ホンダから軽自動車の新型モデル「S660」が発売された。1990年代の軽自動車「ビート」を彷彿とさせるミッドシップスポーツカーとして話題を集めるS660はどんなクルマなのか? プロトタイプ試乗会に参加したモータージャーナリストの鈴木ケンイチ氏が、開発責任者とのインタビューとあわせて試乗のインプレッションをレポートする。
発売となったファン待望の2シーターオープンスポーツ、S660。このクルマに込められたホンダの思いとは?
2015年4月2日に発売となったホンダのS660に注目が集まっている。自動車媒体の多くは、S660を表紙に掲載するなど、競うように扱っているし、新聞などでも数多くの記事が作られている。また、発売日となった4月2日の時点で、初期ロット分はほぼ完売。4月16日〜22日の注文を逃すと、納車は2016年まで待たなければならないという。少量生産とはいえ、驚くほどの人気の高さだ。
こうしたS660への熱い視線は、逆に直近のホンダのふがいなさに理由を求めることができるだろう。昨年のホンダはハイブリッドやエアバッグ関連で数多くのリコール問題に直面した。また、社長の突然の交代劇もあった。
こんなホンダの状況もあってか、このところ、いろいろな人と「ホンダらしさって何だろう?」と話す機会が増えた。その場合、「昔のホンダは、もっと元気だった」という前提での話になることが非常に多い。特に、40代以上の人に、その思いが強いようである。かくいう筆者も、その一人だ。
S660には、ホンダ=元気な自動車メーカー、ということを思い出させてくれる「ヤンチャさ」が詰まっている
筆者が20代であった80年代から90年代のホンダは、今よりももっとスポーツのイメージが強かった。なんと言っても、F1では敵なし状態であったからだ。また、量産車でも、90年には「NSX」がデビューしている。フェラーリやランボルギーニといった欧州のスーパースポーツと同様のアルミボディ+ミッドシップスポーツというNSXの発売は、まさにセンセーショナルだった。当時として国産車でもっとも高額な800万円というプライスにも驚いた。さらに翌年は、軽自動車のビートを発売。最高価格のNSXと軽自動車のビートを同じメーカーが発売しているというのも、よく考えればすごい話である。とにかく、40代くらいの人にとって、「F1」「NSX」「ビート」は、90年代のホンダのスポーツイメージのキーワードであった。
また、それよりも上の世代、それこそ、1960年代を知る人にとって、ホンダは、さらにヤンチャなイメージのメーカーであるはずだ。誕生したばかりのオートバイメーカーがいきなりF1に参戦。その後、ようやく4輪事業に参入するというデタラメさ。4輪事業参入後にホンダから発売されるクルマは、「誰の真似もしない」という強烈な魅力がありつつも欠点もあるという、優等生とは正反対なキャラクターであったのだ。そして、そのベンチャーそのもののイケイケさがホンダの魅力の源泉だったのである。
それに対して、昨今のホンダのイメージは、アシモやホンダ・ジェットなどで「最先端技術」というイメージが残るけれど、クルマは「N-BOX」や「フィット」「ステップワゴン」といった実用ワゴン系ばかり。「破天荒だった、かつてのホンダのイメージは、ずいぶんと薄れてしまった」と、古い人間は思ってしまうものなのだ。
そこに、今回のS660のリリースだ。時を同じくして、ホンダは久々にF1参戦を再開しているし、北米で新世代のNSXも発表している。それに続く、ビート後継とでも呼ぶべきS660の登場である。元気なイメージのあった90年代初頭のホンダをオーバーラップさせる「F1」「NSX」「S660(ビート)」という3枚のカードが再びそろったのだ。S660への注目・期待が高まるのも、当然のことだろう。
