そんな、最近のマツダの“走り味”を定めたキーパーソンがいる。それが、車両開発本部操安性能開発部主幹の虫谷泰典氏である。開発の最終段階において、そのクルマが“マツダの走り味”を実現しているかどうかを彼がチェックしている。彼が考える、“マツダの走り味”に合致するまで、その新型車は販売されることはない。では、その虫谷氏は、どのようにして“マツダの走り味”を定めたのだろうか? まずは、その人となりから迫ってみたい。
マツダ株式会社 車両開発本部 操安性能開発部主幹 虫谷泰典氏 1988年入社。耐久信頼性の実験担当を経て、操安担当へ。2003年から2006年に欧州駐在。帰国後は操安担当として、マツダの走りのDNAである「人馬一体」の乗り味を見守る立場となる
「私の入社の経緯は、ものすごく変わっていて、1988年に高校卒業して、サッカーで入社したんですよ」と虫谷氏。なんと虫谷氏は、高校時代にサッカーの日本代表に選出された。その結果、Jリーグ開幕を前にした実業団サッカーチームから数多くのオファーが届く。「クルマが大好きで、サッカーを引退した後にクルマの仕事ができるところ」という希望によりマツダに入社。ちなみに、最後まで候補として悩んだのは、日産。しかし、あちらはサッカー引退後にクルマの開発に携われないと聞いて、マツダに入ることを決めたという。
クルマ好きであった虫谷氏が入社2年目のときに、マツダから初代ロードスターが発売される。「そのときは、寝袋を持って予約会に行きました。広島では6番目だったんですよ(笑)」と虫谷氏。ちなみに、その初代ロードスターは、走行36万kmに達しながらも、今も虫谷氏の家のガレージにあるという。
「まだ10代で、新車で何がいいんだかわからないのに、とにかくロードスターに感動してたんですよ。そうしたら、ちょうど、NAロードスターの操安を担当した人と知り合いましてね。“ムシちゃん、クルマ持ってきな”と言われて持っていったら、トー調整とかしてくれて。“うわー最高です。何やったんですか”って聞いたんです。そうしたらいろいろと絵を描いてくれて、本当に鳥肌ものでしたよ(笑)」と虫谷氏は当時を振り返る。
そんな出会いもあり、虫谷氏は「いつかは操安をやってみたい」と強く思うようになったという。そしてJリーグ開幕前年となる1992年に、英国プレミアリーグにサッカー留学。「そこで、自分は一生サッカーで喰っていける人間ではないとわかったんです。なので、そこからは腹をくくって仕事に専念したい」と、サッカーを引退。若手のマツダ社員としてクルマの開発の道に進む。
「とはいっても、それまでサッカーしかやっていませんでしたからね。いきなり操安をやらせてください! とお願いしても、“バカ言うな”と。“コピー取りくらいしかしてない人間があんな花形にいけるわけないだろ”と。でも、当時の上司が理解のある人で、耐久信頼性の実験を行う部署にいくことができたんです」
耐久信頼性の実験とは、1日3交代で、ひたすら開発車を走らせる仕事だ。夜10時に出社して、夜中走り続けることもある。そして、クルマをバラバラにして内容をチェック。再び組み上げるという地味な生活がスタートする。いっぽう、前年までいたサッカー界では、Jリーグが華々しく開幕。まさに天と地ほど虫谷氏の境遇は変化した。
「それでも、操安性の味の領域をやりたい! と思っていましたからね。相当に変わっていましたよ。夜中の3時に終わるシフトがあったら、その後に自分のクルマ(ロードスター)で峠を走ってたんです」と虫谷氏。さらに、10代のときに知り合った初代ロードスターの操安性担当の先輩にも度々、話を聞いて勉強を重ねたという。
「当時のマツダは、パキパキのまっただ中です。昔のマツダ、それこそ70年代とか80年代のカペラやファミリアはしなやかだったんですよ。それに対して、感覚ではなくデータ、データというような時代になっていて。データはわかりやすいんですよね。計測すればいい。ヨーレートがどうの、ダブルレーンチェンジのスピードがどうのって。その数字を上げれば上げるほどいいとされていました。そうすると、どんどん感覚と離れていく。ものすごく違和感を覚えました」と虫谷氏。
