PDA博物館
日本各地の33名がネットを使って作成

PDAの黎明期を下支えした「恵梨沙(えりさ)フォント」が25歳に。その誕生秘話とは?


PDAの黎明期、ユーザーたちが使いたいと願ったデバイスは、常に海外にあった。その際、ハードルになったのは、導入の難しさでも日本語化のノウハウでもなく、「文字」だった。日本語を表示・入力するしかけをいかに用意したところで、肝心のフォントがなければ、なんともならない。この壁をどうにか突破しようとしたのは、パソコン通信最大手として人気を博した、「NIFTY-Serve」のFHPPCフォーラムに集結したヘビーユーザーたちだった。

今回、PDA博物館に登場するのは、当時FHPPCフォーラムのシスオペであった、NORI氏。HPのミニPC「HP95LX」を日本語化する際に誕生し、その後、PDAの日本語化に欠かせない存在としてPDA業界を下支えしてきた、「恵梨沙(えりさ)フォント」の誕生秘話に迫る。(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花)

どうしてもHP95LXで日本語を使いたい!

――NORIさんがHP95LXと出会ったきっかけを教えてください。

1991年9月号の「THE BASIC」(技術評論社)に掲載された、文珠川氏の「1-2-3が走る! パームトップPCの決定版! HP95LX」という記事です。

当時、時間管理できるポケコンを探していました。DOS(PC-DOS)が動くということは、DOSを使った時間管理ができることだと思い、すぐに購入を決断。さっそく、当時の横河ヒューレット・パッカードに問い合わせ、同年12月にHP95LXを購入しました。

使ってみると、HP95LXはとても魅力的な端末でした。DOSが使えて、「Lotus 1-2-3」でデータ集計ができ、電池で長時間動作するマシンは、ほかにはありませんでした。

――当時、HP95LXのソフトウェアはどこで入手していましたか?

NIFTY-Serveです。仕事の関係でかなり前から利用していましたが、ほとんどNEC PC-98シリーズ(PC)関係のフォーラムを見ていただけで、会議室に書き込むことはありませんでした。横河ヒューレット・パッカードのフォーラムである「YHPユーザーフォーラム」ができたのは、1992年1月。さっそく登録し、少し様子を見つつ、会議室に初めて書き込みました。

当時、NIFTY-Serveのほかに「日経MIX」(日経BP社)というパソコン通信サービスがあって、そこでは、santa氏の「KTYPE」というソフトウェアが開発されていました。これは、HP95LXのDOS上で動く日本語テキストビューワーで、240×128ドットの画面上で15×8文字の日本語を表示するというもの。まさか、HP95LXで日本語が表示できるとは夢にも思ってもいなかったので、私はこのソフトウェアがNIFTY-Serveで配布されるのを心待ちにしていました。しかし、実際にNIFTY-Serveで配布されるまでに、かなり時間がかかりました。

きっかけは「JMEMO」というFEP入りエディターソフト

「KTYPE」がNIFTY-Serveで配布されたのは1992年5月でしたが、この月にもうひとつ、大きな動きがありました。mani氏が「JMEMO」をライブラリに登録したのです。

JMEMOとは、FEP(Front End Processor)込みのマルチフォント対応日本語エディターソフトのこと。ひと通りの編集機能と、ローマ字かな漢字変換を内蔵していました。つまり、日本語が表示できるだけでなく、入力もできたんです。ようやく、「KTYPE」で日本語が表示されるようになったと喜んでいた私にとって、これは大きな衝撃でした。

JMEMOのすごいところは、これだけではありません。HP95LXには、初期状態で予定表やメモ、住所録などのソフトウェアが入っていて、これらはすべて、HP95LX専用の「システムマネージャー」という統合ソフト上で動いていたのですが、JMEMOは、このシステムマネージャー上で使えるソフトウェアとして提供されていたんです。

KTYPEは、システムマネージャーを抜けて、DOSのコマンドライン表示にしなければ使えませんでしたが、JMEMOは、システムマネージャーを抜けなくても使える。ほかに、そんなソフトウェアは存在していなかったので、当時のHP95LXユーザーにとって、実に画期的なことでした。このソフトウェア開発によって、いよいよHP95LXユーザーは、日本語でメモが書けるようになったのです。

そうなると、次に欲しくなるのは、システムマネージャー上で日本語を表示する仕組み。HP95LXのユーザーである、かづひ氏は、この願いをかなえるため、システムマネージャーで日本語を表示するディスプレイドライバー「KDISP95.SYS」を開発。バージョンアップのたびに、動作スピードが格段に速くなっていきました。その後、待望の「Lotus 1-2-3」に対応した「KDISP95.SYS Ver.1.08」がアップされ、これでHP95LXの内蔵アプリすべてで日本語表示できるようになりました。

「KDISP95.SYS」が広まると、次に欲しくなるのが日本語の入力システム。1993年1月に、私は、かづひ氏と直接会う機会に恵まれたので、その際、さまざまなアイデアを出し合いました。そこで思いついたのが、「FEP.exm」というシステムマネージャー上で動くソフトウェアでした。その後、「FEP.exm」を「KDISP95.SYS」と連携することで、システムマネージャー上でも日本語が入力できるようになったんです。

