連載・PDA博物館 モバイラーが語る“今のスマホに足りないもの”

“元祖スマホ”PDAから読み解く未来のガジェットとは? 「PDA博物館」イベントをレポート!

このエントリーをはてなブックマークに追加

“モバイル黎明期”に誕生した「PDA」をふりかえるイベント「知の流域を知る そして新たな源流へ PDA博物館 supported by 価格.comマガジン」(以下、PDA博物館)が2017年5月20日、デジタルハリウッド大学 駿河台キャンパスで開催された。かつてのPDAを懐かしむファンでにぎわった、同イベントの模様をレポートする。

<関連リンク>100台以上のPDAを一堂に展示するイベント「PDA博物館」が5月20日に開催!

かつてブームを呼んだPDAを一堂に展示するイベント「PDA博物館」。その模様をレポートする

かつてブームを呼んだPDAを一堂に展示するイベント「PDA博物館」。その模様をレポートする

PDAとは、「Personal Digital Assistant(あるいはPersonal Data Assistant)」の略称で、スケジュール、ToDo、住所録、メモなどを携帯するために使われていたモバイル端末のこと。日本では、1990年から2005年ごろまで多くのユーザーが利用していたが、スマートフォンの登場によって、その役割を終えたかのように、姿を消していった。

そんなPDAに再び着目したのが、PDA博物館だ。2010年11月には、全国のPDAファンから寄贈してもらったPDAを展示する初回イベントを秋葉原で開催。集めたPDAはその後、テクノロジーの歴史を知る貴重な資料として、デジタルハリウッド大学メディアライブラリの一角で常設展示されている。また、オンラインでもコレクションが公開されており、その内容を知ることができる。

<関連リンク>PDA博物館 公式サイト
<関連リンク>PDA博物館 on the Web

今回、第2回となるPDA博物館が5月20日(土)13時から、JR御茶ノ水駅そばの複合ビル「ソラシティ内」にあるデジタルハリウッド大学 駿河台キャンパスで開かれた。13時の開場を待たずして、全国津々浦々のPDAファンが集まり、イベント開始時にはすでに約70名が来場。一堂に展示されたPDAの実機を前に、会場は早くも熱気に包まれていた。

PDA博物館が開催されたデジタルハリウッド大学 駿河台キャンパスの入る複合ビル「御茶ノ水ソラシティ」。PDA博物館の初回イベントは2010年11月に秋葉原で開催され、実に、今回が7年ぶりのイベント復活となった

今回のPDA博物館は、駿河台キャンパスのE15、E16、E17という3つの教室を貸し切り、開催された。スタートを待ちきれないPDAファンが続々と集まり、開場時刻には約70名が集まるなど、関心の高さがうかがえた

イベント開催にあたり、PDA博物館の現館長である沖昇氏、デジタルハリウッド大学非常勤講師/ロボットデザイナーの星野裕之氏、初代館長の井上真花氏が登壇し、あいさつした。

左から、主催者の星野裕之氏、現館長の沖昇氏、初代館長の井上真花氏

左から、主催者の星野裕之氏、現館長の沖昇氏、初代館長の井上真花氏

主催者の星野氏は、来場者にイベントの趣旨を説明。「実際にPDAに触れながら歴史を振り返り、PDAの進化と衰退を見ていきます。その後、“スマートフォンがPDAのDNAを受け継いでいるか”を検証し、その未来にあるのは何なのかを、みなさんと一緒に考えていきたいと思います」と述べた。

イベント主催者であり、デジタルハリウッド大学非常勤講師/ロボットデザイナーの星野裕之氏。イベント冒頭、今回開催したPDA博物館の趣旨を説明した

13時20分からは、ゲストスピーカー4名が登壇。それぞれの立場から、PDAの歴史を振り返った。

最初に壇上に上がったのは、「PDAマガジン」の元編集長であり、現在はフリーの編集&ライターとして、さまざまな媒体で活躍しているジャイアン鈴木氏。当時、どのようにPDAを使って楽しんでいたかというエピソードを語った。また、PDAマガジン編集長という立場からPDAの歴史を振り返り、「PDAが消えた原因のひとつにiモードがあった。その後のスマートフォン台頭のキーになったのは、アプリストアの存在」と分析した。

PDAマガジン編集長の立場から、PDAの楽しみ方について話すジャイアン鈴木氏

PDAマガジン編集長の立場から、PDAの楽しみ方について話すジャイアン鈴木氏

13時40分からは、“Palmの神様”として知られる山田達司氏が登場し、「当時、日本でまだ販売されていないPalmが使いたかったので、個人輸入して日本語化に尽力した」と語った。今回のトークでは、この「日本語化」が、日本でのPalmブームの火付け役になったことをふりかえりつつ、Palmが消滅していった理由を分析。「もう少しがんばれば、Palmはスマートフォンになれたはず。そう思うと、くやしい。でもiPhoneを見た時、“これはしょうがないな”と感じた」と率直な意見を述べた。

