PDA博物館
“新型iPhone”の前に知っておきたい

アップル影の歴史、Newton発売25周年企画。これがあったからiPhoneが生まれた?

PDA博物館では「最初のPDAは何か?」という問いがたびたび話題になるが、これに対する答えとして最も多かったのが、Newtonだ

2018年9月13日(米国時間9月12日)、アップルが新製品の発表会を開催する。例年通りであれば、この場で「iPhone」の新モデルが発表されることから、ネット上では、さまざまな噂や憶測が飛び交っている。

「電話の再発明」から、今や生活の一部として欠かせない存在にまでなったiPhone。その礎として、かつてアップルが「Newton MessagePad」(以下、Newton)と呼ばれるモバイル端末を発売していたのを、ご存じだろうか?

Newtonは、アップルの元CTO(最高技術責任者)だったジョン・スカリー氏の「ナレッジ・ナビゲータ」という構想を実現するPDAとして開発。1993年に発売され、今年はちょうど発売から25周年にあたる。

そこで今回は、Newton発売25周年企画として、日本でのNewton普及に尽力したエヌフォーのCEOリチャード・ノースコット氏と、以前も本連載に登場した“Palmの神様”山田達司氏との対談をレポートする。(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花)

左:山田達司氏。NTTデータにて先進デバイスおよびセキュリティの研究開発に従事。1995年米国で普及を始めていた「Palm」を日本に紹介し、日本語OS「J-OS」の開発などに努める。ニックネームは「Palmの神様」。ネット用語「神降臨」の元祖と言われる
右:エヌフォー代表取締役社長CEO、リチャード・ノースコット氏。オーストラリア生まれ。1986年に上智大学比較文化学部の学生として来日。その後、日本語フォントを作りながら出力センターのコンサルタントを務め、1992年に有限会社エヌフォー・メディア研究所、1994年に株式会社エヌフォーを設立。Unicodeの入力環境「UniFEP」を中心に、Newtonソフトを発表した。1996年に日本初のNewton専門店「The Newton Shop」を開店。現在はiPhoneアプリやAndroidアプリも手がけている

リチャード氏とNewtonとの出会い

――リチャードさんと「Newton」との出会いについて教えてください

リチャード氏(以下、敬称略) 1992年にエヌフォー・メディア・研究所を設立し、「PS外字キット」などのDTPソフトを開発したり、DTPの外字フォント作成ツールをパッケージやプリンターメーカーに提供したりしていました。

仕事柄、アップルのニュースをよく見ていたのですが、そこでNewtonが話題になっているのを見たとき、「これは絶対にやりたい!」と思ったんです。

1993年、ボストンのMacworld ExpoでNewtonが初めて売り出されると聞いて出かけたのですが、会場に行くと、すでに行列ができていた。いっぽう、開発キットは並ばずに買えたので、先にそちらを入手。Newton本体は、翌日に購入しました。

Newtonを触ってみて、“足りないもの”は何かすぐにわかりました。Newton OSには、入力された文字列から使い手の意図を理解し、最適なアプリを起動して処理したり、的確な情報を探して提示したりする「assist」機能が組み込まれていました。このassist機能こそ、Newtonの最も特徴な機能であり、ジョン・スカリー氏のナレッジ・ナビゲータという概念を実現したものでした。

しかし、これを使うには、Newtonにあらかじめ登録されている言葉を使わなければならない。つまり、日本でよく使う言葉が登録されていない状態では、assist機能が使えないということになります。

歴代のNewtonがずらり。なかでもレアなのは、左側手前にあるシャープの「ExperPad」(未発売)

歴代のNewtonがずらり。なかでもレアなのは、左側手前にあるシャープの「ExperPad」(未発売)

このままでは日本では使えないと思った私は、Macworld Expoから帰る飛行機の中で、日本でよく使う言葉を単語に登録するアプリ「Add To Dict」を開発。日本語の主な住所や人名のリストを一気に登録できる機能を用意しました。実はこれが、Newtonのサードパーティーアプリの第1号だったんです。

1994年には、Newtonのアプリを作るため、モバイルアプリ開発会社として、株式会社エヌフォーを設立。同2月に日本で開かれたMacworld Expoで、初の日本語対応アプリ「Railmap(路線図)」を公開しました。このときはまだ、Newton日本語版は出ていなかったので、日本語対応といっても、日本語で描かれている画像を表示するというものでしたが(笑)。