日本語化するうえで必要なのは「小さくても読みやすいフォント」

このように、ソフトウェアによって日本語の表示を実現したHP95LXですが、常に頭を悩ませていたのが、フォントの問題。フリーで出回っていたフォントは当時、14×14から16×16ドットがメイン。最小でも、12×12ドットというものしかありません。これでは、1画面に表示できる文字数が減ってしまいます。

そこで、8×8ドットのフォントが欲しくなり、Macユーザーの方にお願いして「FONT.9」を作成しましたが、このフォントは著作権的に問題があり、ライブラリにも登録できません。

次に、NECのPC-98シリーズで使っていたフォントを8ドットのサイズにコンバートするソフトウェアを開発したのですが、細かい部分が潰れてしまい、視認性が落ちてしまいます。また、そもそもコンバート作業はパソコンで行うため、パソコンがない人は作成できず、自由に配布できないという問題もありました。

どうしても、HP95LXで読める品質の高い8ドットフォントが欲しい。そこで、かづひ氏と相談し、自分たちで作ってみようということに。1993年2月、「みんなでフリーの8×8ドット漢字フォントを作ろう!」と呼びかけたところ、すぐにメンバーが集まりました。そこで、ネット上での「共同作業」を始めることになったんです。

まずは、第1フェーズからとプロジェクトが動き始めたころ、私に長女が生まれました。「子どもが生まれたので、プロジェクトの進行が停滞するかもしれない」と会議室に書きこんだところ、YAFO氏がまとめ役を買って出てくれました。しかも、8ドットフォントの愛称を、私の娘の名前である「恵梨沙(えりさ)」とすることまで、決まりました。このとき、「恵梨沙フォント PJ for 95LX」がスタートしたのです。

これが恵梨沙フォント。左上はHP95LXの画面。そのほかはHP100LXの画面

これが恵梨沙フォント。左上はHP95LXの画面。そのほかはHP100LXの画面

このプロジェクトに参加した人数は33名で、5月には第1フェーズが、8月には第2フェーズが終了。フォントもそろい、日本語化ソフトウェアがひと通りそろったということで、見る見るうちに、HP95LXのユーザー数が伸びていきました。

そこで、これらの日本語化に必要なファイルなどを、「月刊アスキー」のおまけディスクに入れてもらおう、と提案した人がいました。その人こそが、1994年に「HP 200LX日本語化キット」を発売することとなる、オカヤ・システムウェア社長のごんたろ氏でした。その翌年の1995年には、正式公開版の「恵梨沙フォント1.0」が完成し、プロジェクトは終了しました。

そして、「完成祝いにオフ会を開こう!」ということになったのですが、いざ集まろうと声をかけると、メンバーが日本各地に点在していることがわかり、残念ながら、完成祝いは見送ることに。このとき、毎日NIFTY-Serveで相談しながら一緒にフォントを作っていった仲間が、実際は、遠く離れているところに住んでいたということがわかり、改めて“ネットの力”を実感しました。

「恵梨沙フォント PJ for 95LX」記念に作ったカードケース

「恵梨沙フォント PJ for 95LX」記念に作ったカードケース

その後は、みなさんもご存じの通り、「Palm」を日本語化した際にも、恵梨沙フォントが使われました。フリーのフォントで、しかも8×8ドットというサイズであるため、海外製のPDAを日本語化する際に、使い勝手がよかったのでしょう。

“Palmの神様”こと、山田達司さんの所有するPalmデバイス「TRG Pro」に、恵梨沙フォントを表示したところ

2000年5月には、ソニーの「ネットワークウォークマン NW-E3」にも、恵梨沙フォントが使われました。時代が変わっても、ちょこちょこ出てくるのが、うれしいですね。

ネットワークウォークマン NW-E3にも、恵梨沙フォントが使われていた

ネットワークウォークマン NW-E3にも、恵梨沙フォントが使われていた

――ところで、恵梨沙さんのその後についてもお聞きしていいですか?

彼女は生まれてからずっと、「恵梨沙フォントの恵梨沙ちゃん」と呼ばれていたし、1歳のころからオフ会にも参加しているので、本人もそういう雰囲気に慣れっこになっていて、おもしろいです。

現在も、私と一緒にオフ会に参加していますよ。恵梨沙フォントが誕生25周年だから、彼女も25歳です。当時の写真と、今の恵梨沙の写真をご披露しましょう。

恵梨沙フォントが誕生したころの恵梨沙さん

恵梨沙フォントが誕生したころの恵梨沙さん

そして、現在の恵梨沙さん。現在25歳です。お美しい……

そして、現在の恵梨沙さん。現在25歳です。お美しい……

取材を終えて(井上真花)

ネットで恵梨沙フォントについて調べていたら、「2015年のNHK紅白歌合戦で、小林幸子さんの舞台に恵梨沙フォントを使おうと検討したことがある」という記事を発見。その年の紅白歌合戦では、小林幸子さんが歌っているときに、ニコ動のように弾幕やコメントが表示されるという、しかけがありました。記事によると、そのコメントを表示する際に、「ネットの意思を身にまとう」という意味を込めて、「恵梨沙フォントが使いたかったんです」のこと。理由としては、「みんなが、寄ってたかって集まって作ったフォントだから」ということだったらしい。そういうムーブメントを作ったプロジェクトという意味でも、恵梨沙フォントは意味があったのでしょう。

オフィスマイカ

オフィスマイカ

編集プロダクション。「美味しいもの」と「小さいもの」が大好物。 好奇心の赴くまま、良いモノを求めてどこまでも!(ただし、国内限定)

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