“Palmの神様”でおなじみの山田達司氏。日本におけるPalmの歴史は、彼から始まったと言っても過言ではない

“Palmの神様”でおなじみの山田達司氏。日本におけるPalmの歴史は、彼から始まったと言っても過言ではない

14時からは、All About Japanの「スマートフォン」ガイドであり、「Windows Phone応援団」のブロガーでもある伊藤浩一氏が登壇。伊藤氏が初めて使ったPDAは「HP200LX」。その後、Windows CE、Windows Mobile、Windows Phoneと、マイクロソフトが開発したモバイル向けOSを使い続けたが、いずれもメインストリームにはなれなかった。伊藤氏は、その要因について「もともとマルチタスクOSだったのに、Palm人気に乗じてシングルタスクのように見せたのが悲劇の始まりだったのでは」と分析する。

「Windows Phone応援団」のブロガー、伊藤浩一氏。マイクロソフト開発のモバイル向けOSを搭載したPDAの歴史を振り返った

最後に登壇したのは、予測変換システム「POBox」の開発者である増井俊之氏。iPod touchやiPhoneの日本語予測変換を開発したことでも知られている。「辞書の検索システムが日本語入力になると気づき、POBoxを開発した」という増井氏。iPhoneの入力システムを開発することになったエピソードを披露し、「スマートフォンの指でタッチして入力するシステムは使いにくい。やはりキーボードがなければ」と強調した。

増井俊之氏は、今回のトークのために用意したプレゼン資料を使いながら、「知的生産に使えるモバイル端末とは何か」について話した

ゲストスピーカーのトークが終わったあとは、来場者が自由にPDAを触り、年代順に並べられた歴代の名機を懐かしみながら、活発に意見交換。同じPDAを使っていたユーザー同士が、思い出話に花を咲かせていた。

展示されたPDAを手に取る来場者。会場のいたる所で、当時の思い出話が聞こえていた

展示されたPDAを手に取る来場者。会場のいたる所で、当時の思い出話が聞こえていた

“PDAの元祖”と呼ばれる、アップルの「Newton(MessagePad)」は、モバイル用のレザーケースとともに展示されていた

なかには、アップルの「iBook」を彷彿とさせるPDA(eMate)も

なかには、アップルの「iBook」を彷彿とさせるPDA(eMate)も!

当日展示された名機の一部をご紹介。

イベント後半には、ホワイトボードを使って、来場者が「PDAの樹形図」を作るというワークショップが行なわれた。展示されているPDAの横に写真付きのPDAカードがあり、来場者が各自ホワイトボードに貼りながら、PDAの進化と衰退の歴史を形にしていった。

ホワイトボードに、イラストやコメントを書き込む来場者の姿も

ホワイトボードに、イラストやコメントを書き込む来場者の姿も

イベント終了間際になると、樹形図が徐々に形になってきた

イベント終了間際になると、樹形図が徐々に形になってきた

PDAの歴史(初期)

PDAの歴史(初期)

PDAの歴史(全盛期)

PDAの歴史(全盛期)

PDAの歴史(衰退期から現在へ)

PDAの歴史(衰退期から現在へ)

16時、樹形図がついに完成した。来場者が3つのホワイトボードを使って完成させた樹形図を見ると、PDAカードが貼られている場所の密度の違いから、一気に拡大し、短期間で衰退していったPDAの歴史がよくわかる。

イベントの最後には、樹形図から見たPDAの歴史と、スマートフォン全盛期である今、この先にある未来について、主催者の星野氏がまとめ、3時間にわたる第2回PDA博物館の幕は閉じた。

最後に、主催者の星野氏から結びの言葉があり、イベントが終了した

最後に、主催者の星野氏から結びの言葉があり、イベントが終了した

今回のイベントのテーマは、「知の流域を知る そして新たな源流へ」。現在、PDAは消滅し、スマートフォンが広く普及しているが、「スマートフォンの中にPDAのDNAは引き継がれているか」ということを検証しようという試みだった。

来場者が作った樹形図を見ると、1993年に発売された「Newton(MessagePad)」から始まり、1996年の「Palm」登場でPDAブームが到来。2000から2005年の5年間で、多種多様なPDA端末が市場をにぎわせていたことが見てとれる。

なかでも注目すべきは、2004年ごろから発売されていた「W-ZERO3」や「京ぽん」(ウィルコム「AH-K3001V」)という存在。この2機種は、PDAユーザーから「通信できるPDA」と認識されていた。つまりPDA全盛期の最後に登場したPDAは、すでにスマートフォン的役割を果たしていたのだ。

スマートフォンにPDAのDNAが引き継がれているかという問いに対する答えは、今回のイベントで明確にできなかった。しかし、もしiモードやスマートフォンが誕生していなければ、進化したPDAが今のスマートフォンのような存在になっていたことは間違いない。

そんな「元祖スマートフォン」というべきPDAとは、どういうものだったのだろうか。次回は、ゲストスピーカーとして登壇した伊藤浩一氏をインタビューし、マイクロソフトが開発したモバイルOSの歴史をひも解いていく。

オフィスマイカ

オフィスマイカ

編集プロダクション。「美味しいもの」と「小さいもの」が大好物。 好奇心の赴くまま、良いモノを求めてどこまでも!(ただし、国内限定)

このエントリーをはてなブックマークに追加
関連記事
連載最新記事
連載記事一覧
2017.6.28 更新
ページトップへ戻る