1996年には、初のNewton専門店「The Newton Shop」を東京・銀座に開店。Newtonの本体だけでなく、周辺機器やソフトウェアなど、Newtonに関するものは何でも店頭で手に入るようにしました。日本のNewton市場を盛り上げるため、ユーザーグループを応援するという活動も積極的に行いました。

持参したNewtonを使いながら、機能を説明するリチャード氏。25年前の端末だが、現在もまだ使用できる状態だった

Newtonで試した工夫が現在のスマートフォンに生きている

――山田さんも当時、Newtonを使っていらっしゃったんですよね。

山田氏(以下、敬称略) はい。会社にあったNewtonを触ってみて、その先進性にとても魅力を感じました。そこで会社にNDK(Newton Developers Kit:Newton用のアプリケーション開発ソフト)を買ってもらって、Newtonのアプリを開発しました。Newtonはアプリ開発環境も最先端で、Mac上で開発プログラムを走らせて、仮想マシンの機械語に翻訳し、Newtonの仮想マシン上で実行されるという仕組み。現在のJavaの実行形式と同じなんです。モバイルデバイスで、この考え方を最初に使ったのがNewton。とてもワクワクしたのを覚えています。

ただ、あまりにも実行が遅すぎた(笑)。CPUもARMの40MHzだったので、当時からすると決して遅くなかったんですが、いかんせんOSが高機能すぎた。

リチャード Macもそうだったんですが、OSの機能がリッチすぎて、初期のデバイスだとサクサク動かない。アップル製品にありがちな話です(笑)。しかも本体のメモリーは、たったの3KB。ただし、Newtonには、プログラムが動的に確保したメモリー領域のうち、不要になった領域を自動的に解放する「ガベージコレクション」という仕組みが用意されていたので、当時のニーズから考えると、メモリーはこれで十分と判断された。しかし、デベロッパーがいろんなことをやりたくなっちゃって、これでは足りなくなった(笑)。

そこでデベロッパーたちは、タップの回数まで考えながら、ごくごく細かいところまでチューンナップしてアプリを開発しようとしていた。まさに、職人芸です。現在は、開発環境が恵まれていて、苦労しなくても何とかなるけど、当時は職人じゃないとうまくいかなかった。そんな時代もあったんです。

「発売から25年経った今だから、Newtonに搭載された先進的な機能が、いかに正しかったのかがわかる。まさに理想的な端末。ただし、残念なことに、技術が追いついていなかった」(リチャード氏)

山田 PalmのUIをデザインしたロブ灰谷さん、もともと「Zoomer」(カシオ)のPIMアプリを作っていた方なんです。Zoomerもとても遅かったので、その上で実用的なアプリを作るのは、とてもたいへんだった。そこで、UIやタップ回数など細かいところを調整して、サクサク動くようにするというノウハウを積んでいったんです。

そして、そのノウハウを使ってPalmのPIMを作った。Palm OSは、Newtonとは反対に、リッチな機能をとことんそぎ落として、必要最低限で何とかしようとしていたので、動作は軽かった。そこに、ロブさんがデザインしたPIMを乗せたものだから、「Dragon Ball」という前時代的なCPUでも驚くほど快適に動くデバイスになった。

画像左から「Zoomer」(カシオ)、「PILOT 5000」(U.S.Robotics)

画像左から「Zoomer」(カシオ)、「PILOT 5000」(U.S.Robotics)

現在のスマートフォンは、プロセッサーがARM系で、仮想マシンもガベージコレクションを採用している。そう考えると、モダンなOSやデバイスが持っている機能はだいたいNewtonで試していたということですよね。そういった意味でも、Newtonはエポックメーキングなデバイスだったと言えます。

日本語で使えるNewtonを作ったのは、アップルじゃなかった!

――ところで、先ほど「日本語で使えるNewtonはまだなかった」という言葉がありましたが、その後、日本語で使えるNewtonは登場したのでしょうか?

