「全世界で5,000万枚以上を売り上げた」というピンク・フロイドのアルバム「The Dark Side of the Moon」(邦題:「狂気」)のBlu-ray Audio(ブルーレイオーディオ:ブルーレイに収録された音楽ソフト)」)が単品で発売されている!
高価なセットでしか入手できなかったブルーレイオーディオ版の「The Dark Side of the Moon」が数千円で手に入るようになったのだ。このブルーレイオーディオは配信版よりも音がよいのか? さっそく比較試聴をしてみることにした。
これまでセット販売しかされていなかった、Dolby Atmos音声を収録したブルーレイオーディオ「The Dark Side of the Moon」。晴れて単品販売が開始された
そもそも、Dolby Atmosミックスを収録した「The Dark Side of the Moon」のブルーレイオーディオは、先行して発売されていた「The Dark Side of the Moon - 50th Anniversary Box Set」に含まれていた。
言わずと知れた「The Dark Side of the Moon」の作品解説はさておくとして、SACDで5.1chサラウンドミックス版がリリースされたこともあるため、サラウンド音源のマニアにとっても垂涎の作品でもある。
そして同作の50周年を記念して新たにミックスされたのがDolby Atmos版。そのブルーレイオーディオが同梱される上記セットにはLP、CD、DVD、7インチレコードなどが含まれていて、非常に高価……。商売の事情があるにしても、ブルーレイオーディオだけ欲しいという筆者にとっては、とても手の出ない代物だった。
それがついにブルーレイオーディオのみで購入できるようになったのだ。
ブルーレイオーディオ単体販売とはいえ、中身はそれなりに充実している。ブックレット(前列右)のほか、ステッカー(後列中央)とポストカード(後列右)が付属していた
ブルーレイオーディオが発売されているいっぽうで、実は同作のDolby AtmosミックスはApple Musicでも配信されている。しかし、その“中身”がディスクと同じではないことは以下の記事のとおり。
現在(2023年10月)配信されるDolby Atmosの”中身”は基本的には「非可逆圧縮音源」なのだ。FLACやALACのように理論的に圧縮された音源がロスなく元に戻るとされている「可逆圧縮」ではないため、音質的にどうしても不利になってしまう。
徐々に「空間オーディオ」(Spatial Audio)という名前が浸透しつつあるようにも感じるが、Dolby Atmosで配信される音源はまだまだ不遇な状態にあると言わざるを得ないのだ。
しかも、ザ・ビートルズの一連の作品に見るように、ブルーレイオーディオはCDと同梱で単体では販売されないパターンも見受けられる。販売されるだけまだ“マシ”で、話題の新曲「Now and Then」については、現在のところDolby Atmosミックスはストリーミングで聴取可能とアナウンスされているだけだ。
写真はザ・ローリング・ストーンズの「Hackney Diamonds」のDolby AtmosミックスをTIDALで再生したところ(※TIDALでは「The Dark Side of the Moon」は未配信、Apple Musicではうまく画面が表示できなかったため)。ビットレートは768kbpsでチャンネル数は16。単純計算ではチャンネルあたりのビットレートは48kbpsということになる。かなり厳しいビットレートだということがわかっていただけるだろう
そういうわけで、Dolby Atmosミックスが収録されたブルーレイオーディオが単体で販売されることは非常にありがたい。いつ売り切れるとも知れないので、気になった人はすぐに購入するのが吉だ。
まずは比較対象として「Apple TV 4K(第2世代)」でApple Music版のDolby Atmosを再生する。Apple MusicでのDolby AtmosをAVアンプで再生するためには「Apple TV 4K」がいちばん簡単
それでは、「The Dark Side of The Moon」のDolby Atmosミックスを聴いてみよう。まず再生したのはApple Music版。再生システムは、自宅のセンターレス構成「4.1.6」スピーカー。ではあるのだが、Apple Music版でも、ブルーレイオーディオ版でも、天井に設置した「トップミドル」スピーカーが鳴ることはなかった。つまり、実質は「4.1.4」システムでの再生となった。
これが自宅の環境によるものなのか、「The Dark Side of the Moon」が「スタティックタイプ」と呼ばれるオブジェクトが環境によって移動しないDolby Atmosなのか、断定的なことは言えない。しかし、ブルーレイオーディオのディスクメニューの中にあるセットアップ項目中、オーバーヘッドスピーカーが2組4本しかガイドされないことを考えると、これは「スタティックタイプ」つまりオーバーヘッドスピーカーは4本以上鳴らない仕様なのだろうと推察される。
同作の再生をとにかく究めたい! と思っている人でも無理にオーバーヘッドスピーカーを6本設置する必要はなさそうなので、参考にしていただきたい。
ブルーレイオーディオ「The Dark Side of the Moon」にはスピーカーのセットアップガイドまで入っている。ここで表示されるオーバーヘッドスピーカーは4本
出力を確認すると、アルバムを通して「4.1.6」システムのトップミドルスピーカーから音が出ることはなかった(白枠で囲った部分がトップミドルスピーカーの出力)
冒頭の「Speak to Me」からサラウンド効果が色濃い。サラウンドスピーカーからのレジの音をはじめとして、さまざまな音が積極的にオーバーヘッドスピーカーも使って360度に配置されている。印象的な鼓動の音はLFEにもしっかり振られていて、このキレのよさでサブウーハーの実力を問われそうだ。
