アスキーに20年以上在籍し、現在は「Engadget 日本版」の編集長を務める、矢崎飛鳥氏。メディアという立場から、また、ひとりのユーザーという立場から、長年にわたってモバイル市場の変遷を見てきた同氏に改めて、「スマホはPDAの進化形でしょうか?」という問いをぶつけてみた。さて、氏の回答はいかに?(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花)
2017年〜「Engadget 日本版」編集長。アスキー(現KADOKAWA)にてPC・IT系媒体の編集業務に20年以上携わる。2012年から「週刊アスキー、週アスPLUS」編集長代理。スマートフォンの略称「スマホ」を世に広める。雑誌の電子化やライブメディア配信、ソーシャルを駆使したブランディングによって媒体のデジタル化への牽引に注力、イベントの企画運営、付録やノベルティーの制作など幅広い業務経験をもつ。モバイルシフトやアドネットワークの普及に伴いメディアのあり方を柔軟に変化させてきた
――矢崎さんと初めてお会いしたのは、初回の「PDA博物館イベント」が開催されたとき。「週刊アスキー」の取材で来てくださったんですよね。まだ、そんなにアナウンスしていないときだったんですが、あれはなぜ?
当時の上司だった遠藤諭さん(参考:1978年“極楽1号”を知っているか?「月刊アスキー」元編集長がモバイルPCの歴史を語る)からの情報で取材を決めました。遠藤さん、ジャイアン鈴木さん(参考:スマホ市場が成熟期を迎えた今、iPhone以前をふりかえる。PDAが生き残れなかった2つの理由)と一緒に、うかがったんですよね。
――そうでした。すごいメンバーだなと思って(笑)。
遠藤さんとジャイアン鈴木さんに当時、とてもかわいがってもらっていて。遠藤さんとは今でも懇意にしていますし、ジャイアンさんには「Engadget 日本版」での記事をお願いしています。
――どんな記事を依頼しているのですか?
ちょうど現在、「令和(れいわ)に持って行きたい端末」というテーマでお願いしているのですが、ジャイアンさんはきっと、PDAを選ぶでしょうね。
あと、山根康宏さん(別名・山根博士。参考:“日本一携帯電話に詳しい男”山根博士が描くモバイルの未来予想図)にも同じテーマの記事を振ってみたんですが、山根さんはおそらく、「Nokia E90 Communicator」(ノキア)でしょう。「自分の墓石にしたい」と言うほど、彼はNokia E90 Communicatorを気に入っていたようです。同じモバイル好きでも、2人は方向性が明確に違いますね。
山根氏が「墓石にしたい」とまで言った「Nokia E90 Communicator」
――矢崎さんはとてもお若いイメージですが、PDAのことはご存じでしたか?
はい。ネタで、自分の年齢を「ハタチ」と言っていましたが、実際は2周目なので、もちろん知っています。
2000年ごろ、パソコンは高くて30〜40万クラス。携帯電話もあったけど、パソコンユーザー的にはつまらなくて、むしろPDAのほうが楽しかった。山田達司さん(参考:「Palmが作り上げた“スマホのスタンダード”とは? スマホ誕生の影に、PDAという大いなる実験の舞台」)じゃないですけど、私も「小さなコンピューターに魅せられて」いました。
「小さなコンピューターに魅せられた」と、当時をふりかえる矢崎氏
――PDAのどんなところが好きでしたか?
カスタマイズできるところですね。「Palm」を使っていたころは、「DAアクセサリ」でいろいろ動かして楽しんでいました。カスタマイズすることで、自分のツールになっていくという感覚です。
当時、モノクロでしたが動画も動いていましたし、娘の写真を入れて持ち歩いたりしていました。そう考えると、現在スマホでやっていることと、そんなに変わらないですよね。
――矢崎さんが最初に使ったPDAは?
最初に使ったPDAは 「Palm Vx」(Palm)、記事で扱ったのは「ザウルス アイゲッティ」(シャープ)だと思います。
「ザウルス アイゲッティ(MI-P1)」
その後いろいろ使いましたが、こだわりがありました。まず、モノクロでなければならない。特にPalmはモノクロにこだわりました。当時、なんでもかんでもカラーにすればいいという風潮がありましたが、私はカラーにする必要はないんじゃないかと。当時はまだ、モノクロとカラーだとバッテリー消費が全然違いましたし、モノクロのコントラストが高くて視認性がよかった。
Palmでモノクロのハイエンドというと、もう、「HandEra」(TRG)しかなかったんですよ。だから、思い入れの強い端末と言えば、HandEraになります。
「HandEra 330」
HandEraは見た目がごつくて野暮ったいし、あまり好みではなかったけど、それをカバーするほどの魅力がいろいろありました。たとえば、バッテリーはリチウムイオンと乾電池のどちらかを選べたし、CFカードスロットとSDカードスロットを備えていたので、拡張性が抜群だった。解像度が高く、従来のPalmは160×160ドットだったところ、240×320というハイレゾだった。変態ハイレゾなので、表示がおかしかったりするんですけど(笑)。
スマホの前身が、PDAかコミュニケーターかという議論がありますね。スマホの前身がコミュニケーターと言われると、ちょっとくやしい。PDAの功績を、もっと知ってほしいと思っています。
コミュニケーターの定義は、電話ボックスがなくても通信できるものということだと思うんです。つまり、どこでも自由に通信できるもの、基地局と直接つながれるもの。PHSの通信カードを挿して通信できるPDAはいろいろありましたが、あのあたりからコミュニケーターとPDAが融合していったのかもしれません。
しかし、劇的に変化したのは、やはり、「iPhone」(アップル)の登場。あれは事件でした。
――当時、どんな印象を受けました?