また、「なんでこんなに乗り心地が悪いんだ」と走行後に当時のマツダ車をバラしてみると、ブッシュもアッパーもダンパーもなにもかも硬い。でもボディが弱い。そういったことがあり、「自分でやるなら、もっとしなやかにしたい」という思いを強くしていったという。
雌伏の時を経た5年後、虫谷氏は待望の操安担当となる。それは商用車であった。「トラックのタイタンとかを手がけました。それでも、僕がやるクルマは“しなやかにする”という思いでやったんですね。さらに、社内向けの若手エンジニアによる技術発表会というのがあって、そこでマツダの操安性をまったく否定するようなプレゼンをやったんですよ(笑)。“こんなんことやっているから乗り心地が悪くなる。だから、私は、BMWやポルシェの構造を商用車に入れました”と」
当時のマツダの方針を否定。まわりすべてを敵にするかのような行為だ。しかし、それを高く評価した人物がいた。それが、現在のマツダの会長である金井誠太氏だ。金井氏は、スカイアクティブを生み出すきっかけとなった「モノ作り革新」を進め、現在の好調マツダを実現させた最重要人物でもある。
「金井さんが、僕のプレゼンを聞いて“えらい変わった奴がいる。なんか生意気な奴だな”と思ったらしいんですね。でも、それが強烈にあって、なにかピンときたらしくて、僕をヨーロッパ駐在に推薦してくれたんですよ」
高卒のサッカー部あがりの虫谷氏の欧州駐在は、まさに抜擢であったという。当時のマツダは、フォードの大きな傘の下で暮らす、数多くのブランドのひとつ。駐在中、虫谷氏はフォード傘下ブランドによる乗り比べイベントに数多く参加した。
「それこそ、アストンマーチンからジャガー、レンジローバーまで、プレミアムブランドのトップが集まるドライブイベントに参加しました。その中で、プレミアムブランドは何を狙っているのか。ノンプレミアムとの線引きはどこにあるのか。マツダは、どこを狙わなくちゃいけないのか、というのが明確になりましたね」
虫谷氏が欧州に駐在中、たびたび開発中のクルマをチューニングするために日本に呼び戻されることもあった。そうして駐在の約3年半は終了。
「帰国したら、ちょうどプレマシーのフルモデルチェンジがあって、そこで“あれをお前の裁量でやっていいよ”と言われて。よっしゃ! ここで、自分の考えでやるぞとなったんです」
しかし、その直後に世界中の自動車メーカーをリーマンショックが襲う。これで、プレマシーのフルモデルチェンジは、コストをかけられず、あくまでもチューニングレベルに縮小してしまったのだ。「それでも、チューニングはやっていいと言われたので、やれるだけやろうと。今までのマツダでは、考えられないくらいのバランスでチューニングをやりました」
新型デミオには、現在のマツダの“走り味”の方向性を決めた虫谷氏の思いがたっぷりと注ぎ込まれている
「そのプレマシーは、今のスカイアクティブと似たアプローチをしました」と虫谷氏は語る。徹底的に人がどのようにクルマの乗り心地などを感知しているのかを解析。その結果、ただ数字上の性能を上げるのではなく、いかに人の感覚に合わせるのかに注力した。そして、今のマツダ車に採用されている、加速減速からコーナリングまで、乗員にかかる加速度のつながりを一定にする、「ダイナミックフィールの統一感」を採用したのだ。
人の感覚とはどういうものなのか。たとえば、クルマが突起などの障害を乗り越えるときのショックを硬い/柔らかいと判断するのは、ショックでタイヤが前後に動いた距離と戻るときのダンピングの具合に大きく左右されることが判明した。そこで、障害物に当たったタイヤの動きをスプリングやブッシュなどでコントロールして、「しっかりしている」と感じるようにしたのだ。さらにステアリングシャフト内にラバーカップリングを入れて、操舵に対してタイヤの動きが遅れるようにした。あえて遅らせることで、ドライバーの意思とクルマの動きが逆に一致するのだという。それは、ロボットと違って人の動きには、必ずタメがあるからだ。そのタメとなるコンマ数秒を作ることで、人はクルマとの一体感が得られるのだ。