1991年デビューのビートから、約24年の時を経て誕生したS660。そのルックスは、2011年の東京モーターショーに出品されたコンセプトモデル「EV-STER(イーブイ スター)」や、2013年の東京モーターショーに出品された「S660 CONCEPT」の延長線上にあるものだ。軽自動車サイズに収まりつつも、起伏に富んだエクステリアのフォルムから窮屈さは感じられない。比較するモノがほかになければ、軽自動車とは思えないほどだ。
エクステリアデザインのキーワードは「ENERGETIC BULLET」。パワーみなぎる弾丸のような力強さに加え、温かみと色気のあるボディを目指したという
エンジンは、乗員のすぐ後ろ、後輪のほんの少し前に搭載する、いわゆるミッドシップレイアウトを採用。車両重量はMT車で830kg、CVT車で850kg。前後重量配分は、前45:後55。燃料タンクは、乗員のすぐ後ろの隔壁とエンジンの間の床下に、バッテリーはフロント部の中央に設置。重量物を中心にまとめる、マスの集中化を実施している。
搭載するエンジンは、「N-ONE」などにも採用される660cc、3気筒DOHCターボのS07A型。ターボを新開発するなどして、レスポンス向上と軽量化を実現した。ミッションは、新設計された6速MTと、専用セッティングを施したCVTを採用。スペックは最高出力47kW(64PS)/6000rpm、最大トルク104Nm/2600rpm、JC08モード燃費はMT車が21.2km/l、CVT車が24.2km/lとなっている。
エンジンはシートのすぐ後ろに配置されるミッドシップレイアウトを採用
シャシーは4輪独立懸架。サスペンションは、フロントがストラット、リアがデュアルリンクストラット。それを支えるサブフレームは軽自動車初となるアルミ製というゴージャスな内容だ。また、タイヤは横浜ゴムの人気スポーツタイヤである「アドバン ネオバAD08R」。フロント165/55R15、リア195/45R16という異形サイズとなっている。高性能なタイヤであるが、市販品では同サイズが存在しないため、購入後にオーナーがほかの銘柄を選べないのはデメリットとなる。ちなみに横浜ゴムは、同サイズのスタッドレスを用意する予定があるという。
S660専用に開発されたプラットフォーム&ボディは、全体の60%以上にハイテン材(高張力鋼板)を採用することで、軽さと高剛性を両立。静止状態でのねじり剛性では、かつてのホンダ・スポーツの雄である「S2000」を上回る。もちろん前面衝突だけでなく、側面衝突、後面衝突に対応するだけでなく、ロールオーバー(横転)時にも対応するボディ構造とし、すぐれた安全性を追求している。
シャシーは4輪独立懸架。走行状況に応じて最適なトー、キャンバー特性を獲得し、専用タイヤの能力を引き出してくれる
サスペンションは、フロントがマクファーソンストラット、リアがデュアルリンクストラットとなる
高い走行性能とすぐれた衝突安全性を実現するため、強さと軽さを徹底的に磨き上げた高性能ボディを採用
また、安全アイテムとしては、軽自動車初となる内圧保持タイプのi-SRSエアバッグ(内圧を高く保持する時間を長くすることで安全性を高めるもの)を採用。運転席用i-SRSエアバッグ、i-サイドエアバッグ、エマージェンシーストップシグナル、VSA(車両挙動安定化制御システム)を標準装備。VSAは、横滑り防止装置にABSとトランクションコントロールを統合したシステムだ。さらに坂道発進でのずり下がり防止のヒルスタートアシストも標準装備している。時速5〜30kmで作動する低速域の衝突被害軽減自動ブレーキのシティブレーキアクティブシステムはオプションとなるが、誤発進抑制機能が備わっている。
さらに、運動性能を助ける機能として軽自動車初となるアジャイルハンドリングアシストも標準装備している。これはコーナリング時に左右のブレーキを細かく制御することで、狙ったラインを走りやすくする機能である。
時速5〜30kmで作動する衝突被害軽減自動ブレーキのシティブレーキアクティブシステムをオプションで用意する
CVT車には、アクセルとブレーキの踏み間違いなどの際に音と表示で警告するとともに、エンジン出力を制御する誤発進抑制機能を装備
