自動車やバイクの魅力と楽しさを伝えるイベント「東京モーターフェス2018」が、2018年10月6〜8日に東京・お台場にて開催された。平成最後の開催となる今年のイベントは、この時代を象徴する名車や痛車(イタ車)の展示をはじめ、eスポーツ大会の実施など、平成を楽しみ尽くせる内容となっていたが、アラフォー筆者の琴線に触れたのは「バックto the バブル!」のコーナー。登美丘高校ダンス部の“バブリーダンス”がブームになったことから、バブル時代の車種もずらりと並べられていたのだ。昭和後半から平成前半までに登場し、大きな話題となったファミリーカーを集めてみたので、あの頃を思い出しながら見ていこう!
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「東京モーターフェス2018」で見つけたバブル時代のスポーツカーを一挙紹介!
セダンでありながら、クーペのように低い全高と傾斜したピラーを持ち、“かっこいいセダン”の代名詞的存在だった「カリーナED」は、家族持ちでもスタイリッシュな自動車に乗りたいお父さんたちからマイルドヤンキー的な若者まで広い人気を集めた。“八頭身プロポーション”と呼ばれたキャビンが、実は狭かったことを覚えている人もいるのではないだろうか。
写真は初代モデルだが、バブル真っ盛りの1989年に登場した2代目モデルのほうが印象に強いかも!?
筆者の友人の兄(マイルドでないヤンキー)が乗っていたこともあり、思い出深い。車高を落とすと、さらに低いスタイルになってかっこよかったことを鮮明に覚えている
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このモデルから前輪駆動となり「FFジェミニ」と呼ばれていたのが懐かしい。今見てもまとまりのいいデザインは、「デロリアン」や初代「ゴルフ」のデザイナーであるジウジアーロ氏が手がけたもの。ロータス社が足回りをチューニングした「ZZハンドリング・バイ・ロータス」や、イルムシャー社がチューニングしたエンジンを搭載した「イルムシャー」など、スポーツ性能を向上させたバリエーションモデルも豊富にラインアップされていた。
何の変哲もないセダンなのに、1度見ると不思議と記憶に残るデザインは、さすがジウジアーロ。走行性能を高めたバージョンの存在が示すように、車体の完成度も高かった
“街の遊撃手”というキャッチコピーのCMが話題になったこともあり、当時はかなりの台数のジェミニが街中を走っていた。その中の1台は筆者。筆者が初めて運転したマニュアル車はジェミニだったりする(笑)
現在にいたるまで、ホンダのフラッグシップモデルとしてラインアップされている「レジェンド」が登場したのもこの時代。ホンダ初のV型6気筒エンジンを搭載したことでも話題となった(のちに「NSX」にも採用)。このクラスのセダンとしてはめずらしいFF(前輪駆動)レイアウトとされ、ホンダ車としては初めて都内のハイヤーとして採用された歴史を持つ。写真の4ドアセダン以外に、1987年には2ドアクーペモデルもラインアップされた。
「アコード」などと共通する、当時のホンダらしいデザインのフロントマスク。同社の持つテクノロジーを投入したフラッグシップとして登場した
当時の高級車としてはオヤジっぽくないスッキリしたデザインで、若者のウケもよかった
日産の大衆モデル「マーチ」をベースに、レトロなデザインを与えられた「Be-1」は“パイクカー”と呼ばれる特徴的なスタイリングを持つ自動車の先駆けとなった。この流れは、1990年代以降、フォルクスワーゲンの「ニュービートル」やBMWの「ミニ」など、レトロ調のリバイバルデザインの車種を生むことになる。限定販売というふれ込みだったが、予約注文が殺到し、結果的にはかなりの台数が街中を走っていたので、見覚えがある人も多いだろう。1980年代まで主流だった四角いフォルムが見直される契機となったモデルでもある。
ベースとなった初代「マーチ」とはかけ離れたポップな外観デザイン。このモデルの人気を受けてか、2代目以降の「マーチ」は丸みを帯びたデザインとなった
電動キャンバストップ仕様は人気が高く、販売台数の40%を占めたという。テールランプの手が込んだデザインも、バブル時代ならではのお金のかけ方だ
景気のよかった時代を象徴するように、一時は同社の「カローラ」を月間販売台数で上回るほど売れたのが、この8代目「クラウン」だ。3ナンバー専用のボディが用意され、装備にはエアサスペンションやトラクションコントロール、CD-ROMによるカーナビ機能を持ったエレクトロマルチビジョンなどを採用。ターボやスーパーチャージャー付きのエンジンも搭載され、ふわふわした乗り心地ながらアクセルを踏むと結構速い自動車でもあった。
フロントマスクが、いかにもバブルっぽい豪華な雰囲気。エアサス付きのグレードは乗り心地も高級感があった
パトカーにも採用されていたので、このテールを見てドキッとした人もいるのでは?(筆者も身に覚えがある……)
