゆるきゃらグランプリで1位となった「出世大名 家康くん」がプリントされたのぼり旗を触っておこう。1位だから、きっと運を持っているはず。出世運、上がれー!

場所から運をもらったあとは土産物でさらなるパワーを!

出世城と出世神社に行ったので、“果報は寝て待て”でもいいのだけれど、筆者はまだまだ貪欲。モノにもすがるべく、出世運アップの土産物を探していた。

最初に浜松城内をめぐっていた時に、土産物店もチェックしていた筆者。店の広さはそれほど多くなかったけれど、9割9分は「出世」にあやかったものばかり!

洋菓子も和菓子も、出世・出世・出世、時おり開運! 筆者より貪欲では!?

洋菓子も和菓子も、出世・出世・出世、時おり開運! 筆者より貪欲では!?

一番人気の出世グッズは、パワーカードなるもの。描かれているのは「金のしかみ像」。しかみ像とは、三方ヶ原の戦いに敗れた悔しさを忘れないために徳川家康が生涯持ち歩いたと言われているものだ。浜松城は三方ヶ原の戦いを徳川家康が経験した城。そのため、“浜松=しかみ像”とされているよう

ここまで出世一本で旅してきたのに、なぜか火縄銃に心を奪われた(1.350円)

ここまで出世一本で旅してきたのに、なぜか火縄銃に心を奪われた(1.350円)

火縄銃といっても、木でできたゴム鉄砲だが……組み立てると、か、カッコイイ!!!

火縄銃といっても、木でできたゴム鉄砲だが……組み立てると、か、カッコイイ!!!

長篠の戦いの織田・徳川連合軍部隊の三段構えにも諸説あるが、火縄銃を持って武田軍と戦っているような気持ちで輪ゴム鉄砲を構えて発射! が、結果は的外れ。間違いなく、連合軍の火縄銃部隊からは干される腕前だ

Power注入〜! 食べて出世運アゲアゲを目指す

火縄銃に夢中になっていた筆者だが、ふと気付いた。あ、出世グッズ買ってない! 一番人気のパワーカードもゆるキャラグランプリ1位の「出世大名家康くん」も、持ち歩けば運気がアップしそうなグッズを何もGETしておらず。帰宅した筆者の手元にあったのは、「出世城・開運石垣クランチ」と「あげあげ出世もち」という“出世フード”のみだった。食いしん坊ゆえ、無意識で選んでしまったようだ。最後の最後の詰めの悪さ、これがこれまで出世運のなさの原因なのかも!? とりあえず、食べて運を取り込んでやる!!!

1つめの出世フード、「出世城・開運石垣クランチ」(740円)。

石垣を模した箱に入った普通のお菓子のように見えるが、なんとAR付き

石垣を模した箱に入った普通のお菓子のように見えるが、なんとAR付き

スマートフォンで読み込むと、何もないパッケージ上に浜松城が出現! これはテンションが上がる

スマートフォンで読み込むと、何もないパッケージ上に浜松城が出現! これはテンションが上がる

中のお菓子は石垣を模した形となっていたので、筆者も石垣を作ってみることに

中のお菓子は石垣を模した形となっていたので、筆者も石垣を作ってみることに

浜松城の石垣を作った堀尾吉晴になった気分で、黙々と積み重ねる。湾曲した皿に置いてしまったので、滑りやすい。土台となる場所をミスったようだ

類を見ない集中力で、ついに完成! 鉄壁の守りの石垣に見えてテンションMAXとなるも、食欲に負け運を取り込むために即効取り壊して食す。味は、しっとりした甘い焼き菓子。カロリーは高そうだが、脳に糖分が回ってきっと“仕事がはかどる→出世”に違いない

続いての出世フードは、「あげあげ出世もち」(680円)。家康関連の逸話はないが、テンション高めの商品名に惹かれてしまった。こうした勢いも、出世にはきっと欠かせないはず。

餅とは言っても、“あげあげ”にかけて餅を揚げたおかきが入っている。抹茶が同梱されており、おかきにふりかけていただく

器に盛ると、なんだか上品なお菓子に。ふりかけた抹茶のおかげで、ちょっとリッチな感じがする。そういえば、お茶は江戸末期までは公家や武士の嗜好品。家康も「お茶を飲む女を女房にしてはいけない」と家臣に話したという逸話がある。一応性別は女性の筆者。家康の言いつけを守るとしたら、抹茶をおかきと一緒に食べているだけで飲んではいないからセーフ! ほんのり甘しょっぱい系の味なので、石垣クランチ(甘い)→あげあげ出世もち(塩辛い)→石垣クランチ(甘い)というローテーションが止まらない