リチャード 結論から言うと、1997年に日本語が使えるNewtonが発売されました。しかし、それを作ったのはアップルじゃなくて、実はエヌフォーだったんですよ。

もともと、アップルは日本語版Newtonを出す気満々で、ハードウェアを作っているシャープと一緒に開発していたんです。今では笑い話ですが、当時アップルは「日本語版を“泳げるころ”に出す」といっていたのですが、待てど暮らせど出てこない。待ちわびたユーザーたちは「なかなか泳げる季節がこないね」と言っていたものでした(笑)。

その後、シャープがNewtonから撤退し、ついに日本語版開発がストップしてしまった。それを聞いた私は「じゃあ、エヌフォーが作る!」と宣言。いろいろと考えた末、OSまるごと置き換えるのではなく、単純にフォントをインストールして、「かな漢字変換」(UniFEP)というソフトを入れればいいということに気がつきました。Newtonがもともと、Unicode対応で作られていたからできたことなんですが。

山田 僕もPalmの日本語化を志しましたが、PalmはUnicode対応ではなかったので、表示機能、文字列処理機能など、ありとあらゆるところに、手を入れなければならなかったんですよ。英語のデバイスを何とかして使いたかったというところは同じなのに、リチャードさんがうらやましい。

リチャード シャープ撤退でアップルは日本語版をあきらめたんですが、7000台の初期モデルがあって、これを何とかしたい。そこで、エヌフォーがUniFEPをNewtonにバンドルして売ろうということになったんです。アップルはなかなか、他社製品をバンドルして自社製品を販売するということをしない企業なので、これは実に画期的なこと。

山田 UniFEPをバンドルしたNewtonは、アップルのチャネルで販売されたので、どこでも買えたのですが、当時は銀座のThe Newton Shopと秋葉原のイケショップが“2大聖地”と記憶しています。Newtonを使いたいモバイラーが押し寄せてましたね。

スマートフォンは、人をアシストするために欠かせないツール

――当時のNewtonユーザーは、このデバイスで何をしていたんですか?

リチャード 当時は、メモを書くために持ち歩く人が多かった。書いたものを赤外線でやりとりしたり、FAXで送ったりしていました。システム手帳の代用品ですね。サイズもだいたい同じだったし。

私は、もともとパソコンが大好きでした。パソコンの前に座っていると、“何でもできるスーパーマン”になれるような気がします。私は当時、日本語を話すために辞書が手放せなかったんですが、パソコンがあればすぐに調べられるため、スラスラ話せます。しかしパソコンから離れると、そんなスーパーマンのような私が突然、普通の人に戻ってしまう。普通の人に戻るのはイヤだから、何とかしてパソコンを持ち歩きたかった。

Newtonは、確かに大きいけれど、漢字辞典よりは小さい。Newtonがあれば、いつでも漢字が調べられる。つまり、私にとって、自分の脳を拡張するためのツールがNewtonだったんです。

「私は、自分の脳を拡張するツールとしてNewtonを使っていた。それは、現在のスマートフォンと同じ」(リチャード氏)

山田 僕はPalmの前にNewtonを使ったのですが、その動機はリチャードさんと同じ。子どものころから自分の記憶力に自信がなくて、予定や買い物は何でもメモに残しておかなければならなかった。脳を補完するツールとしてのモバイルの可能性には、ずっと期待していたんです。

リチャード 今は、スマートフォンがなければ生きていけないという人が多いでしょう。当時の私は、まさにNewtonがそうだった。インターネットが高速で使えるようになり、スマートフォンの機能が進化して、現在はマニアではない人も「スマートフォンが必要」と思う時代になりました。

情報は、スマートフォンで持ち歩く時代。受け取るだけなく、自分で発信する人も増えている。ユーチューバーになるにはハードルが高いけれど、自撮り写真をSNSにアップするぐらいなら、すぐに始められます。モバイルは、すでに生活の一部となっており、モバイルビジネスは、まだまだ伸びる可能性を秘めています。私は現在、オンラインメディア業界に革命を引き起こすため、次世代電子マネー「SEN」の創立を手がけています。詳しい説明は割愛しますが、「インターネットにおけるシェアリングエコノミー」という考え方の提案です。

モバイルの未来はどうなる?

――これからのスマートフォンはどうなると思いますか?