日産の「セドリック」や「グロリア」の上級モデルとして登場した「シーマ」は、当時、高額な商品が売れたトレンドのことが“シーマ現象”と称されたほど、絶大な人気を誇った車種だ。3ナンバー専用ボディにV型6気筒のエンジンを搭載し、ターボ付きモデルでは255PSを発揮。高級車であるだけでなく、“速いセダン”として若者のファンも多かった。しかし、2代目モデル以降は景気の減退もあって、徐々に販売台数が減少。2010年の4代目モデルで生産が一時終了したのだが、2012年にハイブリッド専用モデルとして復活した。
高さを抑えたボンネットと全高で、当時のセダンの中でも群を抜いてスマートな印象の外観デザインは、“隠し持った速さ”を感じさせてくれた
薄型のテールランプもスッキリした印象を際立てる。加速する瞬間にグッとリアが沈み込むのがかっこよく見えたものだ
前述の「Be-1」と同じく「マーチ」をベースとした“パイクカー”として生まれた「PAO(パオ)」は、1987年に開催された東京モーターショーにコンセプトモデルとして出展されたことで話題を集めた。その後、1989年に3か月だけ受注し、その期間に注文があった分をすべて生産するという販売方法が取られたのだが、たった3か月間でありながら製造台数は3万台超え。「Be-1」よりも多く生産され、今でも多数のファンが存在する。
ちょっと前のヨーロッパの大衆車を思わせるレトロを極めたデザインは今でも十分に通用するものだが、細かい部分まで手が込んでいるぶん、製造コストはかなり高かったようだ
リアビューも国産車とは思えないような特徴的なもの。サイドや後部のドアにもすべてリブが立てられたボディには、新素材や新工法がふんだんに使われていた
ヒンジを外側に露出させたフロントドアや、フリップアウト式のリアウィンドウ、フロントの三角窓など、レトロなギミックもいっぱい。リアハッチは上下に分割して開くという手の込みようだ
広い荷室によるユーティリティと、高い動力性能を持つツーリングワゴンの代名詞的存在ともなっている「レガシィ」も、この時代に登場。当初は4ドアセダンとして企画されたモデルだったが、ツーリングワゴンモデルのほうが人気を博したのだ。水平対向の4気筒エンジンは、ターボ付きモデルで当時クラス最強となる220PSを発揮し、その頃のスキーブームも相まって“ゲレンデ・エキスプレス”という言葉も生み出した。
スバル独自の水平対向エンジンは重心が低く、AWD(4輪駆動)と相まって高い運動性能を有していた。1980年代に倒産の危機にあった同社を救ったモデルとしても知られる
ベースは4ドアセダンながらワゴンボディのほうが人気で、ウィンタースポーツの道具を積んでゲレンデを目指すのが当時流行となった
多くのエポックメイキングな車種が登場した1989年、トヨタ「セルシオ」も誕生。オーナー自身が運転しない(ドライバー付きが前提)「センチュリー」を除くと、同社の最高級車種に位置づけられ、それまでメルセデス・ベンツやBMWなどの独壇場であった高級セダン市場に国産車として初めて参入し、その後の海外メーカーの自動車造りにも影響を与えたと言われるモデルだ。海外ではレクサスブランドの「LS」として販売され、同ブランドを築く礎となった車種でもある。
オーソドックスなセダンボディながら乗り心地や走行性能が高かったこともあり、若い世代が憧れの自動車としてその名をあげることも多かった
今となっては見かけることが少なくなったセダンだが、こうして見ると自動車らしいデザインで乗ってみたくなる
“トヨタの天才タマゴ”というキャッチコピーどおりの丸みを帯びたタマゴ型のデザインが注目を集めた初代「エスティマ」は、エンジンを居室の床下に75°傾斜させて搭載する革新的な構造で、居住性と走行安定性を両立したレイアウトを実現。ただ、当時のミニバンとしては高価(販売価格は296万5000円〜)だったため、ボディを5ナンバーサイズに納めた廉価版の「エスティマ エミーナ」や「エスティマ ルシーダ」が後日追加された。
四角いデザインの多かった当時の自動車の中では、ひときわ異彩を放っていたタマゴ型のデザイン。個人的には、ナローな廉価モデルよりもワイドな3ナンバーボディのほうがバランスはとれていると思う
流麗さを感じさせるデザインながら、室内の居住性はバツグンに高い
世界に衝撃を与えたハイブリッド車の初号機。燃費効率の高いアトキンソンサイクルエンジンに電気モーターを組み合わせ、エンジンが苦手とする低速での加速を助けるとともに、減速時のエネルギーを電力として回生する画期的な機構で28.0km/L(10・15モード)という当時としては高い燃費を実現していた。215万円の販売価格は当時としても安いものではなかったが、それでも“売れば売るほど赤字がかさむ”というウワサが立つほどで、採算がとれる価格設定ではなかったのだそう。とはいえ、このような価格では売れ行きは伸びず。そんなプリウスが時を経て、年間販売台数でトップを取ることになるなど、当時想像できた人はほとんどいなかっただろう。
空気抵抗を低減するため、フロントグリルとボンネットをシームレスにつなぐ構造など、当時としては先進的な車体レイアウトを採用
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