旋回に入る際の応答性や旋回中のライントレース性をより高めるハンドリング支援システム、アジャイルハンドリングアシストも装備する
キャンバスのロールトップは人の手で脱着を行う。前方と左右にある3つのロックを外し、クルクルと巻きとるように取り外す。外した幌は、フロント部にあるユーティリティボックスに収納が可能だ。ちなみに収納スペースは、そのユーティリティボックスしか存在しない。ロールトップを収納してしまえば、収納はゼロになる。またロールトップを収納していない状態では、スケートボード程度の大きさのものしか入らない。大人二人が旅行に使うという場合は、荷物をどうするのか? それなりの覚悟と工夫が必要になるだろう。速く走るのに適したレイアウトであるミッドシップは、荷室スペースを確保するのが難しいという弱点を持っているのだ。
キャンバスのロールトップは、クルクルと巻き取るように手動で行う
ロールトップを収納するフロント部のユーティリティボックスは、スケートボードが入る程度の大きさ
S660の内容をざっと駆け足で説明してみたが、それが非常に凝ったものであることに気づいたはずだ。ボディと6MTとターボは専用に新開発。安全装備類も充実している。そのため、価格も、ベーシックな「β」が198万円、上級の「α」が218万円。MT車とCVT車の価格は同じだ。また、発売記念として特別装備を備えた660台限定の「S660 CONCEPT EDITION」は238万円となっている。ある意味、軽自動車の枠を超えた価格と、トランクスペースの不足。このふたつがS660のアキレス腱と言ってもいいだろう。
続いて、S660の走りをレポートしたい。試乗コースとなったのはサーキットであった。
まずはMT車に乗り込む。インテリアは、なかなかスポーティーで、かつ質感が高い。ステアリングやシフトノブのステッチには高級感がある。軽自動車だから……、という安っぽさがないのがうれしいところだ。ただし、室内左右や頭上空間はミニマム。それでいて、窮屈に感じないのは、足がしっかりと伸ばせて、きちんとしたドライビングの姿勢がとれるからだろう。ペダルやシフトノブの位置に、まったく不満はなかった。
インテリアはスポーツカーらしい雰囲気で、軽自動車とは思えない質感の高さを誇る
シンプルだが視認性の高いメーター類。CVT車にはダイレクト感のある走りが楽しめるSPORTモードを採用
6速MTの操作性はスムーズで、走行中、シフト操作に注意を奪われるようなことはない
室内左右や頭上空間はミニマムだが、シートに収まると窮屈さを感じることはなかった
軽いクラッチをミートさせてスタート。スルスルと加速しながら、まずはゆったりとサーキットを一周。座席の真後ろにある電動の窓を開くと、乾いたエンジン音のボリュームが一気に高まる。シフトアップにともなうアクセルオフでは、ターボ特有のブローオフバルブの「パシュー」という音が鳴り響く。これだけで「スポーツカーを運転している!」という気分になり、口元がゆるんでしまう。
コーナーをひとつふたつクリアしてみて、乗り心地のよいことに気づく。それでいて深いロールで、サスペンションが沈みきって、おかしな挙動をすることもない。タイヤは硬いが、足はしなやかだ。
それではと、2周目からはペースを上げてゆく。シフトノブの操作のスピードも一気に速くなるが、新設計された6速MTはスムーズそのもの。ひっかかって、注意力をシフト操作に奪われるようなことはない。よくできたMTだ。ブレーキング時の姿勢も、重心が後ろにあるだけ、安心感が高い。これならば、ハイスピードからの一気の減速も楽しめるだろう。
