Dolby、ドルビー、Dolby Vision、Dolby Atmos、Dolby Cinema、Dolby AudioおよびダブルD記号は、アメリカ合衆国とまたはその他の国におけるドルビーラボラトリーズの商標または登録商標です。その他の商標はそれぞれの合法的権利保有者の所有物です
Dolby Atmos(ドルビーアトモス)は「音に包まれる」ような没入感あふれるエンターテインメントが楽しめる、米ドルビーラボラトリーズ(以下:ドルビー)による立体音響技術です。
モノラルからステレオ、5.1ch/7.1chサラウンドへと発展を遂げてきたチャンネルベースのオーディオはスピーカーの本数やレイアウトによって音の聞こえ方が少なからぬ影響を受けます。Dolby Atmosの場合、サウンドと位置情報によって空間に存在する音を記録するオブジェクトベースのオーディオ技術を取り入れていているため、映画館などの劇場や複数のスピーカーを導入したホームシアターだけでなく、単体のスマートスピーカーやスマホなどモバイル機器でも立体音場を再現できるところに特徴があります。
Dolby Atmosのオーディオ体験が楽しめる環境やデバイスの広がりとともに、ドルビーはそれぞれに音質やビットレート(1秒間あたりのデータ量)を最適化した伝送技術を開発してきました。
現在はDolby Atmosを取り巻く環境が成熟しているので、一般にはハードウェアとコンテンツの互換性など「Dolby Atmos対応の環境」について詳細を意識することなくスムーズに楽しめるようになりました。
いっぽうで、たとえば海外ではDolby Atmosによる立体音響技術を採用するテレビ放送も開始され、スポーツの生中継など迫力あるイマーシブ(没入感のある)サウンドがホームシアターで楽しめるコンテンツも増えています。インターネットに常時接続ができるモバイルデバイスやコネクテッドカー(自動車)など、Dolby Atmosに対応するエコシステムも広がり続けています。
今回は新しい用途に合わせて進化を続けるDolby Atmosの音声符号化技術を整理してみましょう。
元は膨大なサイズになるDolby Atmosのデジタルデータ(ビットストリーム)を、ユーザーがホームシアターや手元のモバイルデバイス、コネクテッドカーなどで楽しもうとする場合、データをいったん圧縮・符号化(エンコード)する必要があります。
媒体としてはUltra HDブルーレイなどの記憶メディア、またはインターネット配信などあげられます。ディスクプレーヤーやスマホ・タブレットなどのデバイスで再生する際に、符号化されたDolby Atmosのビットストリームを解凍・復号(デコード)することで、ユーザーは臨場感あふれるイマーシブオーディオ体験が得られます。
Dolby Atmosには大きく分けて以下4つの異なる音声符号化技術があります。
Dolby Digital Plus(ドルビーデジタルプラス)とDolby TrueHD(ドルビートゥルーエッチディー)は、音声をサラウンドで収録する映画作品をブルーレイディスクに収録していたころから広く使われています。ホームシアターでの映画鑑賞を楽しんでいる方々には耳なじみのある名前かもしれません。
オブジェクトベースオーディオであるDolby AtmosのビットストリームにはPCM形式の音声データのほか、XYZの3次元座標や音源の大きさ・重要度などさまざまなオーディオに関するメタ情報が記録されています。Dolby Digital PlusとDolby TrueHDに設けられているユーザーデータの領域にこれらのメタ情報を書き込むことで、Dolby Atmosの時代に即したアップデートを遂げたのです。
なお、Dolby TrueHDとDolby Digital Plusの形式で記録されたDolby Atmos音声は、最大7.1chまでのチャンネルベースオーディオとして復号もできます。つまり、Dolby Atmosが誕生する前のホームシアター機器でも、Dolby TrueHDかDolby Digital Plusをサポートしていれば、Dolby Atmos対応のコンテンツを再生できる後方互換性も確保されています。
4つの音声符号化技術は「ロッシー(非可逆符号化方式)」なDolby Digital Plus、Dolby AC-4と、「ロスレス(可逆符号化方式)」なDolby TrueHDとDolby MAT(ドルビーマット)の2種類に分類ができます。
ロスレスの音声符号化技術は圧縮処理などによるロス(損失)が発生することなく、理論上は原音に忠実な音質が再現できるのが特徴です。ロッシーなコーデックは圧縮効率が高く、ビットレートを低く抑えられる(データ量を少なくできる)メリットを備えていますが、復元時に音質の劣化をともないます。
ロスレス、ロッシーの音声符号化技術はケースバイケースで使い分けられます。たとえばUltra HDブルーレイディスクの場合、1枚のディスクに収まるデータ容量であれば、音質重視の映画や音楽ライブの作品を「Dolby TrueHDベースのDolby Atmos」によりユーザーに届ける用途に向いています。
インターネット配信の場合は、コンテンツの再生クオリティが通信環境の品質に影響を受けにくいようにビットレートをなるべく低く抑えることが重視されます。この場合は「Dolby Digital PlusベースのDolby Atmos」が有利です。
以上を踏まえたうえで、4つの音声符号化技術の特徴をもう少し掘り下げてみましょう。
ロスレス(可逆圧縮)の音声符号化技術であるDolby TrueHDは高品位な音声記録に適していますが、ビットレートは高くなることから、Ultra HDブルーレイディスクなど記憶容量の大きなメディアを用いるDolby Atmos対応のパッケージ作品に広く採用されています。
ブルーレイ、Ultra HDブルーレイに収録されたDolby Atmosは、基本的にロスレス音声符号化技術のDolby TrueHDベースと考えられます。ビットレートが高く、音質優先の選択であると言えるでしょう。AVアンプに入力してみると、写真のように「ATMOS TrueHD」などと表示される場合もあります