2つの出世フードを食べ切ったが、まだまだ量が運気が足りない! お菓子では満たされないようだ。でも、もうお土産はない……。そんなうっかりな筆者にやさしいのが浜松。実は、浜松城の歴史にあやかり、2014年から浜松市が浜松城を中心として史跡、食べ物、観光地……どこもかしこも「出世」で統一している。なかなかここまで一体感を見せる地域はめずらしい(笑)。つまり、土産物店でなくとも出世フードは手に入るというわけだ。さっそく、3つの出世フードをお取り寄せしてみた。

お菓子ばかりだったので、がっつりしたものが食したいと選んだのが「出世城カレー」。もちろんカレーに惹かれたのではなく、ちゃんと家康ゆかりの食材が使われている点を考慮して選定した。

前述のリアルな3D家康像と同様に、家康公顕彰400年を記念して作られたカレーだ

前述のリアルな3D家康像と同様に、家康公顕彰400年を記念して作られたカレーだ

カレーには家康の好物だった八丁味噌が隠し味として使われているほか、幼名「竹千代」にちなんで筍も入っている。カレー自体はレトルトだが、スパイスなども本格的で満足感あり。辛さは控えめ

価格.comで出世城カレーをチェック!

ちょっと箸休め的なつまめるものをとセレクトしたのは「大福寺納豆」。いわゆる浜納豆だ。浜納豆とは浜松地方の名産で、蒸した大豆にこうじ菌を付けて発酵させたあと乾燥させたもの。浜納豆は数あれど、大福寺のものであることが大切。実は大福寺の浜納豆は、家康の手元に在庫がなくなると「まだか、まだか」と催促するほど大好物だったという。現在は大福寺のほか、市内のしょうゆ店、法林寺の3か所で作られている。

原材料は、大豆のほか、裸麦、塩、山椒のみ。シンプルな材料ながら、ほかの浜納豆とは別格の味を作り出すのだとか。家康が食したものを口にできることに期待が募る

開封してみると、想像以上に強烈なニオイが鼻をついた。口に入れるのを躊躇したが、出世運アップのためだ! と食してみると、あれ? おいしい。大豆の味が凝縮されており、味噌味のする濃い豆という感じだ。これは小腹を満たすのにもよさそう。1粒で得られる満足感が大きい。さすが、家康が求めた味だ!

家康が待ち望むほどの「大福寺納豆」は人気のため、注文から半年ほど待つことも。注文はFAXでのみ受け付けている。

さて、最後はデザート♪ 浜松城の売店にあった出世グッズ人気No.1のパワーカードを購入し忘れたので、同じく「しかみ像」を全面に推し出したロールケーキ「徳川家康のしかみロール」(1,296円)をいただく。このロールケーキは、家康の遺品や尾張徳川家にまつわる史料や大名道具を中心に展示する徳川美術館から公認されている。

しかみ像とは言っても、パッケージに描かれているのはデフォルメされた徳川家康

しかみ像とは言っても、パッケージに描かれているのはデフォルメされた徳川家康

ロールケーキの天面には、家康の刻印が。家康を切ることはできないので、刻印のない部分に包丁を入れる。ロールケーキの中はクリームと小豆、餅。超ハイカロリーだけれど、甘過ぎることはない。密度の高いスポンジなのにフワッフワなので、ペロリと食べられる。気付けばロールケーキは消えていた……

「徳川家康のしかみロール」の具材である小豆と餅は、“和スイーツ”にしたいがための施策ではない。家康にまつわる「小豆餅」の逸話が大きく関係している。そのエピソードとは、三方ヶ原の戦いの途中、命からがら逃亡していた家康が空腹に耐えかね茶屋に入り小豆餅を頬張ったものの、追われている身であるためか代金を支払わずに茶屋を出てしまい、店主に追いかけられたというもの。実際に浜松市中区には小豆餅という地名があるほどで、三方ヶ原の戦いの家康といえば、浜松では「小豆餅」なのだ。ちなみに、三方ヶ原の戦いではあまりの恐怖に家康がお漏らしをしてしまったという伝説もある。本当かは定かではないが、家康にとってはさんざんな戦いだったようだ。

出世旅を終えて

出世運アップのための必要最小限のコースのみをめぐり、ほぼ出世フードを食らう旅で終わってしまった。出世できるかはまだわからないが、明らかなカロリーオーバーであることは間違いない。でも、体型だけは社長に近づいた気がする。

北村美桂

北村美桂

“女子的”歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うとともに、イベント「名古屋歴史ナイト」を主宰するライター。好きな武将は柴田勝家。

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2017.6.23 更新
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