歴女参る! 日本史ナナメ斬り
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貪欲な心が洗われた! 日本一有名な足軽・鳥居強右衛門の行き歩みに触れる旅 〜後編〜

長篠の戦いで一躍有名となった足軽・鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の功績をたどる旅をしている筆者。前回訪れた長篠城址史跡保存館では褌(ふんどし)に目が釘付けになってしまったが、今回は強右衛門が守りたかった長篠城と強右衛門の眠る場所へと向かう。そこで見たものは、“神様”にまでのぼりつめた光景だった。

鳥居強右衛門が命をかけて守った長篠城

長篠城は現在、城跡となっている。天正3年の長篠城の攻防戦で城が大きく損壊したため、1年後に廃城。昭和4年に城跡一帯が国の史跡に指定され、平成18年には日本100名城(46番)に選ばれた。そんな長篠城址の見どころは、土塁。川沿いの断崖上に造られた部分の守りは完璧なのだが、平城になる所があり、そこを大きな土塁を使って防御していたのだ。その土塁がきれいに残っていることで、城郭ファンに人気が高い。

寒狭川(現在の豊川)と大野川(現在の宇連川)が合流する突き出した断崖絶壁の上に築城されていた長篠城の、自然を生かした鉄壁の守りは「天然の要塞」と呼ばれている

城跡には天守や堀などの建造物がないため、初心者はどこを見ていいか迷うかもしれない。長篠城址は土塁が有名なので、土塁を見るところからスタートするといいだろう。

駐車場からすぐの場所にある、当時のままの貴重な遺構。50mほど歩けば、土塁の上からも見学できる。高さはゆうに3m以上ありそうだ。土塁の下に敵軍が落ちて、上から攻められたら確実に死んでしまうだろう。奥平軍の気分で、土塁の中に落ちた武田軍をどう攻略するかを想像すると楽しい

続いて、本丸跡へ。本丸跡は広大な広場となっていて、一見普通の公園のようにも見える。しかし、城主・奥平信昌などが居た本丸は一番守りが完璧な場所であったことを回想してみてほしい。今とは違う当時の景色を想像できるのが、城跡の楽しさだ。

本丸跡には看板が立っているので、すぐわかるはず

子どもがどんぐりを拾ったり、凧揚げをしたりと市民の遊び場や散歩コースとなっている。約440年前には、奥平氏が生きるか死ぬかの籠城戦を強いられていたとは思えぬのどかさだ

本丸跡には何もないが、本丸を囲むようにあるフェンスに鳥居強右衛門が援軍を呼びに脱出した場所や「鳥居強右衛門磔死の碑」の場所を示す看板が飾られているので、チェックしておくといい。また、フェンスに近づいて崖や川の位置を確かめると長篠城の要塞ぶりもイメージできるだろう。

強右衛門が脱出した場所である「野牛郭址」。野牛郭は断崖絶壁にある郭で「不浄口」と言われており、汚物などを運び出し流していた所ではないかと推測されている。ということは、強右衛門は下水の中を泳いで脱出したのかもしれない。農民から天下人になった豊臣秀吉も、最初は人の嫌がる持ち場を進んで担当し成果を挙げた。このような姿勢が、出世には必要なのかも!

武田軍の様子を解説する看板「対岸、武田軍5つの砦」もある。長篠城は完全に武田軍に包囲されており、絶体絶命だったのは間違いない。筆者なら100%諦めそうな状況だが、援軍を呼びに行こうと行動した強右衛門の精神力に脱帽する

鳥居強右衛門磔死の碑の場所を示す看板がある。残念ながら、木が生い茂っていてここからは見えない。実際の鳥居強右衛門磔死の碑はクルマで10分くらいの所にあるので、あとで行ってみよう

ここまでの写真でお気付きの方もいるだろうが、長篠城址には線路がある。1時間に1本程度電車が走っており、城の中を通り抜けていく。城の中に電車を通すロケーションは、めったにない。

土塁をぶった切るように線路が通っている。最寄駅は、JR東海・飯田線「鳥居駅」。まさに、鳥居強右衛門最期の地にちなんで、この駅名がつけられたのだとか。三英傑でも自分の名前が駅名になっている人はいないことを考えると、強右衛門の愛され度に驚く