「Breathe in the Air」へ移行すると、サラウンド(リア方向)へ回り込むようにギターが配置され、ボーカルはフロントに定位する。ここでもオーバーヘッドスピーカーが盛大に使われ、音がずっと空間を満たすイメージを得られる。
「On the Run」ではアブストラクトな音が主に左右に移動していくさまが面白い。やはりオーバーヘッドスピーカーからもかなり音が発せられているが、”降ってくる”ように頭上に定位する音は限定的に感じられた。ここでも空間を満たすように、音場を広げる役割を果たしているようだ。
そして「Time」。時計を刻む音、ベルの音がオーバーヘッドスピーカーも使って盛大に鳴り響く。その後に入ってくるギターと太鼓のリバーブがリスニングポイントを取り囲むように広がる。ボーカルはしっかり前方に定位するので、おかしなミックスを聴いている感覚はない。DVDオーディオ時代のサラウンドにがっかりした、という人も、こういった今のサラウンド音源にもう一度触れてみていただきたいと思う。
ブルーレイオーディオはパナソニックのUltra HDブルーレイプレーヤー「DMP-UB900」で再生
いよいよブルーレイオーディオを再生してみると、当たり前のことだが、音の移動感などはApple Musicで聴いたときと同じ。なのだが、受ける印象はまったく異なる。ひと言で表せば、全体に音の厚みがあること、1つひとつの音の解像感が上がり、キレよく聴こえることがApple Music版との大きな違いだ。さっきまで聴いていた「The Dark Side of the Moon」はピンボケしていたのか、と思わされる。
「On the Run」のような音源では、ブルーレイオーディオではより音に包まれている感覚が強く、粘度の高い液体の中にいるよう。つまり、より没入度が高い(イマーシブである)と言える。
わかりやすかったのは「Time」のイントロ。ギターが鳴り出した音の力感が違う。ボーカルが入る直前のドラムフィルも力強く、断然聴き応えがあった。
「Money」の終盤で入るセリフなど、細部のリアリティがまったく異なる。ブルーレイオーディオを再生しながらメモを取っていたところ、急に生々しい人の声が聴こえてきてドキッとさせられたほどだ。小さな積み重ねが最終的な大きなインパクトになっていると実感させられた一幕だった。
ちなみに、同盤に収録されている5.1ch音源(PCM)と比較したところ、5.1chでも水平方向の包囲感は濃厚。やはり垂直方向の音が薄くなるため、空間全体に音が満たされているという印象が薄まってしまった。ただし、ギターやボーカルなどがキレよく迫ってくる印象はあり、こちらのほうが好き、という人もいるかもしれない。
今回、真剣にApple Musicとブルーレイオーディオの「The Dark Side of the Moon」を比較してみて感じたのは……
●当たり前だが、音質はブルーレイオーディオが圧倒的に有利
●Apple Musicもそう悪くない
ということ。やはり「可逆圧縮」のDolby Atmos(Dolby TrueHD)音声を収録したブルーレイオーディオが有利なことは明らかだった。手元にディスクを置いておくことで、再生機さえあればいつでも聴ける、という安心感もマニアにとっては重要だろう。ストリーミングされる音源がいつ聴けなくなるかは誰にもわからないのだから。
いっぽうで、以前から感じていたことだが、Apple MusicのDolby Atmosもそう悪くないと改めて思った。日常的にApple Musicの「空間オーディオ」(つまりDolby Atmos)音源の新譜をチェックしているのだが、それらを聴いている分にはそれほど不満はないのだ。
こうした音源との比較でこそ、”元”はこんなに音がよかったのか! と思うわけで、そうでなければ結構満足度の高いApple MusicのDolby Atmos音源を見直すことにもなった。
しかし、わざわざ手間をかけてDolby Atmosのミックスを作っているのだから、できるだけよい音で聴いてほしいと少なくともミックスを担当したエンジニアは思っているはず。わざわざDolby Atmosで聴きたいというユーザーもできるだけよい音でと思っているはずなのだから、お互いのニーズをマッチさせてほしいものである。
Apple Musicの「カテゴリを検索」画面で左上にあるのは「空間オーディオ」。アップルがこの分野を推しているのは明らかだろう
売れないわけではないだろうという意味では、ハリー・スタイルズの「Harry’s House」やケンドリック・ラマーの「Mr. Morale & The Big Steppers」、ビーチボーイズの「Pet Sounds」など、各Dolby Atmos収録ブルーレイオーディオをリリースして欲しいところ。
そのほか、Apple Musicで「エレクトロニック」に分類されているサンファの「Lahai」、ジェイムス・ブレイクの「Friends That Break Your Heart」以降の近作などはDolby Atmosとの相性のよさをひしひしと感じられた作品だった。Dolby Atmosシステムを構築している人はぜひ試してみていただきたい。
ちなみに、CDとセット販売ではあるものの11月17日にはフランク・ザッパの「Over-Nite Sensation」が、12月1日にはピーター・ガブリエルの新作「i/o」が、ブルーレイオーディオ(どちらもDolby Atmos収録)で発売される。
かつて4ch(クアドラフォニック)ミックス版も存在していたという「Over-Nite Sensation」、新譜でもあえてブルーレイオーディオをセットにして販売する「i/o」、どちらも期待できるのではないかと密かに楽しみにしている。
両作のDolby Atmos版がApple Musicで配信される可能性は高いので、まずは配信で聴いてみるのもよいだろう。