すごいことが起きたと。たとえるなら、類人猿がホモ・サピエンスに進化した瞬間だったと感じました。
実際は、「iPhone 3GS」ってたいしたことなくて、ノキア製の携帯電話のほうが、よほど、こなれていました。iPhoneは当時、何でもできたけど、すべてが中途半端だった。しかし、「何でもできた」のは、iPhoneだけだった。
私は、スティーブ・ジョブズがiPhoneを発表する様子を見て、直感的に、「みんながこれを使うようになる」と感じました。
「iPhone 3GS」
――PDAはマイナーな製品でしたが、iPhoneはメジャーな製品になると?
はい、いち早く記事で取り上げて、手ごたえを感じました。ただし、個人的には「物足りないな」と思って、「改造(脱獄)」しちゃいましたけどね(笑)。そうしなければ、まだ多機能な携帯電話に勝てなかったですし。
でも、現在のiPhoneは10年かけて、まさしく進化したし、通信ネットワークの進化も手伝って、携帯電話とは比べものにならないほど、何でもできるようになりました。
――矢崎さんは現在、iPhoneを使っているんですか?
ライフラインとして使っています。ガジェットとして、いじって楽しいという感じではないですよね。魅力的なアプリはたくさんありますが、ガジェットとして楽しめるのは、やはりAndroid。現在ハマっているのは、海外版の「Galaxy S10 Plus」(サムスン電子)です。
――たしか、「スマホ」という略称を考案したのは矢崎さんですよね。
ある大学教授が、大学の研究で「スマホ」という言葉の起源を調べたところ、「Webに出る前に、週刊アスキーの見出しにスマホという言葉があった」ということを発見したそうです。
たしかに当時、アスキー内で「スマホ」か「スマフォ」かという議論があり、「『スマフォ』は言いにくいうえ、見た目もすっきりしないから、『スマホ』にしよう」という話はしました。当時、私が担当デスクだったから、私が言ったということになっているのでしょう。
今ではすっかり定着した「スマホ」という略称。その誕生に、矢崎氏は深くかかわっていた
――PDA博物館の中でいつも話題になるのが、「スマホはPDAの進化形か? それともコミュニケーターからの進化か?」というテーマなんですが、矢崎さんはどう思います?
私は両方と考えており、コミュニケーターからの部分しか歴史に残っていないのが、残念だと思っていました。実際、アップルとPalmは同じ思想ですよね。ジョブズもPalmのライセンスを買おうとしていたぐらいですし。iPhoneを作るうえで、PDAのPIMとか、母艦との同期という概念は、引き継がれていると思います。iPhoneのiCloud同期なんて、まんま「HotSync」ですよね。
PHS通信カードを挿したPDAは、スマホの原型だと思います。「WorkPad 31J」(日本IBM)ってありましたよね。あれは、PHSが内蔵されていた。それを見たとき、「携帯電話なんてもういらない」と思いましたね。実際は、そうならなかったけど。
ただし、「Googleマップ」のオフライン機能とか、Pilowebとか、RSSとか、現在スマートフォンでやっていることって、モバイル常時接続が夢の時代だったPDAユーザーが工夫して、培ってきたもの。だから、PDAという言葉が古くなり、忘れられていくのはよくないと思います。PDAがあるから、スマホがある。だから、みんな、PDAを忘れないで。
――モバイルメディア最前線に身をおいている矢崎さんに、これからのスマホはどうなっていくのか、お聞きしたいと思います。
スマホはみんな形も同じだし、違うのはカメラ機能ぐらいだから、あまり区別がつきませんよね。カメラのギミックなどに関心が集まっているぐらいですから。5G(第5世代移動通信システム)が始まり、ストリームでゲームをプレイできるようになった現在、スマホはもう、ディスプレイでしかありません。主体はソフトウェアだから、ハードウェアを使いこなそうという時代ではなくなっていきます。
スマートフォンは今後、劇的に形状が変わることはない。その次にくるのは、この画面をどこに、どんな形で映し出すのか? という世界ではないでしょうか。
矢崎氏が普段身につけているスマートウォッチ「Galaxy Watch Active」(サムスン電子)
たとえば、これは「Galaxy Watch Active」というスマートウォッチで、Webを閲覧できる。といっても、こんな狭い画面でWebなんて見ませんよね。見ないんだけど、できるということに価値がある。もともとPDAもそんな存在でしたよね。
持ち運びを考えると小さいほうがいい。でも、表示スペースは広いほうがいい。だから、まるで“親の敵(かたき)”のように、ベゼルがどんどん狭くなっていくんですが(笑)。この先は、画面が折りたためたり、巻物のように巻いて持ち運べたりというように、ディスプレイがフレキシブルに変わっていくのでは? フレキシブル画面+5Gによって、ついに、スマホのカタチが変わっていくのだと思います。
取材の前に軽く、「矢崎さんって、PDAを使ったことありますか?」と聞いた私は、本当にバカでした。「使ったことありますか」なんて、とんでもない! 「Palmはモノクロでなければ」「完成されたものより、いじる余地のあるもののほうが好き」という矢崎さんの発言を聞きながら、「ああ、彼は生粋のPDAマニアだった」と確信しました。知らないって怖いですね。ごめんなさい。それにしても、モバイル最前線に身を置いて情報を発信している方が、ちゃんと(?)PDAを好きでいてくれて、本当によかった。これからも、面白いガジェットをどんどん紹介してください。
編集プロダクション。「美味しいもの」と「小さいもの」が大好物。 好奇心の赴くまま、よいモノを求めてどこまでも!(ただし、国内限定)