ステアリング操作に対する鼻先の動きは軽い。フロント部が軽い、ミッドシップならではの動きだが、実のところミッドシップは、その先の動きが苦手だ。前が軽いがゆえに、前輪に荷重がかかりにくい。そのため雑な運転をするとアンダーが出やすいのだ。しかし、S660には、それを防止するアジャイルハンドリングアシストがある。アンダーを出そうと、あえて雑に運転しても、S660は、ハンドルを切った方向に鼻先を向ける。無理矢理に突っ込めばフロントが逃げ出すけれど、一瞬後にVSAなどの電子制御が介入して、グイグイと曲がっていくではないか。しかも、後ろに重心が乗っているミッドシップだから、その重さの分だけ荷重のかかったリアタイヤは強いグリップ力を発揮する。さらにタイヤは、強烈なグリップ力を発揮するアドバン ネオバAD08Rである。スピンしそうな気配は微塵もない。フロントと同様に無理矢理お尻を振り出そうとしても、滑るのは一瞬で、すぐにクルマは、狙ったラインに向かって行く。曲がり切ってしまえば、トラクション性にすぐれたミッドシップだけに、どっしりと安心して加速してゆくことができるのだ。
運転席と助手席の間には電動の窓を装備する
エンジン音のよさもS660の楽しさを引き立てる重要な要素
フロントが軽量ながら、ハンドルを切った方向にグイグイと曲っていく
ミッドシップスポーツは、確かにすぐれた特性を数多く持っている。後輪に荷重がかかっているためコーナリングの限界が高く、トラクションをかけやすいので加速も得意。フロント部が軽いため曲がり初めは軽快だ。しかし、良いところがあれば悪いところもある。前輪にかかる荷重が少ないために、しっかりと運転しないと曲がりにくい。また、後輪の限界を超えて滑り出したときの挙動が唐突だ。しかし、S660は、強固なボディとロードホールディングにすぐれた足回り、ハイスペックなタイヤ、アンダーをカバーする電子制御などの技術によって、ミッドシップスポーツカーのネガティブ要素がしっかりとカバーされていた。
これなら初心者でも、怖い思いをせずに、思い切り走ることができる。もちろん制御が介入すればタイムは落ちる。制御のない走りを狙うのは上級者の楽しみとなる。つまり、間口は広く、奥行きのある走りをS660は現実のものとしたのだ。
ビートはもちろん、S2000を超えるねじり剛性の高さを備えるS660
その後、CVT車に乗り換えた。しかし、走りの印象はMT車と遜色ないものであった。もちろんレスポンスのよさはMTが勝るが、CVTでも十分にスポーツの走りを楽しむことができたのだ。
S660のスポーツの走りは、絶対的なスピードの速さではない。手の内にあるパワーを、それを上回る性能のシャシーの元で走らせる楽しさだ。パワフルではないが、思いのままに動くクルマで最速ラインを目指す。度胸一発! ではなく、またクルマ任せでもない。ドライバーの腕でスポーツをするように楽しむ走りであったのだ。そして、もしも失敗しても、電子制御というサポートが用意されている。これぞ現代の最新スポーツカーといっていいだろう。これは「軽自動車だから」などといったことは、まったく関係ない次元の話だ。
CVT車もMT車と遜色のない、スポーティーな走りが堪能できる
個人的には、「カブ」からスタートしたホンダは、今も庶民のための自動車メーカーだと思う。また、スポーツカーは絶対的な速さではなく、“操る=スポーツ”を楽しむための乗り物だと思っている。速さだけであれば、S660よりも最新の「レジェンド」の方が、公道でもサーキットでも間違いなく上だ。そうした考えに、実際のS660の軽自動車の枠を超えた高い質感と、楽しい走りを練り合わせれば、答えはおのずと出てくる。つまりS660は「ホンダを代表するリアルなスポーツカーである」ということだ。
ホンダにはNSXというスーパースポーツもあるが、あのクルマは庶民には手の届かない存在。そもそも、新世代NSXは北米に向けたモデルでもある。いっぽうでS660は、スポーツカーならではの走りの楽しさがあり、軽自動車を超えた高い質感による、所有するよろこびも与えてくれる。荷物がほとんど乗らないという弱点はあるが、その割り切りもホンダらしさのひとつだ。価格も、軽自動車という枠ではなく、小さなスポーツカーだと考えれば十分に納得できると思う。
「ホンダの楽しいスポーツカーが欲しい」と思うのであれば、S660は買って後悔しないクルマだろう。楽しさという点では、S2000よりも間違いなく上だからだ。