「それを当時のマツダの中で言っても、みんな『はあ?』みたいな感じだったんですよ。でも、僕には欧州での経験があって自信もあったので、『任せてください!』と。それで、当時の常務から、『お前がそこまで言うなら任せた』と言っていただいたのです。僕にとっては腕の見せ所だなと思いました」
こうした虫谷氏の考えでチューニングされた新型プレマシー。しかし、発売前に当時の上層部に、新しくなった虫谷流の“走り味”を納得させなければならない。当時のマツダは、虫谷氏とは正反対のパキパキのが正しいという考えが主流派だったのだ。「『何を言っているんだ? スポーティーはこれよ、パキパキよ!』って」と虫谷氏は当時を振り返る。
そこで虫谷氏は、一計を案じた。上層部が試乗する際に、テストコースとテストコースをつなぐ連絡路を走らせたのだ。「そこには一般の流れがあります。対向車もあれば信号もある。整備していないので、路面も風化してボロボロ。そこをさんざん走ってもらって、その後にテストコースへ。はい、どうぞ、思う存分限界走行してくださいと(笑)。そうやることで意図が伝わるんですね。『なんか、こっちの方がいいぞ』と。それで、『よし! これでいこう』と上層部を納得させることができたんですよ。でも、まわりは『何がいいんだか分からない。なんで?なんで?』ってなってましたけど(笑)」
対向車もなく、路面もきれいで、さんざん走り慣れているテストコース。そこでいくら限界走行の性能を高めても、リアルワールドの道での乗り心地のよさや運転のしやすさには結びつかない。人の感覚に合わせ、実際の道にあわせて求めた“走り味”が虫谷氏の理想であったのだ。
「そこで、『これからのマツダの味はこれでいく』と、『お前がリーダーで、この味でいけ』と言っていただけたんです」
「ロボットと違って人の動きには必ずタメがあります。そのタメを作ることで、人はクルマとの一体感を得られるのです」と語る虫谷氏。新型デミオの「人馬一体」感のヒミツもここにあるのだ
こうして生まれた、現在のマツダの“走り味”。しかし、コンパクトカーであるデミオから、SUVであるCX-5までを、どのように統一するのであろうか?
「それをコントロールするために、『ベーシックDNA』というのを立ち上げました。たとえば、何か操作をしたらリアクションが起きますよね。アクセルを踏む、それにエンジンが反応する。ステアリングを切る、タイヤが反応する。それを縦軸横軸の表にすると、いろいろな反応のカーブが描けます。その最初の微細なところをあわせようと。これはデミオだろうが、ロードスターだろうが、CX-5だろうが、味をあわせる。最初は金太郎飴。でも、その先はハイパワーのクルマなら、アクセルを踏んだだけ加速していく。ロードスターなら、ハンドルを切ったら切っただけ、リニアにピシッと反応する。そこは、それぞれのカテゴリーの中で優劣をつけながらやります。でも、最初の味は徹底的に統一します」
微細な動きをコントロールする。その実現のために、数多くの工夫と新技術が採用されているという。たとえば、中心部を1ミリほどズラしたブッシュ(組み上がって車重がかかったとき、正しい場所に中心部が来るような工夫)や、薄いパイプを折り曲げるクラッシュ管によるリヤサスペンション(約20%の軽量化と高剛性を両立)などだ。
「普通のメーカーならば、同じ車種なら全グレードのサスペンションのダンパーを統一したりしています。でも、デミオは重いディーゼル車とガソリン車ではチューニングをガラっと変えています。お金はかかりますが、これがマツダの生命線です、と会社にも認められるようになって、細かくできるようになりました」と虫谷氏。
まさに「マツダの生命線」を編み上げた虫谷氏だが、「今は、次の仕掛けを考え、もっと緻密にやらないとダメだという危機感があります」と言う。その次なる仕掛けが、どのような形になって表れるのか? 本当に楽しみで仕方ない。
自動車メディアやカーマニアからも高い評価を得ている、現在のマツダ車の“走り味”。スカイアクティブ搭載車であればベースは同じだが、細かなチューニングは車種ごと、エンジンの種類ごとに変更が加えられているという。新型デミオに乗れば、その味がきっとわかるはずだ