本丸跡など駐車場近辺を見てまわったら、ほかの場所も歩いてみるといい。長篠城址は約10ha(10万平米)あり、現在は普通の町として機能している。城の周辺にはいたるところに看板があるので、見つけてみるのも楽しいだろう。

長篠城址史跡保存館の入口から肉眼でしっかり見える位置に、当時は食糧庫があった。強右衛門が泳いで脱出する時には、食糧庫まで武田軍が攻めてきていたという。食糧庫を占拠される=兵糧がつきるという意味なので、もはや絶体絶命状態。ちなみに、現在は空き家と居酒屋(緑のひさしのほう)になっている。もしや、食糧庫にかけて居酒屋なのか!?

駐車場の南側には、野牛郭を示す目印がある。前述のとおり、汚物などを破棄していたとされる場所だ。長篠城址史跡保存館からここまで下りて来られることを知らない人も多いので、チェックしておきたいポイント

さらに、野牛郭跡の奥から川に下りることができるというので行ってみた。足場が悪いのと、夏にはマムシが出る可能性もあるので、保管館の職員に相談してから向かうほうがいいだろう。

このような山道を約10分歩かねばならないので、スニーカー必須!

目の前に現れたのは豊川。川を隔てて右側に長篠城があり、左側に強右衛門が磔にされた場所がある。武田軍が川に仕掛けた鳴子網も、川幅が広いので苦労したそう。結局、数m程度しか網はかけられなかったそうだが、その距離を潜水で泳いだ強右衛門の肺活量に感服!

鳥居強右衛門磔死の碑のある鳥居強右衛門 磔死之趾にも行ってみよう。長篠城址の川向かいにあるので、クルマで10分ほど走る。

線路の近くに看板があるので、田んぼの中を突っ切って行く

突き当たりには、強右衛門の脱出ルートなどを詳細に記した看板が設置されている

鳥居強右衛門磔死の碑は、看板の向かい側にあった。今は木が生い茂って見えないが、当時は長篠城の本丸から強右衛門の姿がしっかりと見えたに違いない

神様になった鳥居強右衛門の墓

せっかくなので、鳥居強右衛門の墓にも行ってみよう。実は、墓は2か所に存在する。1つは、織田信長が強右衛門の勇気に感動して作らせたという墓で、強右衛門の妻の実家がある作手の甘泉寺に。そしてもう1つは、鳥居強右衛門 磔死之趾から車で約5分の所にある新昌寺だ。当初、強右衛門の墓は新昌寺に建立されたが、1603年(慶長8年)に亡骸を甘泉寺へ移設。そして、新昌寺に1763年(宝暦13年)に移動された。どちらの墓も訪れてほしいところであるが、今回は、地元の人の愛が炸裂する新昌寺へ行ってみる。

入口にある石碑には、でかでかと「鳥居権現」の文字が。権現というくらいなので、神様になってしまったのだ。全国に大名は数あれど、神様となるのは数限られている。たった3日の活躍で神様にまでなるとは、秀吉よりもすごい出世なのではないだろうか

本堂の裏に墓があるのだが、その場所を示す看板は茂みの中にひっそりと隠れていた! 足軽ゆえに、謙虚さを看板でも再現しているのか?!

強右衛門の墓は、狛犬に守られていた。この墓は、「もっとお墓を立派にしよう」と地元の人がお金を出しあって、1919年(大正8年)に拡張工事したものだ。愛され過ぎてる!

立派な台座もあり、非常に格が高い感じ。これまで辿ってきた強右衛門の功績を思うと、純粋に彼をたたえたい気持ちになった

強右衛門の墓がある敷地には、武田軍の武将の墓も4つ鎮座している。祀られているのは、100人以上いる足軽を束ねていた大将・横田十郎兵衛をはじめ、強右衛門よりも位の高い人ばかりだ。しかし、墓碑は一般的なもの。完全に立場逆転!

鳥居強右衛門にまつわるお土産は?