Dolby Digital Plusは非可逆方式のロッシーな音声符号化技術です。NetflixやAmazonプライム・ビデオなどインターネット配信によるDolby Atmos対応コンテンツの中にはDolby Digital Plusにより音声を記録した作品が多くあります。
また先述のとおり、Dobly TrueHDとDolby Digital Plusは最大7.1chのチャネルベースオーディオとして、Dolby Atmosの誕生前に発売されたホームシアター製品との後方互換性を備えています。
デジタル配信される映画の映像・音声のスペックは、今やディスクに劣っていません。ただし、配信されているオーディオコーデックに着目すると、同じDolby Atmosであっても“中身”はDolby Digital Plus、つまりロッシー(非可逆符号化方式)であり、音質だけを見ればディスクに収録されたDolby TrueHDベースのDolby Atmosが有利と言えます
Dolby Digital Plusから進化した、IP(Internet Protocol)通信ネットワークを活用する次世代放送サービス向けの音声符号化技術。非可逆方式ながらもDolby Digital Plusよりも符号化効率を高めたことで、音質がよくなっていると言われます。ほかにも言語の選択、応援するチーム用の解説音声など次世代テレビ放送でのマルチ音声サービスを想定して使い勝手の向上を図っています。
次世代テレビ放送の標準化が日本よりも早く行われた北米のATSC 3.0や、欧州電気通信標準化機構(ETSI)が参加するDVBプロジェクトにDolby AC-4は採用されています。さらに欧米の放送局ではイマーシブオーディオ体験が楽しめる番組もスタートしています。
Dolby AC-4にはスマートフォンなどのデバイスに低ビットレートでDolby Atmos音声を伝送して、デジタル信号処理によるイマーシブオーディオを再現する「Dolby AC-4 IMS(IMmersive Stereo)」という機能もあります。
こちらの符号化技術では、Dolby Atmosのビットストリームにオブジェクト情報を埋め込む代わりに、ステレオ音声信号と擬似的にイマーシブオーディオ再生を実現するための補助情報(IMSメタデータ)を生成します。通常のDolby AC-4エンコーダよりもさらに伝送ビットレートを1/3から1/4程度のサイズにまで抑えられるため、端末が通信時にかかる負担がデータ容量も含めて軽減される効果もあります。
スマホなどの再生機器側でIMSメタデータをデコードする際には、通常のステレオリスニングか、内蔵スピーカーやヘッドホンでイマーシブオーディオを体験するする楽しみ方が選べます。大きな負荷のかかるデジタル信号処理が符号化の段階で済ませられることから、スマホなどデコーダーを搭載する機器側への負担は軽減され、再生がよりスムーズになります。
また符号化処理の段階で十分に時間をかけながら音質にこだわった信号処理ができるなど、ひと手間を加えやすい技術であることも特筆されます。今後、Dolby Atmosをモバイル環境で楽しむための標準的な音声符号化技術として、Dolby AC-4 IMSの呼び名を耳にする機会が増えるでしょう。
Dolby MAT(Metadata-enhanced Audio Transmission/マット)は、Dolby AtmosのビットストリームをHDMIケーブルにのせて伝送するための技術です。圧縮や複雑な信号処理を行わないことから演算負荷が低く、伝送時の遅延も少ないことが特徴です。たとえばゲーミングコンテンツのDolby Atmos音声も、Dolby MATであればHDMIケーブルでつないだゲーミングコンソールからAVアンプやサウンドバーなどの機器へ遅れることなく届けられるため、快適なプレイが楽しめます。
パナソニックが2022年1月に発売したUltra HDブルーレイレコーダー「DMR-ZR1」には、一部の新4K衛星放送の番組で放送されている22.2ch音声のサラウンド放送をDolby Atmosに変換して、ホームシアターで手軽に楽しむための機能があります。
パナソニックのUltra HDブルーレイレコーダー「DMR-ZR1」。一部の4K衛星放送番組で採用されている22.2ch音声をDolby Atmosに変換し、AVアンプなどに送り出すという独自機能を持っています
内部ではデータ圧縮やダウンミックスをせずに、MPEG-4 AAC 22.2chの信号をそのままHDMI経由で伝送し、Dolby Atmos対応機器で再生するというDolby MATの特徴を生かした処理を行っています。「DMR-ZR1」は高価な4K対応のプレミアムレコーダーですが、Dolby MATの使いこなしを上手に取り込んだことで、22.2chサラウンドコンテンツの没入感をホームシアターで最も手軽に、かつ高音質に楽しめる機器として唯一無二の魅力を獲得した注目機です。
NHKが推進する22.2chという音声フォーマットも、3次元立体音響を実現するための提案のひとつです。2023年7月時点では22.2chの音声を再生できる家庭用製品はほとんどありません。その意味で、Dolby Atmosに変換することによって22.2ch音声を一般的なAVアンプで再生できるという提案は意義深いのです
Dolby MATは将来、Dolby AC-4による次世代放送の音声を、HDMIケーブル経由でテレビからホームシアター機器に送り出し、手軽にイマーシブオーディオを楽しむためのキーテクノロジーとしても期待されています。
オーディオ・ビジュアル専門誌のWeb編集・記者職を経てフリーに。海外は特に欧州の最新エレクトロニクス事情に精通。最近はAppleやGoogle、Amazonのデバイスやサービスまで幅広く取材しています。