山田 Newtonのassist機能は、人間がやりたいことを言うと、コンピューターがそれを理解してアプリを提示してくれるというもの。その思想が間違いなく、現在の「Siri」や「Google アシスタント」につながっている。これからは、この機能がさらに進化し、IT機器が人間を助けてくれるものとして、欠かせないものになってくると思います。

リチャード ハードウェアの進化は、もう限界に来ています。スマートフォンは、すでに完成形といってもいいのではないでしょうか。私は、実はスマートフォンよりタブレットが好き。タブレットで動画を見たり、ネットを見たりしています。出かけるときはスマートフォンで、自宅ではタブレット、ジョギングするときはウェアラブルでというように、シーンによって手軽にデバイスを切り替えて使えるようになればいいと思う。そのためには、アプリやデータなどが常にクラウドで同期され、すべてのデバイスが最新の状態であることが好ましい。一部のアプリやサービスはそうなってきていますが、LINEではそれができない。これがとてもじれったいです。

山田 僕もそういう使い方は便利だと思うけど、すべてを完全にクラウドに任せるのは少し違うかな。オフラインでも確実に使いたいものはローカルに、時々見たいようなものをクラウドに置く、という流れがいいのではないかと思います。ユーザーは、ローカルとクラウドを無意識に使い分けしていくのではないでしょうか。

たとえば、スマートフォンがメインのデバイスとなり、必須なデータやアプリはこの中に入っている。移動中はスマートフォンを使い、座ったときはタブレットにスマートフォンを組み込んで使ったり、オフィスではモニターにスマートフォンを接続して使ったりするというようなスタイルはどうでしょうか。

外出中に映画を見るなら、最近発売されたVRデバイスの「Oculus Go」がいいです。Oculus Goを「プライベート・シアター」として使っている人が増えているようですね。飛行機や新幹線に乗るときは、こういうデバイスにスマートフォンを組み込めば、スマートフォンでYouTubeを起動して、その映像をOculus Goで見たりすれば楽しい。この場合、データはクラウド上で、処理はスマートフォン、出力先がVRとなります。このように、コアとなるマシンはスマートフォンであっても、出力先のデバイスを自由に選べるようにすれば、いろいろなシーンにあわせて、快適に使えるようになるのではないでしょうか。

「メインデバイスとしてスマートフォンを常に持ち歩き、外出先のモニターやタブレット、ウェアラブルにカチッとはめこんで使えるようになればいいのでは」(山田氏)

リチャード そういう使い方であっても、デバイスの電池が切れる、あるいは通信が切れると、途端にスーパーマンが普通の人に戻ってしまいますね。田舎でも海外でも、どこにいても、常に同じ環境で使えなければならないということ。これは、必ず解決しなければならない課題です。

私にとって、モバイルはコミュニケーションの道具。話しながら写真を見せたり、その場で曖昧なことを調べたりするために使うことが多いです。たとえば、「オーストラリアにはこんな動物がいるんだよ」と言葉で説明するより、画像を見せるほうがずっと伝えやすい。そうやってコミュニケーションを深めることで、人生が豊かになる。

山田 僕は、それをVRやARでやりたい。たとえば、みんなで話をしていて、会話の中に、その動物の名前が出てきたとします。そうすると、テーブルの上にあるデバイスが勝手にその名前を検索して、その動物の姿をホログラム映像で見せてくれる。現在のスマートスピーカーが進化すれば、そんなことも簡単にできるようになるはず。25年前に生まれたアシスト機能がこんな形で実現していくというのは、本当にすごいこと。逆に現在は、当時よりすごい使い方をイメージできるようにならなければいけないと思っています。

リチャード 私は、情報を直接脳の中に入れられないかと考えています。ずっと日本語を覚えたかったが、日本語を勉強するのではなく、何か情報が入ったものを頭にブスッと挿すと、いきなり日本語が話せるようになる。いわゆるUniFEPの脳みそ版のようなもの。そういうものが現実になればいいなあと。

Newtonをキーワードに、モバイルの未来についても、さまざまな意見が交わされた

Newtonをキーワードに、モバイルの未来についても、さまざまな意見が交わされた

取材を終えて(井上真花)

対談の中でとても印象的だったのは、リチャードさんの「パソコンの前にいる自分は、まるでスーパーマン。でもパソコンから離れると普通の人になる。それがイヤだから、モバイルデバイスが必要」という言葉。確かに私、iPhoneがなければ、普通の人どころか普通の人以下。「今日の予定は、何だっけ」「ほらほら、あの人! ええと名前は……」「漢字が思い出せない!」と、わからないことがあればすぐにiPhoneで調べるクセがついているので、これがなければ生活が成り立ちません。そういった意味では、25年前にNewtonを開発してくださった関係者の方々は、命の恩人です。改めて感謝の意を申し上げます。

オフィスマイカ

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編集プロダクション。「美味しいもの」と「小さいもの」が大好物。 好奇心の赴くまま、良いモノを求めてどこまでも!(ただし、国内限定)

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