城跡めぐりなど歴史にまつわる場所に旅に出たら、必ずお土産を購入するのが筆者のモットー。その地域でしか手に入らない“歴史お土産”をハンティングするのも楽しみのひとつだ。しかし、鳥居強右衛門のグッズがない! 長篠城址にも長篠城址史跡保存館にも新昌寺にも見当たらず。かろうじて手に入れたのは、保存館にあったスタンプのみ。これではお土産物ハンターとして納得できぬ、と市内を探しまくった。

長篠城址史跡保存館にはスタンプがある。胸筋がいい感じに盛り上がった肉体美! 褌からはみ出た毛も健在だ。これはこれでいい思い出にはなるが、何かグッズが欲しい……

そこで思いついたのが、道の駅。2015年にできたばかりの「もっくる新城」に行ってみた。大体、道の駅には地域にまつわる名産品が置いてあるもの。期待が募る!

道の駅「もっくる新城」は、新昌寺からクルマで10分の所にある。奥三河の木材を使用しており、ぬくもりを感じる施設だ。地域の野菜やジビエ料理を楽しめるほか、17時までなら無料で駐車場にある足湯を利用可能

道の駅をくまなく探したものの、強右衛門グッズは見つけられず。フィーチャーされているのは、ジビエ。鹿や猪に負けているではないか! 強右衛門が負けるなんて……悔しいので、奥三河で獲れた猪の骨から出汁を取っているという「ししラーメン」をオーダーし、駆逐してやった!

お腹はふくれたが、これほどまでにグッズがないとは。地元民に愛されて、立派な墓まで建ててもらっているのにお土産物がないのが納得できず、新城市の観光協会に聞いたところ、特別に作っている強右衛門グッズはないと言うではないか。さらに食い下がってみると、山梨屋という和菓子専門店に強右衛門にちなんだどら焼きがあるという情報をゲット。

褌姿で走る強右衛門のイラストがパッケージに描かれた「強右衛門駆ける!」(130円)

残念ながら、どら焼きには人物像や文字などの焼印はなし。開封すると“強右衛門色”は消えてしまうが、とりあえず希少な強右衛門土産なので大切にいただこう

粒餡が入っており、中身はいたって普通のどら焼きだ。だが、適度な甘さは1日中歩き回った筆者を癒してくれた。1日以上ぶっ続けで泳いで走った強右衛門に、このどら焼きを食べさせてあげたかったなぁ

<関連サイト>食べログで山梨屋をチェックする!

どら焼き以外は強右衛門にまつわるお土産物はないということだったので帰路につこうとした時、長篠城址史跡保存館の近くの酒店(岡本屋酒店)に強右衛門の酒があるという情報が!

純米酒(720ml/1,150円)。店主によると、長篠ではない地域で製造された酒にオリジナルで製作したラベルを貼っているのだそう。強右衛門を推したいという情熱が伝わってくる

せっかくなので、長篠城址史跡保存館で購入してきた「強右衛門の朗読ドラマCD」を聞きながら、「長篠城」と書かれたお猪口でいただく。CDから流れる美談に涙しながら、今回の旅を回想。きっと強右衛門は、主君の奥平信昌(貞昌)と一緒に勝利の酒を飲みたかっただろうと感傷に浸っていたら、酒がなくなっていた。1.8L(2,130円)のほうを買うべきだったか……

旅を終えて

足軽から神様的な扱いにまで登りつめた鳥居強右衛門は、農民から天下人になった豊臣秀吉並の下克上成功の事例とも言えるのではないだろうか。死してからの評価ではあるが、たとえ処刑されていなくても、織田徳川連合軍をつなぎ、長篠の戦いに勝利をもたらした功績は大きい。私利私欲ではなく、仲間や仕えている殿様のために働いた献身の心。窮地に陥っても諦めず、命を投げ打って仲間を救ったヒーローだからこそ多くの人に支持されているのだろう。お土産物はほとんどなかったが、営利に走らない姿は“強右衛門愛”がハンパない新城市らしい気もする。

今回の旅を終えて痛感したのは、どんな時でも諦めずに頑張ること。自分の信念を貫くことが大切だと感じた。強右衛門に学んで筆者も見返りを求めず、独自の姿勢で歴史愛に向き合いたいと思う。きっとそれが、いつか花開くに違いない!

<関連サイト>鳥居強右衛門の眠る地に行きたくなったら、フォートラベルでツアーをチェック!

北村美桂

北村美桂

歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営と、ゆるめの歴史イベント「名古屋歴史ナイト」を主宰するライター。初の子育てに毎日てんてこまい。

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